【第4話☆M】 少女期の終わり
【Size M】
「シオちゃん、今日の夜なんだけどさ、急に女の子が休むことになっちゃって。一日だけアルバイトしてほしいんだけど、どうかな?」
カウンター席にドスンという音が聞こえそうなほどに勢いよく腰を下ろしたカコは、「お願い!」とシオに両手を合わせた。
「でも……わたし、まだお酒は飲めないですよ?」
少し戸惑いながらも、カップに注いだ珈琲をカコの前に置くシオ。
「大丈夫! お客さんの相手はしなくていいからさ。キッチンとテーブルのセッティングとかをお願いしたいの」
シオは少し考えてから「それなら……大丈夫です」と、承諾した。
「よかったあ。ありがとシオちゃん!」
カコの表情は、本当に助かったとばかりに大きく崩れる。
「カコ、未成年のシオちゃんに酒の席を手伝わすのは感心しねえな」
二人の話を聞き付けてキッチンからマスターが顔を出す。
「シオちゃん、遠慮せずに気乗りがしないなら断ってもいいんだぜ」
「いえ……」
「昼も夜もで悪いとは思うけど……。どうしても手が足りなくなっちゃったんだもの。今日だけだから。バイト代もはずむし! お願い!」
祈るように再び手を合わせるカコに、シオは慌てて言い添える。「大丈夫ですよ。バイト代もはずんでくれるならありがたいですし」。
「うわぁ! ありがとシオちゃん!」
「いいのかい?」
心配そうに眼鏡の奥から覗き見るマスター。
「はい」
「もう、パパったら! そんなに心配しなくてもシオちゃんにはお酒も飲ませないし、ちょっかいもかけさせないようにするわよ。責任をもってお預かりします」
カコはカウンターに額を擦り付けんばかり。
「お前のそれは当てにならんからな。シオちゃん、なにかあったらすぐに言いにくるんだぞ」
「ちょっと、ひどーい。それが娘にいう言葉?」
マスターの住居は店の二階にある。
『月兎』の建物は三階建て。一階は喫茶店『月兎』。二階と三階は居住用のスペース。1DKの間取が各階に二戸あり、かつては部屋を貸していたこともあった。リフォームとリノベーションを繰り返し、今はマスターとカコが二階の部屋にそれぞれで住んでいる。シオは三階の部屋を借りていた。
コロニー内の建築物は重力の関係があり、高さを三階までと制限されている。平屋と二階までの建物は珍しく、三階建ての建物がほとんどだ。
地球では超高層ビル群を見慣れていたシオにとっては、その、のっぺりとした平たい光景は新鮮に映った。
首を思いきり上げなくても空が見える。その空は(実際には空ではなく空間なのだか)、地球ではない場所にいることを実感させてくれた。
「シオちゃん、氷入れといて」
「はい!」
夜に店の手伝いをするならもう上がっていいと、マスターの好意で午後の早い時間に『月兎』の仕事を終えた。
夕食の時間が過ぎる頃から『月兎』の看板は、ピンク色と黄色のLEDネオン『Moon LOVE.IT』に切り替わる。
特に店を閉めることはなく、そのまま営業を『月兎』からシフトする。マスターは上がり、カコと夜の部のスタッフたちが店に入る。
『月兎』の客が完全に捌けると、店内の照明と音楽を切り替える。光量をさらに落とされた照明は、雰囲気のある空間を創り上げる。流れる音楽はマスターが昔に地球に降りたときに気に入った、かなり古い時代のジャズだ。
シオはいつもならマスターと一緒に仕事を上がる。夜に甘いものが食べたくなって、アイスクリームなどのお菓子を近所の店に買いに行くときなどに『Moon LOVE.IT』の店内を外から覗いたことがある。そこはなんというか……大人の薫りの漂う空間だった。まだ自分には十分に備わっているとは思えない、生きるための『力』を持っている人たちが集う場所だと感じた。
シオは渡されたアイスペールに砕いた氷を補充する。それをスタッフに渡してテーブルを片付けるためにホールへと出た。ちょうどそのタイミングで入り口の扉が開く。
「あっれえ? シオちゃんじゃん? どうしたの?」
「いらっしゃいませ。今日は臨時のお手伝いなんです」
入って来たのは、いつも通りのくたびれた作業着姿のタナカだった。
「へぇー。夜もシオちゃんに会えるなんてラッキー」
タナカは朝と同じように慣れた様子でカウンター席へと座る。
「タナカさんは、お仕事帰りですか?」
「そうそう。もう今日はつっかれちゃってさ。一杯やってから帰ろうと思ったらシオちゃんに会えた」
そう言っていつもの朝のように、にかっと笑う。
なんだか場違いな雰囲気を感じていたシオだったが、タナカの軽口で緊張して強ばっていた気持ちがほぐれてゆくようだった。
「あら、カナタさん。いらっしゃい」
カコがタナカとシオの間に割って入った。
「よっ! カコちゃん、おつかれ」
「ちょっと~。シオちゃんにはちょっかいださないでよね~。私が相手をしてあ・げ・る・か・ら」
「俺と飲んでくれんの? そりゃ嬉しいね」
カコはシオを背中に隠すと、後ろ手でキッチンへ行きなさいと合図をした。
シオはそっとその場を離れる。
キッチンへ入るときに、カコと楽しそうに談笑しているタナカをちらりと見た。
カコはタナカをカナタと呼んだ。そういえば、シオはタナカの名前は知らなかった。
タナカカナタ。
まるで回文のようだ。
本名なのかな?
今度は朝に訊いてみようと思ったシオだった。