星見えぬ空4
現れたシースに向かって彼の白い馬が首を伸ばす。その様子に気がつきミディアは、地面に置かれていた手綱を拾い上げると馬を連れてシースの元へと歩み寄った。
白い馬は主人である少年の頬に鼻をすり寄せた。その鼻先を撫でながら、シースはミディアに小さな声で話しかける。
「ミディアさん、ありがとうございました。おかげで、出発の挨拶をしてこられました」
そう言って、今さっきまで浮かべていた大人びた微笑みとは違うはにかんだような笑みを浮かべるシース。その胸元では、先ほどまではかけていなかった小瓶のペンダントが白い光をささやかに湛えていた。ミディアはにこりと笑みを返す。
「気をつけて行ってきてね、シース君。旅先の任務が終わったら、ちゃんと無事に帰ってきてあげるのよ」
シースは再びキリリと引き締まった面持ちになって「はい」とうなずく。
「ミディアさんも、一日でも早く全快となりますように。薬師の里の一同、誠心誠意、治療に当たらせていただきます」
そうして二人は固い握手を交わした。
「それでは若長殿、行きましょうか」
騎士たちと若長シース、そして長老エイトワスが、それぞれ一通りの言葉を交わし終えた後。最後にそう一声、中隊長のナッドが告げた。
「はい。どうぞよろしくお願いいたします」
シースはそれにうなずき、白いローブをはためかせて馬に乗る。
そうして里を発つ三名の王国騎士と北の薬師団の若長シース。その彼らの背中を見送りつつ、長老エイトワスをはじめ里の人々はそれぞれ杖を取り出し空に掲げた。
「星よ、星よ。彼らを導き給え」
薬師の里の人々の、祈るような声が厳かに重なる。同時に、曇り空に向けられた杖の先端一つひとつ、そこに淡い白の光が灯った。
(これが、この里の見送りの儀式なのね)
その光景にミディアは思わず見とれ、ほぅと息をついた。里の人々の言葉のように、それはまるで灰色の空の只中にあっても確かに輝き道を照らす星の光のようだった。
(……タニアちゃんも、どこかで見送っているかしら)
ミディアはそう思わずにはいられなかった。灰色の空の下、星のように見える杖の先の光はまた同時に、雫草の放つ光のようにも見えたから。
全速力では決してないがそれでも馬の脚は早く、騎士たちとシースの姿はどんどんと遠ざかる。白色のローブをまとったシースの姿。それがやがて小さく丸く点になり、地平線の向こうに遠く見えなくなった。
里の人々は杖を下ろし、どこか名残を惜しむ空気を湛えながらもまたそれぞれの仕事に戻っていく。
その中で、アーバルはエイトワスの方に向き直り声をかけた。
「それでは、ミディアのことどうかよろしくお願い申し上げます」
「うむ、ご安心召されよ。完治と相成った際には、こちらから魔法にて連絡を差し上げましょう。アーバル殿、貴殿らの拠点となる場所に、水面が常にあるようご用意いただけますかな。それとも何か、鏡などの姿の映るものはお持ちだろうか」
エイトワスの問いかけにアーバルは軽くうなずくと、自身の懐からそっと小さな水晶玉を取り出し控えめに提示した。王城にて待機する王室付き魔法使いスターズとの連絡用のものだ。それが、今は何も映さないままでアーバルの手の中にただある。
(王子の奪還を果たしたら即座に魔法を使って連絡を、との当初の話であったが……)
水晶玉の冷たい感触を手の平で覚えつつ、アーバルは内心そう苦く思うのを禁じえなかった。
一方で、アーバルの取り出したそれを見てエイトワスは「ほう」と感嘆の息を漏らす。
「良い品をお持ちで。それなら充分です。では、連絡はそこへ」
そうして会話を終えると、アーバルは水晶玉をしまい剣のベルトを締め直して、ひらりと馬にまたがった。そのままミディアの方に顔を向ける。
「ミディアよ。それでは私も、もう行こうと思う」
アーバルはそう告げた。老境の騎士の黒い目がミディアをしっかと見つめる。
「重ね重ねになるが、しっかりと治療に励むのだ。くれぐれも、無理はするでないぞ」
そうしてアーバルもまた里を発って行った。
ミディアはアーバルの背に手を振ろうと腕を上げかけ、そしてやめた。手を伸ばしたら、待ってと引き留めてしまいたくなりそうだと思ったから。その遠ざかる姿をミディアはただじっと見送る。やがて、アーバルの姿も見えなくなった。
その場に立ち尽くすミディア。もうこの里の出入口には人もほとんどいない。辺りに静けさが募っている。そこへ、一つの足音と声とがそっと響いた。
「体調は、いかがかの?」
ミディアが目を上げ振り向くと、そこには長老エイトワスの姿が。ミディアは表情を明るくするよう努めて答えた。
「はい、おかげさまで、この通り出歩けるようになりました」
そうしてミディアはぺこりと頭を下げた。
「またしばらくの間、お世話になります。長老様」
「何もない辺鄙なところじゃが、どうぞごゆるりと過ごされると良い」
エイトワスの白い髭と眉が、静かな微笑みと共に動いた。
「厚い雲に覆い隠されていても、その向こう側に確かに星はある。そのことを忘れなければ、人は迷わずに行くことができるのです。ミディアさん、どうかあなたにも星の道しるべが輝かんことを」
(里のおまじないの言葉か何かかしら)
ミディアはその不思議な言葉に首をかしげながらも、里の長老の穏やかな声が心地よく己に沁み込んでいくのを感じた。
(ええ、そうね。そのことを忘れなければ、迷わずに……)




