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魔女の宝石  作者: 蓼川藍
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第九話

 気がつくと全身が痛んだ。おまけに現在進行形で蹴られている。


「定時連絡を欠かすなと何度言えば理解する、この愚弟が」


「痛っ、」


 虎嗣に意識が戻ったことを認めるや否や、さっきまで虎嗣の腹を狙っていた、磨き抜かれたブーツのつま先が顎に向かった。容赦はあれども的確に痛みを与えてくる攻撃に呻きつつも、虎嗣は安心感に後押しされて身を起こした。


「悪かったよ、兄ぃ……戦闘でイヤホンがどっか行っちまって」


 虎嗣は通話状態にしたイヤホンを耳に入れ、外で待機している兄に状況を報告していた。だが大抵の場合、虎嗣がアーティファクトを使って何かを殴ると、その衝撃でイヤホンが落ちて紛失してしまう。仕事を終えた後に兄に叱られるのが虎嗣の常だった。


「違うな。卯条(うじょう)お兄様と呼べ」


「……」


 何とも言えず黙っていると、ブーツが腹にめり込んだ。鋭い打撃に何度か噎せる。


「お前は昔から何も理解しないな、虎嗣」


「違うんだって……、オレがお兄様呼びすると周りが引くだろ。どう見てもガラじゃねぇし」


「ならお前が『お兄様』に合うようにキャラ変すればいいだろう」


「……」


 いくらなんでも無理な話だ。確かに虎嗣の兄──竜胆卯条は『お兄様』と呼ばれるに値する気品と容貌を兼ね備えている。虎嗣と比べれば小さいが身長は充分に高いし、スタイルもいい。家紋を背負った魔術師用のローブだって、虎嗣よりよほど着こなしている。頭の回転が早く的確に仕事をこなし、周囲に迷いなく指示を出すスマートさもそうだ。


 だが、だからといってこの風体の男に『お兄様』呼びを強要するのは、いささか酷だ。ガキの頃からの慣例ならまだしも。虎嗣は幼い頃から今までずっとこの呼び方だから、むしろ「兄貴と呼べ」と言われても間違え続ける自信がある。兄の要求はおおかた最近見た漫画だかアニメだかの影響だろうから、この件に関してはどちらが先に飽きるか折れるかの根気勝負みたいなところもある。もっとも、教育の厳しい竜胆の家の中でそんな俗っぽい娯楽に触れている場面など見つかったらタダでは済まないだろうから、兄の趣味を唯一知っている自分と二人きりの時くらいは付き合ってやってもいいのではないか、と揺れる気持ちもないわけではないのだが。


 とはいえ、『お兄様』呼びがしっくりくる弟像がどういうものか、虎嗣にはさっぱりわからない。


 だから、虎嗣はいつもこういう結論でお茶を濁すのだ。


「……いや、俺は兄ぃに蹴られるのも悪くないと思ってるから、しばらくはこのままでいかせてもらうよ……」


「そうか。お前は本当に愚かな弟だな」


 卯条は特別落胆する様子も機嫌を損なった様子もなく、淡々とした表情と声色で返した。これもいつものことだ。兄は滅多に感情を表に出さない。


「それで、この惨事を引き起こしたのはお前か?」


 すると、卯条が手にしていた薙刀で部屋の中央を示した。ガラスのように薄く透き通った青色の刃が、滑らかに外の光を反射している。


「……っ!」


 虎嗣がその矛先に目を向けると、部屋には大穴が空いていた。天井も床も同様に、コンクリートが円形にくり抜かれたように崩れている。その大穴の中央にいたはずの虎嗣は、いつの間にか壁にもたれて気を失っていたらしい。天井が崩れてからの記憶がない。


「そうだよ! オレなんで生きて……」


 虎嗣は慌てて自分の両手を見た。鉄の薔薇で負傷した箇所には、丁寧に包帯が巻かれている。額に触れると、そこにも同様の処置が施してあった。血は既に止まっているらしい。


「仕事中にお前からの連絡が途絶えるのはそう珍しくないが、帰りが遅いのは珍しいだろう。様子を見に窓から覗いたらお前が天井の下敷きになりかけていた。だから突いた」


 言って、卯条が薙刀の青い刃を虎嗣の胸に押し当てる。


 卯条のアーティファクト──アウイナイトの薙刀は脆く繊細だ。ゆえに使用者の選り好みが激しい。しかし、適切な魔術師が使えば刃の形や硬度を水のように自由自在に変えることができる。つまり、卯条は部屋の窓からアーティファクトを差し入れ、刀身を伸ばしたのだ。刃を作らず棒状にし、虎嗣を薔薇の落下点から押し出した。


「……すみません。お手を煩わせました。……惣領」

「……」


 虎嗣がその場で片膝をつき頭を垂れると、卯条は無言のままに小さく息を吐き出した。やがて虎嗣に背を向け、アーティファクトの〈処理〉を解除する。深い青色の輝きが、彼の左耳に還った。


