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 藁にも縋る気持ちでここまで走った。結果は随分前から分かっていた。それでも、それでも自分の考える最悪の事態は免れていて欲しかった。

 少し前にも見た、戦いが終わった後の雰囲気。味方が潰滅させられていることがよくわかる。

 自分の体から力が抜けていくのが分かる。耳に自身の心臓の音と周囲の木々を揺らす風の音しか流れてこない。世界が酷くくすんで見える。

「大佐……」

 最初はゆっくりとした足取りで、徐々にその足を早めて私は必死に大佐を探した。

 まだ到着していないのかもしれない。そんな淡い期待を心に持ちつつ、頭ではそんなわけがないことを分かっていた。

 涙なんてとっくに出ないようにされてるのに、なんとなくわかる。きっとこの感覚は涙を流している。心臓が痛くて眼頭に力が入る。上手く呼吸ができなくて足が上手く前に運べない。

 大佐を探したのはほんの数分の出来事。私にはその数分が数時間に思えた。私がやっとの思いで見つけた大佐は私の知っている大佐ではなかった。

 目は固く閉じられ、四肢は力なく投げられている。洋服の至るところに血痕があって、それが返り血じゃないことはすぐに分かる。

「うそだ…」

 思わず漏れたその言葉はわずかに漏れたものであり、声帯を震わせるのに最小限の空気量だった。ヒュッと音を立てて肺に空気を送り込む。体の温度がどんどんと下がっていく感覚がする。

 なんとか動かした足で大佐の傍らに座り込む。

 いま、私はこれ以上なく元帥を恨んだ。なぜ、私から涙を奪い取ったのか。私は自分に夢を見せてくれた人の死さえも涙で弔うことが出来ない。

 私はそっと大佐の手を取った。手の感覚はないのに大佐の手の冷たさが分かる。もう、この手が私の頭の上に乗ることはない。あのぬくもりを取り戻すこともない。あの笑顔を見ることもない。

 いつも困ったように笑う、あの顔を見ることもない。結局、私は大佐にその顔しかさせられなかった。

 ふと私が握った手の反対の手に何かが握られていることに気が付いた。そっとソレを取り出すと、ソレは私のチョーカーを外す為の鍵だった。

 大佐は亡くなる直前まで、私のことを想ってくれていたのだ。

 昨日、真剣な目をして「幸せになってもらいたい」と言った大佐を思い出す。

 大佐がいないこの世界は、何とも滑稽でつまらなくて色がない。悲しさを通り越して笑いがこみ上げてきた。

 私は空を仰いでひたすら泣くように笑い続けた。武器に涙はいらない、そう言われて奪い取られた涙は笑い声に変わって空に吸い込まれていく。

 頭の上に被っていたフードが肩にはらりと落ちる。はぐれ者がバレるからと頑なに外すことがなかったフードが外れても、私は笑い続けた。

 世の中には笑い泣き、ということがあるそうだ。大佐が教えてくれた。

「いつか、アレッサが笑い泣きできる日が来るといいな」

 大佐が柔らかく微笑みながらそう言ってくれた。きっと私の今の状況は笑い泣きだろう。

 そんな私を憐れんでなのか同情してなのか、空は雲が分厚い曇天だった。

 ようやく笑い終わった私は自分の首からチョーカーを外した。

 これで自由だ。これで234号ではなくなった。正真正銘のアレッサになれた。

 私はゆっくりと立ち上がる。大佐が亡くなった今、私はもうこの世界を美しいと思うことはない。この世界で自由になったところでまったく嬉しくない。この世界で大人になっても幸せになれない。生きる理由はすべて失った。

 でも、やることはある。

 左手から苦無を出して、後方に投げて問うた。

「これで満足か、手紙屋」

 どうせ私の投げた苦無はこいつには効かない。避けられてるのがオチだ。

「へぇ、大佐殺したら闘う気力無くすかと思ったのに」

 手紙屋の方を振り返ると相変わらず帽子を目深に被っている。しかしいつもと違うのは眼帯を外していることだった。

「だから言っただろ、戦争から手を引けって。お前さんたちの国絶対負けるって、分かってたから知り合いのよしみで忠告してやったのに聞かねぇんだもん。だって俺みたいなのがあと二十人くらいいるんだもん。あ、俺みたいなのって…」

