第十二話
『魂を無垢に器を空に 魔を濯ぎ真を注げ 白水晶』
馴染みのない声が朗々と響いた。次の瞬間、修治の胸を透明な六角柱が貫いた。
「が……ッ⁉︎」
口から空気の塊を吐き出すとともに、修治の上半身が大きく仰け反る。その目は驚きに見開かれている。
「はーい、どうもどうもこんばんは。みんな大好き言霊師こと諏佐三津丸の登場で〜す。拍手でお迎えくださ〜い」
自分で手を打ち鳴らしながら部屋に足を踏み入れた三津丸は、ぐるりと自分の家を見回した後、「それにしてもヒドいね、こりゃ」と苦笑した。
「修理費用と似たようなビル一棟買うの、どっちが安上がりだと思う?」
絡みついた植物がみるみるうちに力を失って崩れ去り、首を絞め上げられていた虎嗣はその場に崩れ落ちて噎せた。……助けられた。敵に。まして言霊師に。
その時、虎嗣の視界の外で魔女が掠れた声で叫んだ。
「嘘だわ……なんで貴方が、こんな──」
『白水晶』
魔女の言葉を遮って、三津丸が指先から新たな六角柱を射出した。目にも留まらぬ速さで飛んだそれが、今度は修治の額に突き刺さる。魔女は口を開けたまま声を失い、天を仰いでから力なく項垂れた。もう指先ひとつ動かない。
虎嗣はしばしの間、言葉を失った。
「…………テメェ、仮にも自分とこの魔術師を……!」
「別に殺したわけじゃないって。これだから魔術師はイヤなんだよな〜」
三津丸がこれ見よがしにため息をつく。
「下に見すぎて眼中にもないってね。傲慢甚だしいよ全く。言霊師ってのは君ら魔術師と違って宝石そのもので攻撃するんじゃない。宝石に割り振られた言葉の力を借りて、自分の言葉を強化する技術者のことだ。宝石にはそれぞれ石言葉ってのがある。ガーネットなら『真実』、水晶なら『浄化』、エメラルドなら『愛』──ってな具合にね。しかも一種類の宝石につき一つの言葉が宿ってるってわけでもない。状況に合わせて適切な石と言葉を選択して、それらを共鳴させる。すると、俺の言葉は言霊となって現実世界に作用する」
言って、三津丸は修治の額を指さした。
「つまり、今の君たちに見えてるのは宝石じゃなくて俺の言葉なんだ。宝石という姿形を借りて現実に縛りつけた言葉そのもの。修治さんには傷ひとつついてないよ。……つけるわけないじゃない、傷なんて。修治さんは俺の大切な人だ。誰にも渡さないし触れさせない。傷つけた奴は残りの一生捧げたって許さない」
そして三津丸は修治の傍らに歩み寄って膝をつき、その肩を優しく抱き支えた。指先で修治の顎をゆっくりと持ち上げる。
それから耳元に口を近づけ、三津丸が言った。
「──たとえ精神に巣喰った魔女でもね」
「ッ……!」
気絶していたはずの修治が弾かれたように顔を上げ、三津丸を突き飛ばそうと身を捻るが、三津丸はいとも容易く突き出された手を掴んで止めた。
「おっとぉ、想定よりも元気だなあ。……でも狸寝入りは想定内。君にはまだ起きててもらわなきゃ困るからね。天下の魔女様が、あの程度の出力で沈むわけないんだなー」
言って三津丸は掴んだ修治の手首を起点に、抵抗する魔女の身体を押さえ込み、反対の手で口を塞いだ。
「こうでもしないと、またいつ呪文を使われるかわかんないからね」
三津丸の腕の中に収まった魔女の瞳は、確かに未だ闘気をはらんでいた。少なくとも「鴉修治」のする表情ではない。だが、二度も水晶を打ち込まれて疲弊しているのだろう、すぐに全身から力を抜いてぐったりとする様子は、呪文とやらを使えるほど力を残しているとは思えなかった。実際、一発目の水晶を打ち込まれた段階で、虎嗣たちを縛っていた魔女の蔦は崩壊したのだ。
「……随分と魔女に詳しいようだが」
同じような疑念を抱いていたらしく、卯条が口を開く。
「そりゃ、魔女の末裔ですから。魔女に関する資料は一通りさらったよ。……ま、それも今は燃やされちゃって塵と化してんだけど」
「……魔女の末裔か……」
眉唾ものだと言いたげに、卯条が低く呟く。末裔というからには魔女狩りの時代からその血が絶えずに続いているわけで、単純に考えればアーティファクトを管理する役目を背負った竜胆の家系よりも、その歴史は長いはずだ。だが、竜胆家の教育を受けてきてなお、魔女の血が現代まで続いているといった話を、虎嗣は聞いたことがない。
「じゃあ、そろそろ取引といこっか、竜胆家のご兄弟」
判断がつかずにいると、三津丸がひときわ明朗な声で言った。
「見ての通り、修治さんの身体にはまだ魔女の意識が宿ってる。それで俺は今すご〜く悩んでるんだよね〜。……この水晶を全部抜いちゃうか、もう一発ぶち込むか」
三津丸の態度には終始、緊張感がなかった。こちらも魔女との戦闘で疲労が蓄積しているとはいえ、状況としては二対一。魔女相手ではアーティファクトも使えなかったが、三津丸に対してアーティファクトが攻撃を拒むとも思えない。いつ自分たちが数の優位につけ込んで襲いかかるとも知れないのに、この余裕はどこから来るのか。
一方的な言葉のぶつけ合いにならないだけマシだが、これでは魔女と対峙しているのと大して変わらない、とすら虎嗣には感じられた。三津丸の思考も感情も、あまりにも判然としなさすぎるのだ。心の輪郭というものを、この男からは感じない。
