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「なぁ、坊や」

「ン?なに?おじさん」

 いつもと同じように手を繋いで、スラム街を歩いていたときに不意に言われたことを覚えている。

 その時のおじさんはいつもと変わらなかった。いや、俺が気が付いてなかっただけでおじさんの中では何か違ったのかもしれない。

「ここはスラム街だ」

 おじさんは神妙な顔をして話始めた。幼いながらに大事なのは話をされるのがわかったらしい俺は真剣におじさんの話を聞いた。

「うん」

「明日の命もわからないスラム街だ」

「そんなことわかってるよ」

 俺がちょっと憎たれ口調で言うとおじさんは俺の方を見て、そうだなと頭を乱暴に撫でたんだ。ちょっと嬉しかったよ。

「もし仮に、本当にもしもの話だ。俺たちに何かあったら、あの子を頼んでもいいか?」

 おじさんの言ったあの子がお前だってことを俺は瞬時に理解した。それと同時におじさんとおばさんがいなくなる未来が想像できなくて、なに言ってんだ?とも思った。

 確かにおじさんはスラムで生きていくには優しすぎた。だけど、人としては最高の人だった。だからこそ、おじさんの周りには助けてくれる人もたくさんいたんだ。その分喧嘩ふっかけられてたけど。

 助けてくれる人がたくさんいる人が死ぬなんて考えられなかった。でも今になってわかるというか、理解できるけどやっぱりおじさんはスラムで生きていくのに向いてなかったんだろうな。

 その優しさを利用するやつもおじさんの周りにはたくさんいたさ。

 おじさんのその言葉に俺は素直に頷けなかった。なんで俺が、なんて言ったよ。

 そうしたらおじさんなんて言ったと思う?

「そうか、構わないよ。でも、坊やの本当に気が向いたときでいいんだ。あの子は僕たちにとっての宝物だからね。はぐれものとして生を受けさせてしまったのは申し訳ない。だからこそ、これから先歩むあの子の人生は幸せであってもらいたいんだよ」

 その時の俺は言葉の半分も理解できなかったからうろ覚えだけど、俺の好きなタイミングでいいって言われたのははっきり覚えてる。

 今考えると、とんでもねぇ親のエゴだよな。

 どうやってスラムで生きてはぐれものな俺たちが幸せに生きるんだよ。無謀も甚だしいだろ。

 なんて今なら言えるけどさ。その時の俺は俺の好きなタイミングでいいならってその申し出を分かったって返したんだよ。

 その次の日におじさんたちの家に行ったら、おじさんたちが血まみれで倒れてた。おばさんがお前を必死に守った結果なのか、こんな赤ん坊じゃこのスラムをどうせ生きていけないって判断されたのか、犯人がわからない以上なにも言えないけど、あの家でお前だけが泣いてた。

 頭が真っ白になったよ。

 きっとおじさんはこうなる未来がわかってたんだろうな。

 そして、きっと犯人はおじさんの優しさに漬け込んだ奴。そのくらい幼い俺でもわかったよ。

 最初はお前を恨んだ。

 なんでお前だけが生きてるんだ、おじさんたちを返せって。俺の平穏は日々を返せよって。でも俺がどんなに叫んだってお前は大声で泣くばかりで。

 あの時のお前はなくことしかできないんだから、当たり前だよな。

 そう割れに帰った俺はおじさんとの約束を守った。とはいえ、俺もガキだったから、子供の、しかも女の子のお守りをしてるってバレたらどんな辱めを受けるか、どんなひどいことをされるか、おじさんたちを見て学んでたんだ。

