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Nigredo - 魔王伝説 -  作者: Ellie Blue
第1章 王国
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月夜2

 頬の乾かないまま北門目前に到達する。

(……ここで失敗してしまえば、全てが水の泡だ)

 ニグレドはぐいと頬を拭うと、一つ息をついて、物陰から門の方を見やった。


 門付近には、何人もの兵士たちがたいまつを掲げ物々しい雰囲気で立ち並んでいる。城の内で一番小さな門と言えど、さすがに警備は厳重だった。

 ニグレドは唇を噛んだ。

(この北門が一番、外に出られる可能性があると踏んでいたけれど……。これじゃあ、見られずに抜けるのはまず無理だ。いつもみたいに、掃除夫のフリをして……。いや、この状況下だ。『怪しい奴だ』と捕らえられるのがオチだろう)

 ニグレドは兵士たちを睨みつけた。

(さっきのように……、地下でサムエルの剣を錆びさせたように、何か魔法が使えないだろうか)

 ニグレドの頭にちらりとそう考えが浮かんだ。

(例えば自分の姿を見えなくする……。いや、それよりも、あの兵士たちをまとめて吹きとばしてしまえるような、そんな魔法が……)

 そこまで考えて、ニグレドは自分でそれを否定した。

(だめだ。あの時どうやってあんなことができたのか、まるで覚えていない。それに、だ……。そもそもあの力は忌むべき〝悪魔の〟ものだろう。そんなもの、そんなものなど……)


 ニグレドが逡巡していたその時。

 空に赤い閃光が走り、夜の空気を裂いた。次いで轟く、まるで獣のように唸りを上げる風の音。

 反射的にニグレドは被っているぼろ布のフードを掴んだ。

 しかしその風が吹いたのは門の外側。塀の向こうで巻き上げられた土ぼこりがもうもうと舞って、月が照らす静かな夜空を汚した。


「ぎゃ……っ!」

 向こう側で見張りのものらしき叫びが上がる。内側にいる兵士は声を張り上げた。

「どうした、何があった!」

 返答の代わりにドスリ、と門の扉に何かが叩きつけられるような重く鈍い音が響く。土ぼこりがいっそう激しく舞った。向こうから呻き声が聞こえる。どよめく兵士たち。

 誰かの声が叫んだ。

「援護に向かえ!」

 その一声で兵士たちはすらりと剣を振り抜き城門の扉を開いて、土ぼこりの立ち込める中、その外側へと駆け込んだ。


 その瞬間。再び赤い光がカッと空を裂いた。剣を振り上げて駆ける兵士たちの姿が、立ち込める土ぼこりの中に一瞬照らし出される。

 そして瞬きもしないうちに、その足元から黒い一本の柱が湧き上がった。


(何だあれは……!)

 ニグレドは思わず物陰から身を乗り出し目を凝らした。

 違う、本当に柱そのものが現れたわけではない。あれは地面を剥ぎ取らんばかりに荒れ狂う、巨大な塵旋風だ。

 唸りを上げる風の柱は容易く門を破壊した。大小の木の破片を巻き上げ、兵士たちの姿を覆い隠し、尚のこと勢いを増して膨れ上がっていく。

 身のすくむような光景。しかしそれは裏を返せば彼にとってまたとない機会だった。

 ニグレドはぼろ布の外套を体にきつく巻きつけ直し、深呼吸をした。身を低くして、不気味にそびえ立つ黒い風の柱、轟音と悲鳴の入り交じる中へと飛び込む。


 風が全身を打つ。視界が悪く、ろくに目を開けていられない。その中をニグレドは無我夢中で進んだ。

 フードがあおられ、ひた隠しにしてきた黒髪が風の中に晒される。だがそれを押さえつける余裕などない。ニグレドの髪が波打ち踊り、紫色に煌めいた。

 先に巻き込まれた兵士たちは周章狼狽し、てんでバラバラに動いていた。その場にうずくまる者、でたらめに走り叫ぶ者、やみくもに剣を振り回す者……。

 彼らのすぐ目と鼻の先をすんでのところですり抜ける少年を見咎める者は、誰もいなかった。


 果たしてニグレドは、瓦礫の山へと変わっていく先ほどまでは北の門だったところを抜け、城の外に出た。

 そのまま足を止めることなく生まれ育った城から去っていく。

 もはや、振り返りはしなかった。




 幾つもの通りを横切り路地を渡って街を行く。

 街の広場に差し掛かり、今は人っこ一人いない広場の真ん中を肩で風切り闊歩した。あの唄など、どこからも聴こえない。

 足音を潜めることもなく、人目を気にすることもなく。

 ニグレドがそうして城下町を歩いたのは、この時が初めてだったのかもしれない。


 北寄りの街のはずれ。そこでようやく少年の足が止まった。『ようこそ』と書かれた立て札。木組みのアーチ。街の外、荒野へと続く道。

(……ここから先は、知らない)

 ニグレドは地面に視線を落とした。まるで迷っているかのような素振りだった。土の上には轍と蹄鉄の跡とが深々と刻まれている。ニグレドはそれを黙って凝視した。

 少年の足が木組みのアーチの下を抜ける。その足が蹄鉄の跡を踏む。石畳とはまるで違う、沈み込むような土の感触を足裏に感じた。今まで知らなかった感覚を。その次の足も土を踏む。次も、そのまた次も。五歩、六歩と、もっと多く、もっと遠く。


 少年のその身にまとった外套よりも夜の闇に馴染む、紫を孕んだ黒い髪。その色が闇に溶けるように沈み、孕んだ紫色が誰の目に留まることもなく煌めいて、消えた。

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