30.ババンババンバンバン
カポーン
むわっと立ち込める湿気と硫黄の匂いに意識を持っていかれる。
「……え?」
気付けばそこは、温泉だった。
「どこですかここ」
「温泉だな」
「それは見ればわかります」
「……入るか?」
「のんきか」
非常に入りたそうにそわそわしている凌霄の手を引っ張ってその場から出た。
湯殿から出てみると、かなり立派な脱衣場に出た。
小さな山間の集落からほとんど出ずに今まで生きてきた采蓮には全く馴染みのない空間である。
「え……ほんとになんなんですか、ここ。こんな格好でうろうろしてたらつまみ出されるんじゃ……」
というか、最悪殺されるのでは?
そう思えた。
「いくら景朔が性悪でも、流石にそのようなところに送ることはあるまい」
今度は小さな凌霄が采蓮の手を引いて、格調高い渡り廊下を歩いていく。
「ふむ……やはりここ、見覚えがあるな。
建て替えたのか雰囲気が変わってわからなかったが」
「え、知ってるんですか?」
采蓮が凌霄に尋ねると、5歳児が神妙に頷いてきた。
「うむ。ここは恐らく道観(道教の寺)だな。随分昔に世話になったことがある。ここの温泉はよいぞ」
289歳の言う随分昔とは。
そんなことより、この不法侵入してしまったような居心地の悪さをどうにかしたい。
凌霄の言うとおり、いくらなんでも見つかったら切って捨てられるような所にいきなり送るような事は流石の景朔とてしないだろう。
そう考えて、采蓮は人を探すことにした。
「すみませーん……どなたかいらっしゃいませんかー……」
恐る恐る声を上げる。
しん、とした静寂の中でその声はやけに大きく響いた。
しばらくすると、トタトタと小走りに渡り廊下を駆ける音が聞こえてきて、質素な道服に身を包んだ男が現れた。
「あぁっ!? なぜこのようなところに?入り口で一同お待ちしておりましたのに!」
「……はい?」
「凌霄様、采蓮様とお見受けいたしますがお間違いございませんか」
「……はぁ、」
小汚い格好の小娘と童に対して、小綺麗な道士がやたら平身低頭で接してくる謎の状況に采蓮は呆気にとられる他ない。
「景朔様より丁重におもてなしせよと仰せつかっております。ささ、こちらへ」
ぽかんとしている采蓮に対し、凌霄は特に気にしていない様子で男のあとに続いた。
「何を呆けておる。そなたも早く休みたいであろう、ほれ、行くぞ」
部屋までの道中に、男が説明してくれた。
どうやらこの道観、景朔が一番上にいるらしい。道士たちからすれば天上人のような、いや、文字通り天上人の景朔から直々に采蓮たちの世話を命じられたと言うのだ。
この男からすると、采蓮すら天の使いくらいに見えているのかもしれない。
「あやつ、そんなことにまで手を広げておるのか……」
凌霄が呆れたように景朔に思いを馳せる。
「要領がよいのですよ、あなたと違って」とバカにしたように笑う声が聞こえた気がしてピキッとこめかみに青筋を立てた。
「私は私の無為自然を極めると決めたのだ!」
「誰も何も言ってませんよ」
「おぉ……景朔様の仰る通りですな。天仙の力を持ちながら地に留まる高潔さを持つお方と」
何故か感心したように道士がキラキラした目を幼児に向けている。
「ん? う、うむ……なんだ、景朔はそのように申しておったか。ふふ、わかっておるではないか」
「素直か」
案内された部屋は広く、華美さはないものの、ちょっと汚い足で入るのは気が引けるような上等さが滲み出ていた。
「お二人を見て自分の至らなさに気づきました。衣服など些末なこと。それより修行に身を投じるべきと」
(違います。貧乏なだけです)
「余計なお世話かとは存じますが、着替えも用意してございます。
湯殿も好きにご利用くださいませ。」
どうぞごゆるりと、と男は頭を下げて出ていった。
「……なんか、盛大な勘違いをされているような……」
「そうか? 私に対する認識は誤っておらぬぞ」
「あぁうん、はい」
凌霄を適当にあしらった采蓮は、張り詰めていたものがぷつんと切れたのを感じた。
そのまま視界がぐるんと回り、床に倒れ込んだ。
「!? おい、娘よ!!」
慌てたように凌霄が覗き込み、誰かを呼んでいるのが聞こえるが、朦朧としてうまくしゃべれない。
大げさに騒ぐな、と言ったつもりだが、返事を聞けぬまま采蓮は意識を手放した。