 実際におじさんは女といるってだけで相当色々言われてたみたいだったし。

 もちろんお前が赤ん坊の間は一緒に住んでたさ。おじさんたちがしてたみたいに。一生懸命お前の世話をした。だけど、お前の物心つく前に俺はお前の前から姿を消した。

 お前に恩を売るためじゃなかったし。

 けど、やっぱり心のどこかでおじさんとの約束が脳裏をよぎるんだ。

 だから、俺はお前に喧嘩をふっかけて、様子を見てた。

 お前が生きてるか、お前が餓死してないか、変な奴らに目をつけられてないか、おじさんみたいに優しさで身を滅ぼしてないか。

 俺は不器用だったから喧嘩っていう形しか取れなかった。

 でも、お前が殴られるのを見るたびに、これでいいのか、これがおじさんが求めていた「頼む」の正解だったのか、自問自答したよ。

 だから、イーストデンの話を聞いたときに、これだって思った。

 俺たちは戸籍があるようでないから、シュバルだろうがイーストデンだろうが関係なかった。

 俺がイーストデンに行ってある程度の地位を確立して、お前を養えるくらいになれば、俺たちの未来は明るいって思った。お前に苦労をかけさせることもないって思った。

 それがまさか戦場で再会するとはな。

 お前が大佐のそばで笑い始めて、フードが取れて、お前の顔を見た瞬間、心臓が止まりそうだったよ。

 しかも俺と同じような道を辿ってるなんて。

 これ以上ない苦しさだった。

 あぁ、結局俺たちはこういう運命なんだなって。民衆はさ、信じれば神様が助けてくれるなんて信じてるみたいだけど、だったら俺らのことも助けてくれて良くないか?

 どこにいるんだよ、カミサマなんて。

 何度も願ったさ。すっと信じてたさ。いつかきっとカミサマが助けてくれるって。けど、はぐれものにカミサマなんていないみたいだ。


「ずっと変な助け方しかできなくてごめん。守れなくてごめん。俺が最期にお前にできることはこの上着をお前に届けることだけだった」

 そういった彼の顔は私には見えなかった。

 でも、鉄格子に体を預けて座り込む彼はどことなく悲しげで、それでいて苦しそうだった。

 戦場で拳を交えた相手、敵国の戦士。

 でも、その背景には私がいた。

 彼の紡ぐ言葉の一つ一つに、私は家族と同じ暖かさを感じた。

 どこか遠くの記憶に彼がいた、そんな記憶が掘り起こされる。本当に微かに。父親と母親、それ以外にもう一人人がいた気がする、その程度の記憶だが。

 それが彼だった。

 私は鉄格子の外に手を伸ばしかけてやめた。

 彼に触れる権利は私にはない。私は彼を殺しかけたのだ。そしてまた、彼も私を殺しかけたのだ。血は繋がっていなくても同じ家で、同じ両親のもとで育ったのにも関わらず。

 私にできることはたった一つだけ。ずっと彼に助けられていたのだったら、私も彼に恩を返さなくてはならない。

「私の処刑はいつ?」

 私の言葉を聞いて彼がハッとこっちを見た。

 目に動揺が浮かんでいる。おいおい、そんなんじゃ本当にこの腐り切ったこの世の中を生きていけないぞ。

 父親の精神を継いだのは私ではなく間違いなく彼の方だった。

「おそらく一週間以内には……」

「二日だ」

「え?」

 わたしは声をグッとひそめて言葉を続けた。

「今から二回太陽が昇る前に遠くに逃げろ。国境を越えてもいい。むしろ超えろ。絶対に」

 今度は彼の顔には「なぜ?」と書いてあるようだった。

「私から言えることはそれだけだ。今すぐここを経つ準備をしろ、いいな」

 とはいえ自分の作戦をこの誰かに利かれているかもしれない状態でべらべらと話すわけにもいかない。

 じっと私の顔を見つめた彼の顔に少し悲しみが浮かんだ。

「お前は?」

 ここから出て、もう一度家族をやり直そう。彼の眼から言葉の続きが聞こえてくる。

 本当は頷きたい。本当は彼と人としての人生を歩みたい。

 私は首を横に振った。

「……分かった」

 それだけではいうと彼は立ち上がってこの地下牢から出ていった。

 彼が私の言葉をどれほど信じたのかは定かではない。でももう私のやるべきことは決まった。

 私は彼のために、大佐のために死ななくてはならない。

 私という存在がシュバルの国の歴史に残らないとしても、私はやらないといけない。


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