第一話
始まりは中世である。ヨーロッパにて「呪いのルビー」と呼ばれた宝石があった。とある国の王族に名を連ねる公爵夫人の呪いがかかっており、手にしたものが次々と不幸になるといういわくつきの代物である。このルビーを、20世紀初頭に一人の科学者が手に入れた。学者の名前はレオナード・トルーキン。ただし彼を科学者と呼ぶ人間は少ない。むしろ錬金術師として恐れられ、崇められていた。
トルーキンは一つの野望を持っていた。それは「自分の創造物が世界を支配すること」であった。ゆがんだ野望ではあるが、ある意味ヒロイズムでもある。世界の支配者の造物主であれば、その存在は「神」と呼ばれるべき、そう彼は信じていた。
その彼にとって人造人間の創造は一つのテーマであり、宿願でもあった。しかしほとんどの問題を錬金術と最新の科学を組み合わせて解決したにもかかわらず、2つ問題が残っていた。
それは錬金術的には「魂」であり科学的には「意識」と呼ばれるものの創造であり、もう一つは動力源の確保であった。トルーキンはこの前者の問題を解決する方法として件のルビーを入手したのである。ルビーには公爵夫人の残留思念が強く残っている。このような鉱物資源には人の思念が宿り易いのである。その思念に影響された持ち主が奇行に走り、結果悲惨な結末を迎えることからルビーには「呪い」がかかっているといつしか伝わるようになった。しかしトルーキンにしてみれば、その残留思念こそ、彼が創造する魂の核になるものだった。
ルビーの入手から約10年経った1917年。第一次大戦とロシア革命のまっただ中の混乱期に、トルーキンは遂に念願の人造人間の創造に成功した。スラブ系女性型人造人間はエレオノーラと名付けられ、起動した。その際、公爵夫人の残留思念とトルーキンの宿望としてエレオノーラには基幹命令(Origin Order)が組み込まれた。それは「人類を支配せよ」というものだった。
これがその後数千年にわたり人類の歴史に光と陰を投げかけた人造人間エレオノーラの誕生の経緯である。
生まれたばかりのエレオノーラは、暗い地下室でこそまっとうな人間に見えたが、陽の光の下ではあきらかに作り物であることがはっきりと分かる程度の出来であった。しかしその後数千年にわたり生き抜いてきた段階で何度か大きな改修をうけ、強大な力と完璧な外見を身につけていく。初期においては動力源はなんとねじ巻きであった。ただしトルーキンの錬金術が生み出した究極のねじ巻きであり、これだけで通常の動きであれば3日は連続動作できた。
ねじ巻きの採用は、最新の動力である電気駆動では有線での動力供給となり活動範囲が限定されるからである。しかしそのような状況で最初から完璧にできあがっていたもの、そして数千年間何も変わらなかった部分がある。そう、「魂」である。魂、あるいは意識、人格や記憶というものだけは公爵夫人のルビーの力で最初から完璧にできあがっていた。記憶はルビー内の分子構造内に織り込まれ、エレオノーラの核となった。
誕生直後、人としても身体の頑健さと怪力以外際だった能力がない状態で、しかもねじが切れれば動けなくなる致命的な欠陥がある体で、エレオノーラがどのように生き延びたのか正確な記録はない。分かっていることは、エレオノーラ起動直後、創造者たるトルーキンが死亡したこと、次にエレオノーラが確認できたのは、十数年後であることぐらいである。
第一次大戦が終結し、第二次大戦が始まるまでの間に、一度エレオノーラは日の目を見ている。パリ万博にて「驚異の人体人形」という見せ物にされていたのである。おそらくは長年ねじ切れでどこかにうち捨てられていたものを、見せ物師が発見したのであろう。この時会期中公開されていたが、その後盗難にあいまた行方しれずになっている。実はこの時エレオノーラの美貌に恋いこがれたフランス人の技師により連れ出されていたのである。この技師はエレオノーラの人格が本物であることを見て取り、人生をエレオノーラのために捧げたようである。あるいはこの時がエレオノーラにとってもっとも幸せな期間だったのかもしれない。
技師はできる限り最新の技術をもってエレオノーラを改修したらしい。動力についても電気とねじのハイブリット化に成功し、自宅ではコード付きで電気で稼働し、更にねじを自動的に巻き、外出時にはねじ稼働していたようだ。
