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彼女と初めて会ったのは、シュバル南部の反乱を制圧した時。武勲を称えて褒美を与えると元帥直々に言われた時は、最初は恐れ多すぎてと肝が冷えてしまった。
しかし、元帥の部屋に入って鉄格子を見た時、やられたと思った。
ずっと、噂には聞いていた。元帥がイーストデンに勝つために、人体改造をしていると。その噂が本当だったのだ。
事の発端はシュバルの国王を支える、五元帥の1人、騎馬隊の元帥が「どれほど馬が優秀でも、人が優秀でなくては意味がない」と発言したこと。
シュバルには五人の元帥がいる。立法の元帥、司法の元帥、騎馬隊の元帥、騎士団の元帥、海軍の元帥。この五人を纏めて五元帥と呼んでいる。元々は騎馬隊、騎士団、海軍は武力の元帥として1人だったのだが、先日レガルドの戦いにて騎馬隊が必要になり設立されたのだ。
シュバルの北東には元々、レガルドという国があった。レガルドはどちらかと言うとイーストデン派の国だった。もしこのままイーストデンに戦いを挑んだとしたら、シュバルは挟み撃ちに合い袋叩きにされる事は目に見えていた。だったら、レガルドが完全にイーストデンに落ちてしまう前に叩いてしまえ、という考えの元今回の戦が開戦された。
3ヶ月ほどの戦いの末、無事に統合に成功したのだが、こちらの被害もそれなりのものだった。しかも、その被害の大半は騎馬隊による落馬が原因の被害だった。
レガルドとシュバルの間には山脈が横たわっており、そこを超えるのが最大の難点だったのだ。そこを騎馬隊は優秀な馬を育て、見事乗り越えて見せた。しかし、人間の被害は絶大で騎馬隊はほぼ壊滅状態になって仕舞ったのだ。
騎馬隊の元帥が嘆いたのを騎士団の元帥が耳に入れ、ひとつの考えを思いついた。それが「武器に耐えられる人間を作ればいい」という考えだった。
実際問題、騎士団は時代の流れで剣から銃を扱うようになった。しかし銃には反動がある。それは銃の火力が強くなればなるほど、比例して反動も大きくなる。それに追いつけず、技術的にはもっと強い武器が作れるのだが扱えずにいた。
だったら、扱える人間を作ればいい。なんなら、その人間自体が武器になるようにしてしまえばいい。
そんな考えが元帥たちの間で広がった。強い人間を作れば、イーストデンに打ち勝つ手段にもなる、そうも考えていたらしい。しかし、人を武器にするなんてそんな非人道的な行いが表に出れば市民たちの反感を買い、暴動が発生することなど容易に想像できた。だから元帥たちはかなり秘密裏にそれを行なっていたらしい。とはいえ、人の口に戸は立てられない、という言葉もある通り、噂はそれなりに出回っていた。ただ、元帥たちに問いただしても「そんなこと知らない」と白を切るばかりだった。
自分もそんなことが行なわれていると思いたくなかった。信じたくなかった。
だが、いま。目の前で。1人の少女が光のない目でこちらを見ている。目が合った時、あぁ噂は本当だったのだ、そう思わざるを得なかった。チョーカーを渡された時、逃れられない運命なのだ、そう思いこんだ。
彼女を引き取った後、彼女に美しい魂という意味のアレッサと名前をつけた。彼女にそれを伝えると「皮肉ですね」そう言って悲しそうに言った。そして、彼女の体の秘密を聞いた。まさかそこまで恐ろしい事を元帥が考えている事に驚いた。あの人たちはもう人ではない所まで落ちてしまった。
大人の事情でたった一人の少女の人生をここまで破壊してしまったことが、酷く申し訳なくそしてみじめに感じた。たった1人の少女も守れず何が市民を守る騎士団だ、と。
この時に私は、イーストデンとの戦争が終わったら必ずこの少女を幸せにすると心に決めた。
「234号の調子はどうだった」
「問題はなかったです」
「そうか」
試運転として投入された先の戦でのアレッサの戦績を元帥に報告するために、皮肉にも彼女と出会った時と同じ立ち位置で、私はまた元帥と対面している。
そう、シュバルがアデルを襲ったのはアレッサの試運転のため。
もちろん、怪しい動きがあったのは事実。しかし、以前のシュバルであればそんなことでアデルに攻撃を仕掛けるなんてことしなかったはずだ。
シュバルはイーストデンとの戦いの準備は万端だった。だけど、切り札であるアレッサが本当に戦場で思った通りの動きをしてくれるのか、元帥たちは少し怪しんでいたのだろう。私が問題なかったことを伝えると、元帥は長い髭の間から歯をのぞかせながらにやりと笑った。
「イーストデンが我らの宣戦布告を受け入れた」
それがどういう事か分かるだろう?と言いたげに片方の眉毛を上げて顔を見られる。
いよいよだ。
私は生唾を呑み込んだ。背中には変な汗が流れる。何度経験しても、開戦前は緊張する。
「君は本当にいい人材だ。だからこそ234号を託した」
元帥は立ち上がってゆっくりと口を開いてそう言った。
「だからこそ、君を失いたくは無いんだ。いい人材だからな」
この人は何が言いたいのだろうか。私は首を傾げることしかできない。ただ、褒められているだけではないことは分かる。元帥もまとう空気はそんな優しいものではない。
窓から外を見ていた元帥が私の方を振り向きながら、こう言った。
「最悪、あれを捨てて逃げ延びて来なさい。時間は掛かるが、あれと同等の物はすぐに用意する」
体が熱くなったのを感じた。これが怒り。これが憤りというやつか。
体とは反対に脳みそは妙に冷静だった。私は元帥に殴り掛かりそうになったのをグッと堪え、頭を下げて部屋を出た。
扉の前で立ち尽くしてしまう。自身の手が強く握られワナワナと震えているのも分かる。ここまで非人道的な人間だとは思わなかった。
「軍人たるもの冷淡であれ」
これが教えだった。戦場でいちいち感情的になっていては生き残れない。感情で左右されていては、勝てる戦も勝てない。それは軍人に鳴るものが一番に頭に叩きこまれる事だった。
もちろん、私もそれをやってきたがどちらかと言うと苦手な分類だった。それでも、大佐というくらいになることは出来たのだ。
完全に人としての感情を捨てなくとも大佐になれる、これが私の誇りだった。その誇りをいま、踏みにじられた気分だった。
「大佐、そんなに手を握っては危険です」
急に掛けられた声に、私は勢い良く自分の右側を向いた。
「アレッサ……」
「大佐、私は234号です」
彼女の言葉に更に心がグッと突き刺された。彼女はここで名前を名乗る事も許されない。番号で呼ばれるのが当たり前になっている。
アレッサは強く握った私の手をそっと持ち上げ、指をひとつひとつ開いて解放していく。
「私は、その作戦で構いません。大佐だけは逃げてください。そのように設計されていますから」
その言葉に、また憤りを感じた。これはアレッサに対してではない。不甲斐ない自分に対しての憤りだった。
「ダメだ。そんな作戦絶対に許さん」
私の言葉に今度はアレッサが勢い良く顔を上げる番だった。なにか言いたそうにしていたが、それを無視して私は歩き始めた。
冷淡でなくとも、戦場で感情が動かされても、それを馬鹿にされても、軍人の風上にも置けんと言われても、それが私の誇りだった。
私は一度だけ壁を殴った。周囲が驚いている。それもそのはず。普段の私はこんなことしない。私は壁に向かって小さく独り言をつぶやいた。
「誇りを曲げる事だけは絶対にしない。絶対に」