11
頬に落ちる水滴で目を開ける。一体どれくらい意識を失っていたのか、まだ朦朧としている意識の中では判断が難しい。
視界もいまだに定まらない。ただ、私がいるのが牢屋だということだけは理解できた。
積み上げられた石壁に、間を埋めるように生えている蔓草。絶対に逃がさないという意思を持っているかのような鉄格子。
結構細かい鉄格子だ、なんて呑気なことを考えた。
私は頬に伝った水滴を拭おうとして気がついた。両腕とも肩から先がない。ついでに足も股関節から先が無くなっている。
かろうじて服は着ているが、自身が着ていたイーストデンの軍服ではない。もっと質素で簡素な服。
自分が現状立っているのか座っているのか分からない。
果たしてこんな状態の人間を人間と呼べるのか。私はずっとそれが頭から離れなかった。
いや、武器として作られたのだからそんなことを考える当たり野暮なことなのかもしれないが、これでも人間として生を受けて10年は生きた。
心を無くせ、お前は武器だと言われても受け入れられない所はある。
自分の腕を外した姿、足を外した姿を見るたびに心が軋んだ。心が泣いているのを見て見ぬ振りをした。これだったらまだスラム街で生きてる方がましだったかもしれない。
シュバルの連中はまだ気が付いていないみたいだけど、いじられているのは四肢だけじゃない。今残っているこの体にも秘密が隠されている。
「ハッ……」
自分の口から乾いた、自嘲を含んだ笑いが漏れた。
私って何だったんだ。
四肢は機械、体内にも異物を積み、涙腺さえも奪い取られて。
私って何だったんだ。何をもって私だったんだ。今の私はどれが私なのだろうか。
大佐が愛してくれた私はどれだったんだろうか。
分からない。もう答えをくれる大佐はこの世に存在しない。
脳裏に頭を撫でてくれた大佐の手の感覚が蘇る。唯一、私の感覚が残っていた頭を大佐はよく撫でてくれた。血で染まりきった私の手を握って、道を示してくれた。はぐれ者だと、殺戮者だと避けて歩くのに、隣を歩いてくれた。
軋んだ心に、泣いてばかりの心に大佐の一つ一つの行動が温かかった。
もうほとんど覚えていないけど、記憶の奥に微かに残ってる家族の温かさ。それに似ていた。
微かな家族の記憶なんて久しぶりに思い出した。この記憶が何歳頃だったのかも覚えていない。この記憶の中の家族が本当の家族だったのかも覚えていない。
でも、大佐の隣にいるときと同じように胸が暖かくなる記憶なことは間違いなかった。
スラム街の青いトタンの家。そこに、私と母親らしき人と父親らしき人、三人で住んでいた。食べ物はいつもないし、喧嘩をふっかけてくるやつも一人の時よりも多かった。
家に他の人が喧嘩をふっかけてきた時、いつも対応していたのは父親らしき人だった。外からは人の怒号や殴る音が聞こえてきてた。その度に母親らしき人が私の頭を抱え「大丈夫、大丈夫」と頭を撫でてくれた。
父親らしき人が家に戻ってくると、いつもボコボコだった。
きっと父親らしき人はやり返してなかったのだろう。
優しい人だった。
だけど、スラムで生きていくにはあまりにも優しすぎた。
だけど、私の記憶の中の二人はいつも笑っていて、優雅だった。
あの二人が今どこにいて、何をしているのかはわからない。でも、きっともうこの世の中にはいないのだろう。
私の記憶には彼らはある日突然いなくなっている。
遠い記憶を呼び覚ましたからか、少しずつ頭が動くようになってきた。
石壁に囲まれているということは、ここはイーストデンの要塞か、もしくは国に搬送されたか、この二択。
私は凭れていた壁に耳を押し付けた。
何かしらの情報を得たいところだが、不発に終わった。
何も聞こえない。
ならばと、今度は鉄格子の奥を見つめるが、向かい側に空の鉄格子があるだけで情報はない。
向かいの鉄格子の脇には松明が焚かれているがそれにも特に有益になりそうな情報は見当たらない。紋章でも入れててくれれば、多少の情報になりえたのに。
部屋の中も時折上から水滴が落ちてくること、蔓草が若干生えていること以外何もない。ベッドも、皿も、何もない。本当にただの空間だけが広がっている。
脱出しようと考えているわけではない。ここがどこなのかわかるだけで、これから私がしようとすることの規模が変わる。
理想は、イーストデン城内。それであればパーフェクト。
要塞でもギリ許容範囲内。
一番嫌なのは、イーストデンの城下町から離れた人気のない場所。それでは私の最後の足掻きが無駄になってしまう。
向かいの鉄格子との間にある道はそのまま左右に伸びている。
私は必死に前に進んだ。まさか足がないだけでこんなに進みにくいとは。上手く進めなくて前に転ぶ。顔面が地面に叩きつけられる。腕もないから受け身も取れない。ただ、顎だけは地面に叩きつけないように咄嗟に横を向いたのは褒めて欲しい。
「誰にだよ……」
もう、私を褒めてくれる人なんてこの世に存在しないのに。
芋虫のように這って鉄格子に近づいて判明したのはここが地下であるということ。そして近くに見張りは居ないということ。
鉄格子の外、右側には地上に続く階段が見えた。
さっき叩きつけた顔がジンジンと痛む。本物の10歳ならきっと泣く、それくらいの衝撃だった。でも、私は泣かない。泣けない。