「つまり、その水晶を抜けばまた魔女が暴れ出すと?」
「だね。まあ多少のダメージは残るだろうけど、言霊ってのは魔術師の皆々様が思っていらっしゃる通り、攻撃手段としてはそこまで強力じゃない。まあ祈りみたいなもんだと思ってよ。怒って暴れる神や精霊に丹精込めて祈りを捧げれば、多少は向こうも溜飲を下げる。でも人々がまた信仰を忘れたら、そん時は前以上に暴れるだけだ。封印にも近いかもね。楔がちゃんと打ち込まれてる間は動きを押さえ込めるけど、一本でも抜ければ基盤から崩壊する。今は弱ってるように見えても、その実体力を削ってるわけじゃない」
言って三津丸は、魔女の身体を押さえつけていた手を離し、額に打ち込まれた水晶の先端に触れた。ネジのように指先で摘んで回転させたり、軽く押し込んだりして遊ぶ。
「アーティファクトに宿った魔女の思念は怨念ベースだからね、割合単純なんだよ。これだけ俺にコケにされたんだから、たぶんだけど逆上して暴れちゃうと思うんだよね〜、もしも解放されたら。昂ぶった感情のぶんだけ魔力は膨れ上がるだろうし、目についた人間は見境なく攻撃しちゃうかも。なんでかわかんないけどそっちお得意のアーティファクトは通用しないみたいだし、自分たちだけ逃げるのでも大変かもね」
卯条は呆れたようにため息をついた。
「……脅しは結構だ。要求をはっきりさせろ」
「訊かなくたってわかってるでしょご当主様。……ここから大人しく立ち去ってよ。二度と襲うなって言わないだけでも俺の優しさだよ? もっとおまけしてこの部屋と俺のアーティファクトも元通りに片付けなくていいことにしちゃう。だから全部置いてってよ。……文字通り、全部ね」
三津丸は水晶を弄ぶ手を止め、自分の耳たぶを指でトントンと叩いた。
「……おい、それって、」
卯条のアーティファクトも置いていけ、と三津丸は言っているのだ。無論、全部と言うからには虎嗣のアーティファクトも頭数に入っているだろう。だが、自分のなんてこの際どうでもいい。何なら三津丸だって虎嗣のことはそこまで眼中にないだろう。
彼の狙いは、ほかでもない卯条のアーティファクトだ。
「渡せるわけねぇだろ! 兄ぃのアーティファクトは、一族が代々──」
「待て。虎嗣」
卯条が手で虎嗣を制する。兄の指示である以上、虎嗣は口を閉ざすほかない。
「だが解せないな。魔女を解放すれば貴様も魔女の怒りに巻き込まれることになる。無論我々も、魔女に攻撃を仕掛けられればその男の身体ごと魔女を攻撃する。その修治という男は、貴様にとって大事な人間なのだろう? 貴様とて脅されるだけの弱みは持っているはずだ、要求を簡単に通せるほどそちらが優位だと思わないことだな」
「君たちが魔女との戦闘を選択するなら、俺は君たちの攻撃から修治さんを守るし、魔女の攻撃から自分自身を守ってみせるよ。それで、君たちが死んだ直後に水晶を三発入れて魔女から修治さんを救い出す」
「机上の空論だな」
卯条は鼻で笑った。
「口ではどうとでも言える。貴様が我々魔術師よりも魔女に強く出られることは認めてやってもいいが、乱闘となればこちらも貴様を害することを忘れるな」
「魔術師は言霊師より攻撃の面で強く、魔女は魔術師に対して優位に動ける。でもその魔女は言霊師の力によって封殺される──まるで三すくみだね。……でもそれって、俺がただの言霊師だったら、の話でしょ?」
「……何?」
「俺はアーティファクトを好き好んで使わないだけで、〈処理〉自体はできるってこと。つまり俺は言霊師の技術を備えた魔術師なんだよ。今話した三すくみの構造で言うなら、俺は魔女の呪文を封殺しながら君たち魔術師のアーティファクトによる攻撃にも対応できるってことだ。……これでもまだ君たちは自分の勝算を見出せる?」
「口だけで根拠がない。そのような出まかせを信じるとでも思ったか?」
卯条は唇を歪ませ、笑った。
「己のアーティファクトに気に入られなければ、魔術師はアーティファクトを〈処理〉できない。言わば魔術師はアーティファクトにとっての『話し相手』だ。己の声に耳を傾けてくれる唯一の存在と言っていい。ゆえにアーティファクトを所有する魔術師は、アーティファクトを肌身離さず身につけて手放さない。魔女の思念に気に入られ続けるためにもな。だが貴様はどうだ。貴様の身体のどこにアーティファクトが飾ってあると言うつもりだ?」
「うるさいなあ〜傷つけたくないから家に大事にしまってあるんだよ。そういう時だってあってもいいじゃん別にさあ〜」
「言っておくが、『待った』はなしだぞ言霊師。今ここで己が力を証明できないのなら、貴様は交渉の卓に着く資格すら持たない」
卯条は言い、床に突き立てていた薙刀を引き抜いた。虎嗣も自身のアーティファクトを〈処理〉して続く。
「証明かあ。……じゃ、こういうのはどう?」
三津丸はわずかに視線を彷徨わせたのち、卯条を指さして好戦的にこう告げた。
「もうめんどくさいから今ここで、君たちも魔女も全員殺すってのは」