「……それで。諏佐三津丸の蒐集品はどこだ」

「あ、はい。それは──」


 虎嗣は周囲を見回した。すると、再び瓦礫に埋まって姿を隠してしまったらしい金庫の壁を見つけるよりも先に、虎嗣の視界に異物が入った。


「待って……待って、ください……」

「修治!」


 部屋の奥で拘束され芋虫のように転がされていた人影は、間違いなく鴉修治だった。口調も気配もすっかり元に戻った、正真正銘本物の鴉修治だ。


「起きたか。騒々しいことだ」


 卯条が修治のいる方に向き直り、流れる所作で青い石の耳飾りを刃に変える。


「お前が自分であの天井を落としたのでないなら、お前を潰そうとしたのはこの男ということだな? 虎嗣」


「いや……ちょっと待ってくれ、兄ぃ」


 虎嗣は慌てて立ち上がり、修治に近づいた。卯条のアーティファクトで壁際まで押しやられた際にぶつけたらしく、歩を進めるたびに頭が重く痛む。


 修治は後ろに回した両手と両足を、ロープで縛られていた。


「何がどうなっているんですか。……勝負だったんですよね、一対一の。なんで一人増えてるんですか。この家の有り様はなんですか。記憶が……私には記憶がないんです、あれから、何も……教えてください。決着はついたんですか。どうやってついたんですか。……信じたくないですけど、まさか、私のことを、」


 騙したんじゃないですよね。


 その疑念と怨みがましさが綯い交ぜになった一言を聞いて、虎嗣は確信する。


 ──あれは修治ではない別人だった。限りなく魔女に近い、何か。


 だが、虎嗣は修治の質問に何も答えない。懇切丁寧に自分が知っている限りの状況を説明し、自分が修治を騙そうとしていたわけではないと弁解できるほど、自分たちの関係は友好的なものではない。自分たちはあくまでも対立する魔術師同士で──そして何より今の虎嗣は、兄の前だ。


 竜胆の家の人間として、敵対する魔術師に肩入れするわけにはいかない。


「……なあ、一つだけ答えてくれ。お前、冗談でもいいからたまに女言葉使ったりするか? じゃなけりゃ、本当は男じゃなく女に生まれたかったとか」


「は……?」


 これには流石に、修治の瞳にも殺気が宿った。


「……こんな時に、ふざけないでください。時間稼ぎのつもりですか? あなた一体──」


「イエスか。それともノーか」


「…………ありません、けど」


 虎嗣の淡々とした語調に気圧され、修治が不承不承答える。……だったら決まりだ。


 虎嗣は兄の方を振り返り、迷いなくこう告げる。


「兄ぃ。こいつぁたぶん魔女だ」


「……何?」


「さっきから何を勝手な……!」


 二人が同時に虎嗣を見た。


「魔女が滅んだと言ったのはあなたの方じゃないですか!」


「……まさかとは思うが、馬鹿が頭を打つと狂人になるなどということはあるまいな」


「馬鹿呼ばわりならいくらでもしてくれて構わねぇけど、オレが兄ぃと同じ学校通ってんのだけは忘れないでくれよ。……それに確証ならちゃんとある。こいつ異様にアーティファクトの扱いが上手い。ついさっきまで魔術師と言霊師の違いも、竜胆の名も知らなかったような奴が、アーティファクトの〈処理〉だけは息をするようにやりやがる」


「……素人を装っていたという線は。お前を油断させるために」


「ないとは言い切れねぇ。でもそれだけじゃねぇ。こいつは俺を殺しにかかる時、女の言葉を使ったんだ。雰囲気も今とまるで違う。明らかに人格が変わってた。この部屋の天井をぶち落としたのだって、言葉遣いが変わってからだよ。……こいつの中には何かいる。こいつの人格以外の、全く別の人格を持つ何かが」


「……だとしてもだ」


 わずかな思案ののち、卯条が口を開く。


「ここに収容されているアーティファクトを我々が回収することに変わりはない。敵対者を迅速に処分することにもな」


 そう言って、卯条は修治の眼前の床に青い刃を突き立てた。修治が声もなく喉を強張らせる。


「死ねば魔女も人間も大差なかろう。それともお前は、この男を今すぐ火葬場に連れて行って、新たなアーティファクトを生成しようとでも言うつもりか? まあ、その程度の頼みなら聞いてやってもいいが」


「そうじゃねぇ。むしろ逆だっての」


 虎嗣は修治と卯条の間に身を滑らせた。


「……上手く言えねぇけど、ニオうんだよ。こいつは何か異様だ。ヤバい感じがする。……ほら、触らぬ神にって言うだろ」


「フッ、神か」


 卯条が皮肉げに笑った。この世の全てを怨み見下すかのような、その目。


 その目から苦痛も諦念も、残らず全て取り払ってやりたい。虎嗣たちの父親が死んでから、ただでさえ強かった卯条の「魔術師の義務」にかける思いは、いっそう強くなったように感じる。今まで動向を観察する程度で済ませていた諏佐三津丸の拠点に侵入し、アーティファクトを回収するという強硬手段に出たのも、そういった心境の変化が大きく関わっているはずだ。


 兄の肩の荷を下ろしてやりたい。だが、兄の心配事を取り除くのに一番手っ取り早い方法は、やはりアーティファクトの回収にほかならないのだ。


 優れた魔術師は、より多くのアーティファクトを管理する──竜胆の家の家訓であり、魔術師界の常識だ。


 だが実際は、使用者を選ぶのはあくまでもアーティファクトの側であり、他のアーティファクトが既に見初めた魔術師を、別のアーティファクトが選ぶことは決してない。一人の魔術師につき、扱えるアーティファクトは一つ──それゆえに、優れた魔術師は「魔術師を束ねる」。より多くの魔術師を束ね、統率し、新たなアーティファクトを回収して事故を起こさないよう管理する。竜胆家が名門とされるのは、その「魔術師としての権威」を昔から現在まで保ち続けてきた結果だ。


 だからこそ、兄は焦っている。先代の当主である父が死に、その跡目を継いだゆえに。


 父を殺した「アーティファクト」という存在を、心の底から怨みながら。


「魔女が神とは笑わせる。魔女こそが祟りそのものじゃないか」


 卯条が薄ら笑いを歪ませる。虎嗣は小さく唇を噛む。


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