小鳥をめぐるお話4
ニグレドは呆然と、見上げた先、目の前の女の子のことを見つめた。女の子は心配そうにニグレドの顔を覗き込んでいる。その表情が突如、パッとほころんだ。
「あなたの髪、とってもきれいね!」
その言葉に息を飲む。それでようやく思い出したかのように、ワンテンポ遅れてニグレドは慌てて着ていた服の首元を掴み、ぐいと強く布を引っ張りつつ首を縮こめた。
「え、と……、その……」
幼いニグレドはもごもごと口ごもった。父王サムエルと教育係スターズから、折に触れて強く強く釘を刺されていたのだ。
『他人に見られてはならない。特にその髪は、絶対に――』
ニグレドはじりじりと後退った。茂みの陰に隠れるように。自分の紫を孕んだ黒髪を薄闇の中に隠すように。心臓がドッドッと鳴った。恐怖の念がこみ上げる。
(ダメだ、ダメだ。このままだと……)
ニグレドを前に、女の子は屈託のない様子で小首をかしげて言った。
「ここには、よく来るの?」
ニグレドは少しホッと息をついた。自分の髪についての話からは離れられそうだ。引っ張り上げた服の布を強く握りしめ押さえつけたまま、曖昧にうなずく。(この中庭には……)そういう意味で。しかしそれは口には出さず。
「そうなのね!」
女の子はニグレドがうなずいたのを見て嬉しそうに返した。
「わたし、今日がはじめてなの!」
そうして目をキラキラと輝かせて続ける。
「王国騎士団の見学に来たのよ。早く見に行きたいのに、お母さまったらずーっと他の大人の方たちとおしゃべりしていて、つまらないんだもの! それで、お母さまのお話が終わるまでの間ちょっとだけお散歩していましょうって思って、ここまで歩いて来たのよ」
女の子のコロコロと変わる表情、ちょっと口を尖らせてみたり、にこにこ笑って話したりするのを、ニグレドはどこか遠くの出来事を見るかのようにぼうっと眺めていた。
「あなたを見つけた時はちょっとびっくりしちゃったけど……。あなたと会えて良かったわ。わたしたち、きっと同じくらいの歳ね。それも嬉しいの、わたし!」
ここで女の子は、ハッと両手の平を合わせた。
「あっ、でも、ええと、ということは……。あなたがここにいるわけだから、今は騎士団の稽古の、休憩時間中とかなのね」
ニグレドは、女の子が自分のことを騎士の見習いか何かだと勘違いしているのだと気づいていた。しかしそれを訂正することはしなかった。そういうことならばニグレドにとっても都合が良かったし、そしてそもそも、それ以上の驚きがニグレドの中にあった。
夢にも思わなかった。こんな風に自分の前で穏やかに笑って話してくれる人を、ニグレドは母エナリア以外知らない。ましてや、自分の髪のことをまっすぐに褒めてくれる人なんて。
「ねぇ、あなた……」
その女の子が、ニグレドに何かを訊きたそうに口を開いた。しかしその時。
「――、――――」
遠くから、誰かを呼んで探しているような声が聞こえてきた。女の子はパッとその方を振り返る。
「お母さまだわ。お話が終わったのね。もう行かなくちゃ!」
そう言い残して、羽のように軽やかにこの場を後にしようとする女の子。ニグレドは慌てて声をかけた。
「ひ、秘密にして! ここにぼくがいたこと、きみとここで会ったってこと……!」
女の子は一瞬、驚いたように目を丸くして。そしてその大きな目がいたずらっぽく微笑んだ。
「ええ。じゃあ、わたしのことも秘密にして。わたしたち二人だけの秘密、ね!」
じゃあ、またね。と駆け出す女の子。ニグレドは木陰の中で立ち上がり、女の子のその肩の辺りで切りそろえた髪が、陽だまりの中で光を受けて煌めき揺れるのを、見えなくなるまで見送った。
清かな水の流れる音が、ニグレドの耳に聞こえてくる。自分を飲み込み溺れさせてしまいそうな奔流などではない、こんこんと湧く穏やかな流れ。その噴水のある、草花に囲まれた小さな中庭で。ニグレドは一人しばらく佇んでいた。
ニグレドはふっと目を開けた。今自分がいるのは、厚い雲が空を覆う、草木の一本も生えぬ山の上。
目の前の魔法の大鍋に静かに両手を差し込む。手を碗の形にして掬い、澄んだ水を一口。冷えた水が沁み渡り、ニグレドの気持ちがスッとまっすぐになった。
ニグレドは想いを馳せる。あの記念式典の日の夜に、出会った場所と同じ中庭で、ミディアと別れた時のことを思うと胸が痛むのはあるが。
(ミディア、ミディア。陽だまりみたいに明るくてあたたかな君。どうかその光の中で幸せに暮らしていてくれ。俺もこの先、今はこんなところにいるけれど、どうにか、どうにか頑張っていくから――)
その時。
――きゃ……!――
悲鳴のような鳴き声のような、高くか細い声がニグレドの耳に聞こえた気がした。
間髪入れずニグレドは駆けだした。荒れた山肌を下りてその声のした方へ。地下水路で怯え逃げ惑っていたあの時とは違う。こんな自分でも、何かできることがあるのではないかと。そう心に強く念じて




