7 不穏の使者
7 不穏の使者
それは、森の中を暫く歩いた頃合いだった。
体力のなさを痛感しながら歩き難い森の中を歩いていた俺は、ソレに気が付くのに遅れた。
不意に、頭上に影が差す。バサリと落ちてくるのは羽音だ。同時に耳に刺さるのはけたたましく下品な笑い声。
驚いて声の方に視線を上げれば、木々の切れ間を忙しなく飛び回る一体の魔物がいる。それは見覚えのある魔物だった。
くしゃくしゃで皺だらけの猿ような顔。細い体の背には巨大な蝙蝠のような羽が生えている。その魔物は俺を見てニヤリと真紅の瞳を細めた。
「敵襲!!」
驚愕の余りに動けなかった俺より早く、騎士達が叫び、剣を抜く。ダメだ、この魔物は!!
「っ! ダメだ! 撤退する!!」
やっと動いた口でそう声を挙げても、騎士達には届かない。どころか、俺が臆したと思われたのだろう。下がっていろと睨まれ怒鳴られた。
ダメだ、今の俺達ではアイツには敵わない。
あの魔物はイビルアープという魔物だ。ゲームにも登場した魔物で、結構な難敵である。
『贄ダ!! 贄ヲ見ツケタゾ!』
イビルアープは俺を見たまま、はしゃいだような声を挙げた。魔物が言葉を話した事に騎士達も子供達も皆驚愕する。
通常、魔物は喋ることは無い。人型の魔物ですら人語は話さないというのに、目の前の魔物は確実に人の言葉を発した。
『魔王サマハ贄ヲオ望ミダ』
ニヤニヤと笑みを浮かべながらイビルアープは俺達を小馬鹿にしたように森の中を右へ左へと飛び回る。騎士達は魔法や弓を使って攻撃するが、届く前に掻き消されたり弾かれたりで全く届いていない。
まずい。このイビルアープは中盤に出て来る魔物で、しかもいわゆる『負けイベント』のボスだ。倒し切れずまんまと逃げ仰たイビルアープは魔王が蘇るのだと飛びながら盛大に触れて回る事で人々は魔王復活を知る。
敵としても厄介な奴で魔法耐性が強く、すばしっこく飛び回るせいで近接武器の効果も薄い。普通に剣で攻撃してもなかなか当たらないし、弓でもエイムが難しい、そんな難敵だ。
なんでそんな奴がここに居るのか。突然の出来事に全く頭が付いて来ない。
辺境の騎士達は皆屈強だが、イビルアープの素早さに翻弄され徐々にだが劣勢に追い込まれて行く。そもそも子供達というお荷物がいる状態では彼等もうまく動けないようだ。
このままではまずい。全員共倒れは何としてでも回避しなければ。
でも、どうすれば良いだろう。そうだ、確かゲームでは翼に攻撃が当たれば一定ダメージで地面に落ちる隙が出来た筈だ。
「皆、下がって!!」
腰に提げていた指揮棒のような杖を抜きながら叫べば、周りにいた騎士達が一斉に退避する。その様子を尻目に、俺はイビルアープの更に上空に向けて杖を構えた。
「ウォラーレ・スティーリア!」
詠唱と共に上空に展開するのは氷魔法。空中に沢山の氷柱を発生させて一定の範囲に降らせる魔法だ。これならいくら素早くともその範囲にいれば多少は当たるだろう。
空中で発生した氷柱は直ぐに重力に従って真下に降り注ぐ。気が付いたイビルアープにかわされて全て当てる事は出来なかったが、右側の翼には直撃し、薄い皮膜を切り裂いた。
『ギィイイイイ!!』
どうやら大きなダメージを与える事が出来たようで、不快な叫び声と共にイビルアープが大きく体勢を崩す。その隙に、場にいた者達の魔法や矢がもう片方の翼を襲った。
一つ一つは小さくとも、重なったことでダメージになったようだ。翼がボロボロになったイビルアープが地面に墜落する。
そこにすかさず駆け寄ったのはブラッドだ。
「ふん!!」
気合の入った掛け声と共に、彼の身長程の大きさがある大剣が地面で踠くイビルアープの胸を貫いた。細い体躯を地面に縫い付けられたイビルアープは劈くような断末魔を挙げながら苦痛に身を捩り、ジタバタと手足を動かす。
勝った。そう気を抜きかけた瞬間だ。
突如ぐりんと首を動かしてイビルアープが俺を見た。
『忘レルナ! 魔王サマハ贄ヲオ望ミダ! 逃ゲラレルト思ウナヨ!!』
イビルアープは真っ直ぐに俺を見ながらそう言ってゲラゲラと哄笑を挙げた。驚き硬直して動けない俺を、近くにいた騎士がイビルアープの視線から庇う様に前に立ってくれる。
『憎キりふきんど! ソノ血デ我等ニ贖ウガイイ!! ギャハハハ!!』
木立の中にこだまする哄笑と共に黒い塵となって霧散するイビルアープの様子を騎士の背から垣間見ながら俺は呆然とするしか出来ない。その場にいた誰もが今起きた事が信じられず同じ様に動けずにいた。
「ノア、大丈夫か?」
その中でいち早くブラッドが俺に駆け寄って声を掛けてくる。切羽詰まったような声と顔に、漸く息を吐き出した。情け無い事にその息は震えている。
「あんまり大丈夫じゃないかも……」
思わず零れた泣き言に、ブラッドがぎゅっと俺を抱き締めてくれた。同い年の筈なのに、幾分か背が高く体格も良いブラッドに抱き締められて視界が彼の服で埋まる。
「直ぐに父上達と合流しよう。今の事を報告しないと」
抱き締めながら背中をポンポン叩いてくれるブラッドは俺より遥かに冷静だった。状況を見て最善の行動を取ろうとしている。
深く深呼吸して再びバチンと自分の両頬を挟む様に叩く。起きてしまった事はしょうがない。ここからどうするのか考えなきゃ。
「悪い、もう大丈夫だ」
ジンジン痛む頬は赤くなっているかもしれない。でも、これくらいしないと思考が切り替えられなかった。
怪我人の治療をしてから俺達は急いで父様達と合流する事にした。
幸いな事に死者は出なかったが、一部重傷者が出てしまった。彼等に回復魔法を掛けながら今し方起きた事について考える。
もしかすると、ゲームでは語られていなかっただけで辺境の地ではこうした異変が前々から起きていたのかもしれない。
魔王復活について明確に言及されるのはゲームでも中盤手前くらいからだ。イビルアープの存在はそれだけ重要なものだ。これまで喋る魔物が現れた事がなかったのに、空を飛び回りながら不穏な予兆を振り撒く。人々を恐怖のどん底に陥れるのが、イビルアープの役割。
正直な話、俺の心はメチャクチャだ。奴は明らかに俺に向かって発言していた。贄、というのもノアを指しているのだろう。
ゲーム内でノアはアーサーに抱く負の感情を利用されて徐々に精神汚染を受けていく。汚染が強くなるにつれ、凶暴になっていくんだが、いつか俺もゲームのノアのようになってしまうのか。
イビルアープの爪に深く抉られた騎士の腕に回復魔法を掛けながら不安に心が揺れる。嫌だ。彼等を自分の手に掛けるなんて絶対に嫌だ。でも、どうしたら良いのか分からない。
頼る相手もいない、相談出来る相手もいない状況を突き付けられた様な気がする。
暗澹とした気持ちのまま、俺はどうにも不安感を拭えずに悶々とする羽目になるのだった。
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