やがて技師がなくなり、エレオノーラは技師の遺言により彼と同じ棺にはいって眠った。その際に技師は変わり者のへんくつじいさんの遺言として「我が最愛の人形とともに葬って欲しい」としたためたのである。
次に目覚めたのは21世紀中葉である。大規模開発の際に技師の墓が掘り起こされその中からなかば朽ちた状態でエレオノーラは「発掘」された。しかし廃棄寸前に意識が回復し動き出したことから、開発を主導している財閥の研究機関に持ち込まれたのである。そしてそこで初めての大規模改修を受けることになる。財閥のオーナーとの接触により人格を認められたエレオノーラは、記憶をデジタル化し、元の姿を3D映像として再現してみせた。その処理能力は研究機関の学者をして「最新の CPU と記憶媒体の数百倍の処理能力がある」と言わしめた。これもエレオノーラ復元の動機となった。20世紀初頭に開発された「機械」に百数十年たっても追いついていない部分がある、という事実が一同に衝撃を与えた。
改修されたエレオノーラは、最新の人工皮膚とセラミックとスティールの複合骨格を持ち、動力として太陽エネルギーと核バッテリーを得た。また最後の最後の補助機関として従来のねじ巻きもコンパクトな形で残されたのである。この三重動力源によりエレオノーラはほぼ人と変わらない行動範囲を得た。
そして、この行動の自由がエレオノーラの基幹命令を実行させる機会を与えることになる。エレオノーラの人格に関係なく、ルビーに宿る公爵夫人の残留思念とトルーキンが刻み込んだ命令は、エレオノーラを突き動かすのである。
「人類を支配せよ」、それは本能と言っていい。
その第一歩は財閥の乗っ取りから始まった。後に「ファースト・アタック」と称される、エレオノーラによる人類災禍の最初の例である。結論から言うと企みは完遂できなかった。財閥の乗っ取りから政界の掌握、他国への侵略開始までは進み、歴史上にヨーロッパ戦争を刻み込んだところまでは成功したが、あるハッカーの電脳攻撃によりエレオノーラの存在とその陰謀が浮き彫りになってしまったのである。またエレオノーラ自身もインターネットに接続して各所に指示をとばしていたため電脳攻撃の影響をうけ、文字通り身動きがとれなくなってしまった。
国際警察にパリの財団本部の地下施設で逮捕された時、エレオノーラは半死半生の状態であった。そのまま調査がすすみ史上初の「人造生命体による社会秩序の壊乱」が一連の動乱の原因であることが発覚した。このことが効率よく戦地に伝わり、兵士たちのサボタージュが相次ぎ戦闘状態を維持できなくなったため、戦争は終結した。これも史上初の出来事である。
しかしこの動乱は終息が急激であったため数々の遺恨が残り、その後数年、数十年たってから別の動乱の引き金の遠因となることが多く、人類の歴史に大きな傷跡を残す結果となった。
エレオノーラは国際研究機関に預けられ、研究材料となった。一定の調査の後破壊処分になる筈だったが、この時すでにエレオノーラを神格化した、終末思想を根本とする組織が生まれており、その組織の手引きによりエレオノーラは救い出されたのである。以後その組織はエレオノーラの復活を目指して地下に潜伏することになる。
再びエレオノーラが人類の驚異となったのはそれから半世紀後であった。科学技術の発達に伴い次々と改修をうけ、もはや生物としても人間以上の存在となったエレオノーラを崇拝し、かしずく組織は徐々にその規模を広げ、世界中の国家の基盤に浸食していった。カリスマ的な魅力を持ったエレオノーラは22世紀初頭に再び歴史の表舞台に登場し、今度は正面きって世界の支配者になることを宣言した後、各国に組織を通じて圧力をかけ始めた。その矢先に思わぬ事態が発生した。既に人類は木星圏まで開発の手をすすめていたが、木星資源採掘ステーションが地球外知的生命体の攻撃を受けたと報告してきた後、連絡を絶ったのである。この事態はさすがにエレオノーラにとっても想定外の出来事だった。人類史上もっとも非常識な存在である自分が世界に覇を唱えようとした時に、もっと非常識な存在が現れたのである。
その地球外知的生命体はファーストコンタクトの場所から「ジュピトリアン」と呼称され、その侵攻は早かった。木星の事件からたった二週間後には既に月軌道防衛圏まで到達していたのである。