誰にも甘えられずにここまで来た。なんて悲しい人生。
前に、大佐と一緒に城下町を歩いたことがある。自分と同じくらいの子たちが走り回って楽しそうに笑っていた。これが平和だとその時に知った。それと同時になぜ?と思った。はぐれ者として生まれただけなのになぜこんな対応をされなくてはいけないのだろうか。
私だって好きではぐれ者に生まれたわけじゃない。
私は鉄格子と口を使って倒れた体を起こした。口の中に鉄の味が広がって気持ち悪い。
いつまでもこのクソみたいな世界を悲観しているわけには行かない。私にはイーストデンに大打撃を与えること、そして大佐のもとに行くという任務がある。
幸いにも、見張りが近くに居ないということは一番嫌な人気のない場所は避けられそうではある。人気のない所は同時に逃げられやすくもなる。そういった場所は見張りを多くするのが定石。だけど、耳を澄ましても、人の気配は感じられない。
階段の先に微かに光が見える所からもそこまで地下でもなさそう。そこにも人気がないのであれば見張りが少ないと判断していいだろう。
そして、光が見えるということは階段の先が外であることを指している。そこから考えられるのは、ここが要塞である。いや、要塞であるなら人気がないのはおかしい。
要塞はそこまで大きくないはずだ。いくら要塞から離れた場所に牢屋を作ったとしてもまったく声が聞こえて来ないのはおかしい。
つまり、要塞の線は外してもいい。
そうなると、残るのはイーストデン城内。
でも、階段の上が外に繋がるのであれば“城内”ということはない。
ではここは一体どこだというのか。
考えを逡巡させていたら、最初に目を覚ました場所に戻ってきた。足があれば二歩くらいで済みそうな距離を、ズリズリと這って移動した。服と体が擦れて少しだけ痛い。
「疲れた」
ここに連れて来られてどれくらい経っているのかは分からないけれど、あの条約違反の襲撃からほとんど休みなく頭を働かせている。もう脳が限界を迎えているのが自分でも分かる。
後ろの石壁に凭れて目を瞑る。もう余計なことなんて考えなくていいか。
いや、正確にはもう考えたくない。
これからの私の作戦はどうせ元帥の利益にしかならない。あの人の為になんで私はこんなに考えなくてはいけないのか。
「バカバカしい」
ずっと考えないようにしていたけど、思ってるよりも私は元帥の事を恨んでいるらしい。自分の感情なのに自分でも分かっていなかったのか。自分に嫌気が指す。
「大佐……」
目を閉じるとまどろみに引っ張られる。瞼の裏に浮かぶのは大佐の顔。
大佐が居ない世界はこんなにも苦しくて、立ち上がれない。色もない。心臓がぐちゃりと音を立てる。苦しい。悲しい。辛い。痛みがジワジワと体の中を広がっていく。痛みが私の首を締めた。こんなの、どんな傷よりも痛い。骨折とも違う。弾丸が体を貫くのとも違う。毒に体が侵されているのとも違う。手術後の痛みでもない。
ただ、ずっと痛くて苦しい。
その時、誰かが階段を下る音がした。心臓が冷える。
誰だ……
「おい、起きろ」
聞こえてきた声は利いたことのある声。記憶を辿る。あぁ、こんな事さえも思い出せないほど私の脳みそは退化してしまったのか。
「おい、早く起きろ!見つかったら俺がヤバいんだって」
ようやく声の主を思い出した。
「うるさい」
まどろみに意識を放り投げようと思っていたのに、それは手紙屋に阻まれた。
「お前なぁ……まあいいや。ほら、これ」
気合で目を開け、手紙屋を視界に入れる。
彼が持っているのは布……?よく見えない。
必死に手を鉄格子の隙間に入れて、私に布を渡そうとしている。
それの正体に気が付いた時に私はもう一度顔を地面に打ち付けた。
「なんで、お前がこれを」
「別に、戦場での拾いもん。お前にとっちゃ命よりも大事なものだろ」
彼が持っていたのは大佐の上着だった。この上着を抱きしめる腕がないのがたまらなく悲しい。でも、彼がもう一度鉄格子の中に腕を入れて、地面に転がってる私を起こして体に大佐の上着を巻いてくれた。
大佐がもう一度私を抱きしめてくれている。あんなに痛かった体の中がゆっくりと癒えていく。
「でも、お前、なんで……」
そうだ、いくら同郷とはいえここまでされる筋合いはない。それに、今は敵国同士。彼の行いがバレればただでは済まないだろう。
「頼まれてんだよ、お前の親に」
「は……?」
私が彼の目を驚いた顔で見つめると、頭をポリポリと掻きながら衝撃の事実を口にした。
「俺はお前のおやじさんに命を救われたことがあんだよ」
彼がまだシュバルの国のスラム街にいたころ、弱くて細くて毎日喧嘩を吹っ掛けられボロボロになっていたそうだ。もうこのまま死ぬんだと死期を悟った時遠くから声が聞こえて、喧嘩を吹っ掛けてきた奴らを蹴散らしてくれたそうだ。そこからご飯を必ず分けてくれて手紙屋が飢えで苦しむことは少なくなったのだという。
「その時のお前は赤ん坊だったよ」
手紙屋は私の父親を本当の父親のように慕い、父親もまた手紙屋を息子のように感じていたそうだ。
「ある日親父さんに言われたんだ」
それはいつものように二人で食料を探しにスラム街を歩いている時だった。




