小鳥をめぐるお話2
ニグレドは飛び起きた。ドッドッと心臓が早鐘を打つ。
嫌な夢を見た。また。
今度は、確かに自分自身の過去の夢だった。知らない誰かの記憶ではない。……今それがニグレドの慰めになるのかといえば、その答えは「否」であるのだが。
幼い頃にほんの一時だけ使っていた、城の教室にて。激しい音を立てて落ちる鳥かご、そこから飛び出す小鳥。頭上から鳴り響くサムエルの怒号に晒された中でニグレドはそれを目にして。次の瞬間には、次の瞬間には。小鳥は真っ黒な炭の塊のようになって、ゴトリと嫌な音を立て床の上に落ちてしまった――
ニグレドは震えていた。今も、その時も。
大きく息を吐く。その震える息が通り抜けた喉はカラカラに乾いていた。目覚めたばかりだからかうまく力が入らないが、半ば無理やりに体を動かし、ニグレドは立ち上がった。
水を飲みに行きたい。そう思ったのもあったが何よりも、この場から動かないことで、あの夢から抜け出しきれないような感覚に陥るのを避けたかったからだ。
まだ朝なのかもう昼なのか、それすらもよく分からない薄暗い空の下。むき出しの岩肌の斜面に視線を落としつつ、ニグレドはのろのろと足を運ぶ。
しかしそう動き出してはみたものの、未だニグレドは先ほどの夢について考えずにはいられなかった。夢で見た過去のこと、その時の自分のことを。
(あの時、俺は――)
小鳥に危害を加えようだとか、ましてや殺そうだとか、そうした意思は決して無かった。それは今でもはっきり断言できる。
サムエルの怒号を浴びたあの時にあったのは、悲しいやら悔しいやら恐ろしいやら恥ずかしいやら、膨れ上がりはちきれそうになった自分の感情。……そこに自分の知らない、訳の分からない力が乗って、己の中を狂ったように駆け巡った。その挙句の結果があれで。
そこでニグレドは、あることに思い当たり、岩場を登っていた足をハタと止めた。そしてその足は、否、ニグレドの全身はガクガクと震えだす。先ほど落ち着かせたはずの体の震えが、より酷くなって戻ってきたようだ。
(そういう力なんだ、あれは。俺が城を出てここに辿り着くまでの間に、勝手に自分の中から飛び出したあの力は。途中、何度か自分の思う通りに使えないかと試してみてしまったこともあるあの力は)
ニグレドの脳内に、力に関するこれまでの記憶、これまでの光景が流れだす。
閉じ込められた地下牢にて、襲い掛かってきたサムエルの剣を錆びさせた魔法の力。あの時は、その魔法の力のおかげで助かったと思った。その後、門番の目を搔い潜って城から脱出した際や、交易都市の中で魔女の手から逃れようとした際。その時は、その魔法の力が使えたら良いのにという思いが少なからず頭をよぎった。
しかし今ここ、“北の大地”にて、ニグレドは悟った。
(そうだ。あれはいずれあの力に繋がる。繋がってしまう)
今日ではない日。夢で見た、知らない誰かの記憶の光景。白い衣服をまとった女性を谷底へと葬り去り、城から見渡す広大な地を数多の雷鳴で焼いた、あの恐ろしい影が持つ力――
『悪魔の息子』
そう言うサムエルの声が、ニグレドの脳内によみがえる。ニグレドはビクリと肩を跳ねさせ、その後ゆっくりと、首を傾かせうなだれた。その動き一つ一つに、彼の持つ、紫色を孕んだ黒い髪が揺れる。
(……この次はもう、小鳥だけでは済まないかもしれない)




