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存在しない昨日の話  作者: geko
第三章
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第三話

 放課後のチャイムが鳴って、教室が少しずつざわつき始める。

 荷物をまとめようとしていたそのとき、開いた扉の向こうに、北村くんの姿が見えた。

 この前、告白してきた相手。


 わたしの席の前まで歩いてきて、立ち止まった。


「……あの、東雲さん。ちょっと、いい?」


 名前を呼ばれて、一瞬だけ身体が固まる。

 けれど、表情は変えないようにして、そっと頷いた。


 廊下のすみ。並んで立ってみると、想像よりも距離が近く感じた。

 人目はないはずなのに、なぜか落ち着かない。

 北村くんは何度か口を開きかけてから、ようやく言った。


「この前のこと……ほんと、ごめん」

「え?」

「その……俺、友達に、言っちゃった。東雲さんに告白したこととか、断られたときのことも、ぜんぶ……」


 わたしは一瞬だけ目を伏せて、それからゆっくり首を振った。


「ううん。もういいよ。……言いふらしたわけじゃないんでしょ?」

「うん。ほんと、ぽろっと言っただけで……でも、それが広まっちゃって……ごめん。東雲さん、迷惑かけたよね」


 わたしは、いつものように笑ってみせた。

 でも、その笑顔が、“陽菜らしい”って思われるような笑顔になってたかどうかは、わからなかった


「だいじょうぶ。気にしてないから」


 そう伝えると、北村くんは少しほっとしたように息をついた。

 けれど、そのあと。ぽつりと、独り言のように言った。


「……でも、やっぱちょっと変わったよね。東雲さん」


 わたしは目を瞬いた。


「前はさ、もうちょっとこう……ふわっとしてるのに、隙がなかったっていうか。なんか、最近の東雲さんは、親しみやすそうっていうか、地に足がついてるって感じ」

「……そうかな」

「うん。悪い意味じゃないよ。でも、ちょっと雰囲気が違うなって、思っただけ」


 そう言って、北村くんは軽く頭を下げて去っていった。

 その背中を見送ったあと、わたしは小さく息を吐いた。


 ――変わった。


 その言葉が、背中にのしかかってくる。

 この変化が、良いことなのか、悪いことなのか、わたしには分からなかった。



 結局、そのまままっすぐ家に帰る気にならなくて、図書室に来た。

 誰もいない窓際の席で、ぼんやりとページをめくる。

 目は文字を追っていても、意味は頭に入ってこない。


 変わったって、なんだろう。

 変わったのは、わたしの方? それとも、世界の方?


 陽菜として、誰かに見られている自分。

 陽菜として、ふるまっている自分。


 それはたぶん、期待に応えようとして形づくった“外側”で、

 本当のわたしは、その奥に隠れてしまってる。


「──や、陽菜ちゃん」


 声がして顔を上げると、そこに船倉がいた。


「……船倉くん」

「珍しいとこで会ったね。放課後はいつもすぐ帰ってなかった?」

「ちょっと、今日は考えたいことがあって」


 そう言うと、船倉くんは「あ、そっか」と少しだけ身を引くような素振りを見せた。


「じゃあ邪魔しない方がいいかな。ごめん、なんか声かけちゃって」


 そう言って、去ろうとしかけたそのとき、思わず声にもならない声が漏れ出た。


 かすかに、それが聞こえたのかもしれない。

 船倉の足が、ぴたりと止まる。


「どしたん?」


 軽い感じで船倉が聞いてくる。

 その気楽さが、なにか、懐かしい感じがした。


「良かったら、ちょっと話さない?」


 わたしがそう聞くと、船倉は隣の席に座ってくれた。


「かわいい女の子の誘いは断るわけにはいかないね」

「……かわいくないし」


 船倉の軽口に、目をそらしながら小さく返す。

 “陽菜”がかわいいのは分かってはいるけど、その言葉がわたしに向けられるのは、すごくむずがゆい。


「えー、そんなこと言う? けっこう本気で言ったのに」

「それ、他の女の子にも言ってるでしょ。そういうの信用なくすよ」


 なんとなく、“陽斗”だったときのことを思い出す。

 瑛太は本当に、黙っていれば女子からの人気は高かったのに、この軽口で、女子からも男子からもお調子者として扱われていた。


 ……でも、その軽口が、なんとなく、昔の空気を思い出させた。


「お、今ちょっとだけ笑ったね」


 そう言われて、頬に触れると、少しだけあたたかかった。

 ちゃんと笑えていたのかは分からないけど、それが“陽菜”として作った笑顔じゃなかったと思う。


「……なんかさ、最近の陽菜ちゃんって」


 船倉が、ふと呟くように言った。


「前よりちょっと、砕けた感じになったよね」


 砕けた感じ。最近よく聞くフレーズだな、って思った。

 ラフな感じだったり、親しみやすそうだったり。

 スケジュール帳の中の“陽菜”も、そういう風だと思っていたけど、たぶん、違うんだろう。


「……それって、悪い意味じゃないよね?」

「ないない。話しかけやすくなったってだけ。前はもうちょっと、近寄りがたい感じだったし」


 ――近寄りがたい。


 まただ。

 さっきも、北村くんに似たようなことを言われた。

 わたしは、スケジュール帳の中の“陽菜”を意識しているのに、周りとズレがあるみたいだ。


 “陽菜”として過ごそうとしても、素の自分をさらけ出そうとしても、

 わたしは、“陽菜”のことを、まだちゃんと知らない。


 わたしは、スカートをぎゅっと握る。

 気づいたときには、ついていた“わたし”の癖。


「ねえ、船倉くん」


 声は、ひどく乾いていた。

 続けたら、もう戻れなくなる。

 でも、それでも──


 ここで踏み出さなきゃ、きっと、わたしは、ずっと苦しいままだ。


「もし、変なこと言っても……笑わない?」

「笑わない、って言いたいとこだけど、ごめん、あんまりおかしかったら笑っちゃうかも」


 わたしの問いに、ちょっと芝居がかった声で返してくる船倉。

 でも、たぶんその軽さが、今は一番ありがたかった。

 深刻になりすぎずに、ちゃんと、聞いてくれそうで。


 小さく、ひとつ、深呼吸をする。


「わたしね、ほんとは──」

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