【第3話☆M】 オレンジのジュース
【Size M】
「いらっしゃいませ!」
ドアが開くとシオが笑顔で客を迎える。
ここは月と地球との共鳴軌道を使用した十基のコロニーのうちのひとつ。『Island Moon』の日本人街。その中でも老舗と言われる喫茶店兼食堂兼飲み屋兼集会所のような……つまりマスターによると、『なんでも都合のいいように呼んでくれ』な店『月兎』。昼間は酒は出さないが、夜はマスターの娘が小洒落たBarを営んでいる。
「おねいちゃん!」
飛び込んできたのは幼い男の子だった。
そのままの勢いでシオの脚にしがみつく。
「リッくん! いらっしゃい!」
「もう、リツ! 勝手に走って行ったらだめでしょ!」
リツの後から姿を見せたのはスラリとした長い脚をジーンズに包んだ女性。長く伸ばした髪を頭の後ろで器用にお団子にしている。
「だって! はやくおねいちゃんにあいたかったんだもん」
リツはさっとシオの後ろに隠れた。
「もう! シオちゃん、ごめんね。ちょっと手を離したら走り出しちゃって」
「いいんですよ」と答えると、シオはしゃがみこんでリツと向き合う。
「リッくん。急がなくてもおねえちゃんはここにいるから大丈夫。お母さんのいうことは聞かなくちゃダメだよ」
「はあい」
「まったく。シオちゃんの言うことは素直に聞くんだから」
「ふふふ。今日はカオリさんはなににします?」
「あ! ごめん。これから買い物に行こうと思ってたとこなの。それなのに、リツがここに飛び込んじゃうから……。あとでまた寄るね。ほら、リツ、買い物行くよ」
「えええ。やだ。ぼく、おねいちゃんのおはなしききたい!」
「わがままいわないの。シオちゃんはお仕事中」
「やだ! やだ! やだ!」
その騒ぎにマスターがキッチンから顔をだした。
「おお。リツもだんだんとタツに似てきたな。言い出したら聞かないところがそっくりだ」
「本当に、へんなところばかり似ちゃって」
頬に手を充てたカオリは、困ったように笑いながら浅いため息をついた。
リツの父親でありカオリの夫であるタツヒコは、去年、木星資源調査船の航路に船の整備技術者として乗った。木星とコロニー間は片道二年。往復で四年。調査で一年。順調にいっても合わせて五年の不在。帰ってくるのはリツが十歳になるちょっと前だ。
「リツ、ここで母ちゃんが買い物に行っている間、留守番するか?」
「うん!」
マスターの問いに元気のよい返事が返ってくる。
「すみません。じゃあ、お言葉に甘えてお願いします。リツ、おとなしくしてるのよ」
「うん。いいこにしてる」
「もう、リツったら。調子がいいんだから」
シオとカオリは顔を見合わせて笑い、「お願いします」と頭を下げたカオリは店を出ていった。
リツは慣れたようにカウンターの席へよじ登る。
カウンターの中でリツのためのオレンジジュースを用意していたシオに「地球のお話をして」とせがんだ。
「うーん、じゃあ今日は『コートノリ』のお話をしようかな」
「コートノリ?」
目の前に置かれたオレンジジュースのグラスと、シオの話にリツは焦げ茶色の大きな瞳を輝かせる。
「そうよ。リッくんのお父さんは船乗りでしょ?」
「うん」
「おねえちゃんがお話するのは『コートノリ』。コートに乗ってる人」
「コート?」
「そうよ。冬に着るコート」
「コートはきるものでしょ? なんでのるの?」
「それはね……」
シオも小さい頃になんども読んだ『コートノリ』の物語。それをリツに聞かせる。地球では古典の童話だ。幼い子どもは、いち度は読み聞かせられる。
赤ちゃんを運んでくると云われる『コートノリ』。
本当はコウノトリという鳥が赤ちゃんを運んでくるといわれていたらしい。
コウノトリは23世紀の始めにいち度絶滅した。しかし、絶滅危惧種の遺伝子を保存することが義務づけられていたことでクローンが誕生した。
現在では絶滅危惧種を保護する飼育センターの中でしっかりと守られている。そのために赤ちゃんを運ぶ仕事はできない。そこで登場したのが『コートノリ』。
彼らは世界中のお母さん、お父さんに、コートに乗ってたいせつな赤ちゃんを届けている。
「コートにのってそらをとんで、あかちゃんをつれてきてくれるの?」
「そうよ。とってもカッコいいんだから」
「ぼく、あいたい! コートノリにあいたい! あかちゃんにもあいたい!」
「うーん、そうね。コートノリにだったら会えるわよ。おねえちゃん、絵本をもってるから、今度見せてあげる」
「ほんとに? やくそくだよ!」
「うん。約束」
リツの前に小指を立てて約束の指切りをする。
「ぼくね、いもうとほしいの。コートノリにおねがいする」
「ほう、リツはお兄ちゃんになりたいのか?」
キッチンから出てきたマスターは、リツの隣に腰をかけた。
「うん。レンくんみたいにおにいちゃんになりたいの」
「そうかぁ。ま、コートノリに頼んでおけば、いつかは連れてきてくれるかもな」
「ほんと? たのしみ!」
にっこりと笑ったリツはオレンジジュースを勢いよく飲み干した。