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存在しない昨日の話  作者: geko
第二章
16/21

幕間 -日和視点-

 朝、目が覚めてリビングに降りると、そこにお姉ちゃんの姿がなかった。

 テーブルの上には使われていないマグカップと、手つかずのままのトーストがお皿の上にあった。

 いつもなら、わたしより先に起きて、朝ご飯を食べているのに。


「陽菜、今日は学校お休みするって。体調悪いみたい」


 お母さんがそう言いながら、私のぶんの朝ご飯を用意してくれる。


「……そっか」


 その声に、私は少しだけ考えてから、「生理かな」と思った。

 直接は何も言ってなかったけど、前の晩に、ちょっとお腹を押さえてるのを見たから。


 別に珍しいことじゃない。

 でも――お姉ちゃんが生理で学校を休むなんて、なんとなく、意外だった。

 そういうの、なるべく気づかれないように、さりげなくやり過ごすタイプだったから。


 家を出る前、階段の上をちらりと見上げた。

 静かな二階。気配も、音もしない。


「……ちゃんと休めてるならいいけど」


 そう小さく呟いて、学校に向かった。


※ 


 放課後、なんとなく足がスーパーに向かった。

 特別な用事があったわけじゃない。ただ、家にそのまま帰るには、ちょっとだけ気がかりだったから。


 チルドコーナーの前でちょっと考え込む。

 スポドリにしようか、ゼリータイプのほうがいいか、悩む。

 プリンも買っておいたほうがいいかな?

 甘いもの、食べたい気分じゃないかもしれないけど……でも、冷蔵庫にないよりはいい。


 結局、スポーツドリンクとゼリー飲料、それからカスタードプリンを選んで、カゴに入れた。


※ 


 家に帰ると、玄関は静かだった。

 靴を脱いでリビングを覗くと、お母さんの姿も見当たらない。

 手だけ洗ってから、そっと階段を上がる。


 二階も、やっぱり静かだった。

 気配はある。でも、音はしない。テレビの音も、音楽も、なにもない。

 ――たぶん、寝てるんだろう。


 お姉ちゃんの部屋の前で、足を止める。

 ノックするべきか、迷ったけど、そっと指の背でドアをとんとんと叩いた。


「お姉ちゃん……起きてる?」


 返事はなかった。

 しばらく待ってみたけれど、物音すらしない。

 返事はなかったけど、それならそれでいいか、と思えた。

 ちゃんと休めてるなら、それでいい――そう思って、立ち去ろうとしたそのとき。


「……日和?」


 小さな声が聞こえた。

 ドアの向こうから、くぐもったような――けれど、確かにお姉ちゃんの声。

 そっとドアを開ける。部屋の中は薄暗くて、カーテンのすき間から少しだけ光が漏れていた。


「うん、私。起こしちゃった?」


 お姉ちゃんはベッドの中にいて、顔の半分だけが毛布からのぞいていた。

 髪がちょっとだけ乱れてて、頬も少し赤い。


「……おかえり」


 かすれた声だった。

 体調が悪いときの声。

 でも、それだけじゃないような気もした。


「ただいま。お土産、買ってきたよ。ゼリーとスポドリと……あと、プリンも」


 そう言って、スーパーの袋を見えるように少し持ち上げる。


「……プリン?」


 少しだけ目が開いて、まばたきのあとに、かすかな笑みが浮かぶ。

 ――ちょっとだけ、安心した。


「すぐに欲しい? 今いらないなら、冷蔵庫に入れておくけど」

「……あとでいい、あ、でも、飲み物は欲しいかも」

「うん。無理しないで」


 枕元に置かれていたスマホをそっとどかして、スポドリのキャップを開けて渡す。

 お姉ちゃんは、ゆっくり起き上がろうとしたけど、動きが重かった。


「……そのままでいいよ。口だけちょっと、こっちに」


 そう言って、ボトルをそっと支える。

 ちょっとだけ口をつけて飲んで、また布団に沈むように横になった。


 毛布を整えようとしたとき、ふと、目がとまった。

 お姉ちゃんの頬に、うっすらと何かの跡が残っていた。


 ――涙?


 そう思ったけど、もう乾いていて、本当にそうだったのかは分からない。

 でも、それがあったことだけは、たしかにわかった。


 生理でしんどかったから、かもしれない。

 それとも、ただ眠ってるあいだに、なにか夢でも見たのかもしれない。


 でも。


 でも、それだけじゃないような気がして、わたしは少しだけ黙り込んだ。


「ありがとう、日和」


 毛布の中から、小さな声がこぼれた。

 目は閉じたまま。でも、その言葉だけは、ちゃんと届いていた。


「……うん」


 それだけ返して、わたしはそっと部屋を出た。

 ドアを閉めると、ふたたび静かな空気が戻ってきた。


 なんか、弱ったお姉ちゃんを見るのって、変な感じだった。

 でも、そういう姿を見せてもらえるのって、悪いことじゃない気もした。


 わたしにできることなんて、これくらいだけど――

 それでも、ちょっとだけでも、届いてたらいいなって思った。


 無理に強がらなくてもいいってこと、誰かに頼ってもいいってこと。

 そういうことに、少しでも気が付いてくれたら。



 しばらくして、陽斗が帰ってきた。

 玄関のドアが閉まる音と、買い物袋のビニールが擦れる音が聞こえる。


「ただいま」

「おかえり」


 そう言いながら、リビングに入ってきた陽斗の手には、

 スポーツドリンクとゼリー飲料、そして――カスタードプリンが入った袋。


「あれ、それ……」

「ん? ああ、なんとなく。欲しがるかなって思って」


 少し照れたように笑って、袋をテーブルに置く。

 わたしは笑って、言った。


「私も、同じの買ってきた」

「え、マジか」


 そう言って、陽斗は袋を手に冷蔵庫を開けた。


 冷蔵庫に並んだ、同じ銘柄のプリンがふたつ。

 どっちがどっちのかなんて、たぶん、どうでもよかった。

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