「人体改造、だろ?」

 手紙屋の一人語りを遮ると、心底不機嫌そうな顔をした。

「お前の改造場所は目だ」

 私はアサルトライフルを取り出して撃つ。そのタイムは一秒にも満たない。なんて言ったって一秒を越せばチョーカーを締められて呼吸ができなくなってたんだから。

 それなのに手紙屋は余裕そうな笑顔を浮かべている。

「そう、俺の目はどんな弾道だって見切れる。つまり、投げ物しか使ってこないお前は俺の 餌食ってこと」

「なるほど、いい読みをする」

 私はアサルトライフルを背負いなおした。私はお前が好きだったよと言うように背負ったアサルトライフルをポンポンと軽く叩いた。

「だけど、誰が投げ物しか使わないって?」

 私はその言葉と同時に地面を蹴り、手紙屋との距離を一気に詰めた。鉤爪を装着した右手を手紙屋の前で振り上げ、彼が目深に被っていた帽子をはたき落した。

 彼の髪色を見て確信した。彼も私と同じはぐれ者だ。

 二人の間にわずかに静寂が流れる。

 私の攻撃の衝撃でわずかに後ずさり、地面に片膝をついている彼を見下ろす。その顔には、困惑と恐怖を感じる。

 彼には勝てる。そう確信した。

 だが私は負けなくてはいけない。彼に捕まらなくてはいけない。

「確かに私は銃とかの扱いが上手い。成績も良かった。だけど接近戦が出来ないなんて一言も言っていない」

 私は今度は左手からダガーを取り出して切りかかる。さすがに彼も今度は反応して腰に着けていたファルシオンを引き抜いて応じてきた。

「お前…どっから武器…出してんだ…」

「さてね」

 私は足の鉄板を彼の脇腹にクリティカルヒットさせた。肋骨の下側を狙ってあげたから骨は折れていない。でも、内臓に相当なダメージが入ったはずだ。

 少し遠くに吹っ飛んだ彼は、蹴られた脇腹を抑えながら苦痛の表情を浮かべている。

 さて、ここからどうやって負けようか。

「おまえ、シュバルのスラム街にいただろ」

 彼は脇腹を抑えながらなんとか立ち上がった。正直、だからなんだという気持ちだ。軽く首を傾げていると彼は言葉を続けた。

「スラム街の東、青色のトタン板でできた家に住んでた」

 脇腹の痛みが和らいだのか手をおろした。内臓へのダメージは時間差で来るのを彼は知っているだろうか。

 青いトタン板の家に確かに住んでいた。雨も風もしのげる絶好の家だと思っていた、当時は。本物の家を見た瞬間に、隙間風は入ってくるわ雨漏りは頻繁にあるわ、隣の家に住んでる人が暴れたら組みなおさないといけない、あの家が家じゃなかったことに気付いた。

 それでも、物心付いた時からあの家にいた。誰がなんと言おうと、あれが私の家。

 とはいえ周りにも青色のトタン板で作られた家はいくらでもあった。彼の言っているのが本当に私の家だったとは限らない。

「隣の家の奴が癇癪持ちで度々家が壊れてた」

 私は少しだけ身を固くした。

 彼は誰だ。なぜ知っている。

「あんなにひょろくて、何取ってもうんともすんとも言わなかったお前とこんなところで再会するとはな」

 思い出した。スラムに住んでいた時、ことあるごとにちょっかいをかけてきたやつがいた。私がどんなに頑張って食事を見つけてきてもいつも三人くらいの男に奪い取られてた。恨みはすれど、スラムは基本が弱肉強食だったから文句はなかった。

