第十四話
「……あの、諏佐さん、すみませんでした」
「んー? 何が?」
斜め前を歩く三津丸が、修治の声で振り返る。
「本当は……守りたかったんです。あなたの家も、事務所も、……宝石も。でも、結局どれ一つ……無事ではなかった。居住スペースなんかは、私のせいで壊れたも同然ですし……」
コンクリートの天井を落下させ、床を破壊し空間を下階まで貫通させてしまった。一階は空きテナントで被害者はいなかったが、客間も今は荒らされたままで足の踏み場もほとんどない。
だから修治は今、三津丸に連れられ、彼一人が取るはずだったホテルまでの道を歩いている。
「あー、いいよ別に」
だが、三津丸はあっけらかんと手を振って答えた。
「いやっ、よくはないでしょう! あの修理費も私にツケてくれて構いませんけど、今の私には支払い能力がありませんから……」
だから、結局あのビルの修理を負担するのは三津丸も同然なのだ。
「いや、魔術師ってのはとにかくアーティファクトの存在を秘匿したい人らの集まりなんだよ。宝石の姿であるぶんには普通のジュエリーと区別がつかないからいいけど、〈処理〉されて武器として使われてるところを一般人に見られたら終わりだって考えてる。もちろん竜胆の家もそうだ」
「はあ……」
「でさ、うちの部屋の天井がまるっと抜け落ちて床貫通してる状態って、まあ普通じゃないでしょ。あんなのが自然に起きたとしたらビル建てた人たちがとんでもないミスしたことになるし、かといって人為的に引き起こされたなら、それはそれで大事件だ。普通だったらニュースになるレベルだよ。でもうちのビルに関してはそうはならないんだ、絶対に。なんでだかわかる?」
「……魔術師がアーティファクトの存在を秘匿するから……ですか」
「せいか〜い。だからしばらくほっとけば直ってるよ。全部元の通りにね。それも相手は魔術師の名門、竜胆家なんだし。そういう裏工作は慣れっこだよ」
「そう……なんですか」
「そうそう」
とはいえ、いくら名門の竜胆家といえども、時間を巻き戻して全てを「なかったことにする」わけではないだろう。建物は元のように修理され、壊れて失われた家具類は同じような新品に置き換わるはずだ。
だとしたらそれは──客間にあった宝石も。
「……諏佐さんはそれで、いいんですか」
三津丸は歩みを止めない。
「怒って、ませんか」
竜胆兄弟が三津丸に対してやったこと。修治がそれを止めきれなかったこと。その責任の在り処を最後まで追及せずに、修治が「やめろ」と割って入って争いを終わらせたこと。
あの人たちは確かに悪人ではないけれど、そして、アーティファクトに関わる人間の常識としては当然なのかもしれないけれど──ものを壊すことに躊躇しない。
「私は昔──小さい頃に、とても大事にしていた人形がいたんです。どこへ行くにも一緒だったから、だんだん腕の縫い目がほつれてきて。それがまるで怪我をしたように見えてしまったんですよね。それで両親にどうにかできないかと頼んだんですが、父も母も縫い物は全くと言っていいほどできなくて。『新しいものを買ってあげるから』と諭されても、子供にとってはそういう問題じゃないでしょう。友達が死んで二度と帰ってこない、みたいな──そんな気持ちで。それで泣く泣く祖父のところへ行ったんです。そうしたら、すごくきれいに繕ってくれました。そして涙目の私の頭を撫でてこう言ったんですよ。──『ものを大事にできる奴は同じように人も大事にできる。修治、おまえは優しいいい奴だ』って」
言いながら当時の感触を思い出し、修治は少し照れ臭くなって笑った。大事な記憶だったはずなのに、もうずっと忘れていた。
「私は虎嗣さん──くんでいいのかな。虎嗣くんと一対一で戦ってる時、諏佐さんにいいように騙されてるんじゃないかと言われて、あなたのことを信用できなくなったんです、少しだけ。……でも、諏佐さんは私が強盗した時、怒ってたじゃないですか。諏佐さんはアーティファクトだけじゃなくて宝石も好きで、私が宝石を傷つけかねなかったことに怒っていた。……だから諏佐さんはものと同じように人も大事にできる人なんだろうと思って──信用し直したんです。もう少しあなたのことを信じてみようって。でも、私が魔女に身体を乗っ取られてる時、あなたは言いました。竜胆兄弟も魔女も、この際全員殺すのはどうだと。竜胆兄弟のアーティファクトを置いていけと言って、魔女の脅威を盾に脅して。──私は正直あなたのことが、よくわからなくなっています。あなたを信じることが正しいことなのか愚かなことなのか、その中間でずっと揺れてるんです」
「……言葉の綾だって」
三津丸は繕ったような声で言った。
「それはそうかもしれません。あんな一触即発の空気ですから、思ってもないことも過激なことも、簡単に言えてしまうんだろうとも思います。──だから、私は思うんです」
修治はそこで言葉を切り、足を止めた。
「アーティファクトなんてものがなければ、こんな傷つけ合いも奪い合いも、実は起きないんじゃないかって」
その瞬間、三津丸が足を止めて修治を振り返った。目を大きく見開いて、親に見捨てられた子供のようだった。
──ああ、この人は、傷つくだけの心をちゃんと持っているのか。
「本気? 修治さん」
三津丸は言った。口だけが笑った形をしていた。
「本気ですよ。私は冗談なんて、いくら考えても言えませんから」
「俺から盗ろうっていうの?」
随分嫌な言い方をする。修治は少しだけ苦笑した。
「それは正直、わかりません。今はまだ。……でも、魔女の思念に触れてみて、少し思いました。アーティファクトになった魔女だって、いつまでも人を呪いたいわけじゃないんじゃないかって。本当は解放されたいんじゃないか──だったら私は、アーティファクトの中の魔女を弔いたい。魔女の思念を送るべきところに送って、できることなら、アーティファクトという宝石から武器という性能を奪い去りたい──そのために、私は魔術師になる道を選んだんです。アーティファクトという存在に触れ続ける道を。これだけは、はっきり言えます」
その間、修治は三津丸の目だけを見ていた。誰かの目を見て、面と向かって自分の意見を表明するなんて、もしかしたら人生で初めてのことだったかもしれない。数時間前までの自分だったら考えられない。でも、今の修治にとってはとても自然なことだった。
百パーセントの信頼なんか置けない。でも、信じてみたい。信じさせてほしい。
修治にとって、諏佐三津丸はそんな人間だ。
「──いいよ」
ややあって、三津丸は言った。弱々しく──でも今度は目でも笑って、少しだけ寂しそうに。
「じゃあ修治さん、俺たち今日から手を組もう。俺と修治さん二人でアーティファクトをたくさん集めて、それで──」
最後には、修治は三津丸とさえ対立することになるのだろうか。
互いの譲れない信念をかけて、集めたものを奪い合って。
「その頃にはきっと、いい相棒になってますよ。私たち」
三津丸に歩み寄り、修治は差し出された手を取った。その宝石のような目を見て、笑いかける。
「だから今は、一緒にいましょう」
それは祈りであって気休めでしかないかもしれないけれど、修治の嘘偽りない本心だ。
やがて、三津丸は破顔した。修治の手を、しっかりと握り返して。
「うん。ありがと、修治さん」
どちらからともなく手を離し、三津丸が言う。
「じゃ、帰ろっか」
「行き先はホテルですけどね」
「細かいことは気にしな〜い!」
三津丸が飛び跳ねるように先へ進むので、修治は苦笑しながらその後を追いかけた。