ここで皮肉な事態が発生する。エレオノーラ率いる組織がもてる権力の全てを費やして世界の指導者たちに一致団結してジュピトリアンに対するように体制をまとめ上げたのである。この措置がなければ世界各国の協力体制は早すぎる侵攻を前に整わず、人類の運命は風前の灯火であっただろう。しかし、エレオノーラによりまとめられた人類連合は月軌道の内側で有効に機能し、ジュピトリアンの侵攻を防ぎつつあった。エレオノーラもまた組織の独立戦力を駆って宇宙でゲリラ戦を展開し、ジュピトリアンの統一だった攻撃を乱す役割を十全に果たしていた。
しかし、そのゲリラ戦の最中、エレオノーラの駆る小型機動戦機はジュピトリアンにより捕獲され、捕虜となってしまった。しかしこの事態が思わぬ僥倖を生み出すこととなる。
それまでジュピトリアンとの意思疎通はまったく成功しておらず、両者無言のまま殴り合いを続けているような状況であったが、エレオノーラが捕虜となったことで初めて意志の疎通が発生したのである。理由はエレオノーラの核である公爵夫人の残留思念であった。ジュピトリアンは発声器官を持たない、音波でも電波でもなく思念により意思疎通する種族であった。そのためエレオノーラの中の公爵夫人の残留思念を通じてかろうじて意志の疎通が図れたのである。そしてエレオノーラは大きな賭に出た。自分自身の存在意義を思念を通じてジュピトリアンに読み取らせたのである。思念に嘘はない。現にジュピトリアンの概念には「嘘」というものがなかった。ジュピトリアンは人類の宇宙進出を驚異と判断し、人類根絶やしを目的としていた。一方エレオノーラは人類にとって大きな災厄である。両者の目的はベクトルこそ微妙に異なっているが協力できると説いたのである。思念による嘘、というよりも一種の二重人格であることを利用した巧妙な罠に、そのような概念を持たないジュピトリアンは見事に騙された。
ジュピトリアンの異質な科学技術をもって、エレオノーラは大幅に改修された。外見こそ変化はなかったが、一つの超絶な個体兵器として再構築されたのである。以前と同じなのは外見の他には、核であるルビーのみであった。
人類連合は何とか持ちこたえていたが、ジュピトリアンの飽くなき攻撃の前に地球は落城寸前の状態であった。そこにジュピトリアンの先頭に小さいが非常に大きなエネルギーを持った存在が降臨したのである。エレオノーラだった。多くの人類の指導者達は不吉な予感がしていた。
ジュピトリアンに捕まっていたエレオノーラが彼らの先頭に現れたのである。もしかすると裏切ったのではないか・・・。
その思いは次の瞬間歓喜に変わった。
エレオノーラは改修されて得たパワーの全てをジュピトリアンの艦隊の中核に向けて放ったのである。そのパワーは改修したジュピトリアン自身も想定外であった。公爵夫人の残留思念を起爆剤とした思念エネルギーの物理エネルギー化の効率は、ジュピトリアンの科学をもっても理解の外であった。そこから壮絶な死闘が始まった。エレオノーラはほぼ一人でジュピトリアンの艦隊と渡り合い、手足がもげても胴体に大きな穴を開けられても戦い続け、最終的にはルビーが納められている胸部と、思念エネルギー増幅機関がつまった頭だけになりながらジュピトリアンの殲滅に成功したのである。最後の一撃を放った瞬間エレオノーラは意識を失いもはや多くの残骸と同じ状態に陥ってしまった。
こうしてジュピトリアンの侵攻は食い止められ、エレオノーラは人類の救世主となったのであるが、彼女にしてみれば人類が殲滅されてしまうと支配できなくなるので、当然の帰結と言えた。しかしこのエレオノーラの活躍は人類連合の指導者達により隠蔽され、その手柄は彼らのものとなった。彼ら人類連合の中核の指導者七名はセブン・セイバーズと呼ばれ歴史に最大級の讃辞とともに記録されたが、その後人類同盟は彼らの覇権争いにより瓦解してしまった。この時うまく事を運べば、史上初の人類統一がなされたかもしれない。
一方エレオノーラである。彼女の組織も戦争で消滅し、残党がネットワークを通じて彼女の本当の功績を世に知らしめようと努力したが、結局は都市伝説として残っただけとなった。多くの残骸と共に地球と月の間を漂流していたエレオノーラが回収されるまでに、実に三世紀の時間が必要となったのである。
再発見されたとき、エレオノーラは最後の、そして最初の動力源であるねじ巻きだけで動いていた。