 今度は私が動揺した。心の中を「なぜ?」が埋め尽くす。そのせいだろうか。銃を取り出した彼にうまく対応できなかった。

 右足からショートソードを出すつもりが、左足からメイスを出してしまった。

 ああもう。メイスだと重くて振り回すの大変だし、ソードよりも幅がないから弾はじきにくいし、失敗した。現に彼の放つ弾が腕やら肩やら頬やらを掠っている。

 なぜ彼がシュバルのスラムについて知っているのか。

 シュバルのスラム出身なのであれば、なぜイーストデンの軍隊にいるのか。

 シュバルとイーストデンはもともと仲が悪いのも相まって国境を超える際は厳しい検問がある。例えばイーストデンのおえらいさんがそこを超えてシュバルのスラムに来た、というのであれば話は通るが、そんな危険を犯す必要がどこにあるのだろうか。

 余計なことを考えていたからだろうか。メイスではじいた弾が横たわる大佐の方に行ってしまった。大佐の体に更に傷を増やすわけにはいかない。

 あぁ、こんなことになるなら手紙屋に話しかける前に埋葬すれば良かった。いや、果たして私にそんなことができただろうか。きっと無理だ。

 大佐の体に傷が増える、そう思ったらとっさに手が出てしまった。はじいた弾が私の右腕に入った。最後の弾だったのか彼からの発砲も止まった。

「おいおい、それじゃあもう右腕が使いものにならないじゃないか」

 彼が高笑いをしているのが聞こえる。勝ちを確信したのだろう。

 確かに弾の入った場所が悪いのか右手を閉じたり開いたりすることができない。

 私が腕の調子を確認していると、彼の高笑いが止まった。ようやく気がついたらしい。

「うん、この腕使い物にならないな」

 そう言って私は右腕を肩から引きちぎった。使い物にならないものをぶら下げてるより、捨ててしまったほうがよっぽど動きやすい。

「は?」

「何?」

 手に持っていた、さっきまで自身の右に付いていた腕だった物を脇に投げ捨てた。これで鉤爪が使えなくなってしまった。もう私の武器は左手のダガー、右足のショートソード、左足のメイス、あとは背中に背負ったアサルトライフル、マントの内側に入れてある投げ物がいくつか。

 マントの内側の投げ物とアサルトライフルは、こいつが相手じゃ使い物にならない。そう判断した私はそれらを右腕だったものと同じところに投げ捨てた。

 対面している彼の顔に畏怖が浮かぶ。

「どうなってんの、お前」

「別に?そっちの国がしてるように私も人体改造されただけ」

 より多くの武器が持てるように、替えが利くように、私の四肢は義肢にされた。それぞれの義肢に隠し武器が入っていて、簡単に取り出せるようになっている。

 今でこそ普通に生活出来ているが、四肢のすべてを義肢に替える手術は、それはそれは大変だった。何人の仲間が手術に耐えられなくて命を落としただろう。

 私も痛くてたまらなかった。痛い上に高熱も出る。それなのに元帥は休むことを許さなかった。少しでも成績が下がれば食事の毒が増えるか、食事が出ない。もしくは鞭打ちの回数が倍になるか。

 よくもまぁあんな生活に耐えることができたと思う。毎日地獄だった。何を許されたかったのか分からないけど、許して欲しかった。

 でも、もうきっともうすぐで全部許される。

 後方に二人、手紙屋の奥に一人。おそらくこちらに銃を向けている。殺気が少しだけ自分に突き刺さる。ここで確殺するつもりか、それとも捕虜にするつもりか。

 個人的には捕虜にしてくれた方が嬉しい。とはいえおそらくここに集まっているのは手紙屋と同じように人体改造された人間だろう。それであれば、仕留めておくに越したことはない。距離は問題ない。私の範囲内。

「ははははは」

 片方が動けば双方が動き出す、緊張状態が続いていた中で、突然手紙屋が笑い始めた。

「何がおかしい」

 私は顔をしかめた。

「いやいや、両国いがみ合ってる癖にやることは一緒なんだと思って?」

 あ〜お腹痛い、と言いながら彼は私になぜイーストデンの軍隊にいるのか教えてくれた。


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