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Nigredo - 魔王伝説 -  作者: Ellie Blue
第4章 北の大地
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星見えぬ空2

 ミディアはそっと、タニアのいる木陰の方に歩み寄っていった。

 その視線の先で、タニアはそろそろと首を回しミディアの方へと顔を向ける。顎を引き上目遣いで用心深くこちらを伺うその様子、その目の色。それをミディアはなぜだか知っているような気がした。どこかで見覚えがある。怯えの色だ。

「大丈夫。あなたのこと、傷つけたりしないから……」

 ミディアはゆっくりと穏やかな声で話しかける。


 ミディアがすぐ前に来ても、タニアは逃げ出したりはしなかった。しかしまたその顔を下に向け、目を伏せてしまう。

 木陰にじっと身を潜めたままの少女。あどけなさのある可愛らしい顔立ちではある。しかし、目にかかる髪の下、うつむいた顔。そこに貼り付いた強ばった表情と頬に走る傷痕とが、この年頃の少女に似つかわしくなく嫌に目立っていた。

 木の下の薄暗がりの中で。少女タニアの握りしめた手、それでも中のものを壊すまいと注意深くふわりと丸めているようなその手から、ほんのわずか白い光が零れている。ミディアにはそれが〝雫草〟の光だと分かった。呪いの治癒に絶大な効果をもたらす薬草の花。

(ああ、この子が、あの日に薬草を採ってきてくれたんだわ)


 しかしミディアは今、その彼女の手の中にある花に気づかないふりをした。

(でも今持っているのは多分、私に渡すために摘んできたわけではなくって……。もし私の治療用に採ってきてくれたものだったら、きっとこの子は私を見たらすぐに、花だけを置いて逃げて行ってしまう。そう思えてならないの)

 そしてミディアは思い出す。ミディアに気づく前、タニアが見つめていた視線の先にあったものを。ミディアは横目で振り返った。坂の下、里の人家の立ち並ぶ方。先ほどまでのタニアの視線の先。そこには、白いローブをまとった北の薬師団の若き長シースがいる。もうすぐ里を出てまた長い旅路についてしまう、シースが。


 うつむいたままで、タニアの口元がくしゃりとへの字に曲がった。彼女の握った片手が、持ち上げられるようにわずか動く。そのままタニアは何か言おうとした。恐らくきっと、彼女の本来の望みとは異なるようなことを。

 それに気づき、タニアが声を発する前にミディアは慌てて口を開いた。

「ここでちょっと待ってて。すぐ、すぐだから!」

 それだけを言い残し、ミディアはタニアの返事も待たずにパッと駆け出した。坂道を駆け下り、小さな少女の向けていた視線の先、その方へ。


 久しぶりの運動、そして何よりも未だ消えず残る呪いの余波で、すぐに息が上がり喉がキュウッと詰まっていく。だがミディアは足を緩めることはなかった。

(こんなくらい、何てことないわ! 走れる、走れる! 一度飲んだ青い薬。それもしっかり効いているもの!)




 集落の中に通る川の枯れ跡沿いに行けば、里の人々の集まっている場所へはすぐに辿り着けた。

「シース君、シース君……!」

 人だかりから少し離れたところで、ミディアはシースを小声で呼んだ。それに気づき、シースは薄い青色の瞳を驚きで静かに丸くする。

「すみません皆さん。ちょっと用事が……。お爺さま、行ってきても良いでしょうか?」

 周りにそう告げて軽く頭を下げ、そしてシースは人だかりの中心から抜け出し、ミディアのそばまでやってきた。「どうしました、ミディアさん?」と訊ねるシースに、ミディアは整い切らない息と共にこう告げる。

「出発準備のことで、ちょっと来て欲しくて。お家の方に、先に向かってくれる? 私は後から、歩いて行くから!」






(ミディアさん、随分と急いでいたようだけれど……。母さまからの用事か何かかな?)

 そう考えつつ、白いローブを軽くはためかせ家までの坂道を駆けるシース。


 坂道を上がり切って、シースは自宅近くの木の下に見知った人影があることに気がついた。シースの視線の先。そこでは、灰色の少女タニアが木陰で立ち尽くしている。

 タニアは半ば突然のことに驚いたような、そして半ばこの時を待って緊張しきっているような、ないまぜの表情をしていた。

 シースはそこでふっと微笑みを浮かべた。目の前の少女に向けて。そして、目の前の少女がここに来てくれたことに対して。

「タニア、見送りに来てくれたの? 驚いた。嬉しいよ。どうもありがとう」

 シースはそう言いつつ、木陰の中にすい、と足を運ぶ。

 曇り空の下と言えど、駆けてきてほてった体に木陰の涼しさは心地が良かった。シースはほうっと大きく一つ息をつく。


 タニアはシースを前にしばらくじっと無言でいたが、ようやく何か決心したように口を開いた。握った片手がそろそろと、シースの前、胸の高さまで持ち上げられる。

「シース、これ……」

 静かな木陰の中で。白い光がぽうっと、ほのかに少女の手の平の上で輝いた。四枚の透明な花びらからなる花。〝雫草〟が一輪、そこにある。

 シースはそれを見て目を丸くした。そして丸く開いた目のまま、タニアの顔を見る。その目に映るのは、『シース、これ……』と、やっとどうにかそれだけを言ったきり、何も言葉を紡げないままで口を引き結んだその顔で、懸命にこちらを見るタニアの顔。

「ありがとう、タニア」

 だからシースは、何も訊かずにタニアから雫草の花を受け取った。


「……約束」

 ぽそり。小さな声でタニアが言う。彼女のその目は再び伏せられてしまっていた。そのままタニアは、一段と小さくなった低い声で繰り返すように言う。

「今度こそ、約束」

 それにシースは、同じようにそっと目を伏せ答える。

「うん、そうだね。……ごめん。こんなに予定よりも早く出ることになっちゃって」

 そうしてシースとタニアはどちらも黙り込んでしまった。だが、ひんやりとした空気が身動きの取れない冷たさへと変わってしまう前に。


「じゃあ、こうしよう。良いことを思いついた!」

 シースはパッと顔を上げ、薄い青色の瞳を輝かせてそう言った。

 白いローブの内側に掛けていたポシェットから、指先くらいの小瓶を二つ取り出す。コルク栓を開けると、シースはその中に雫草の花びらを入れた。雫草の花びらは、ゆるやかな流れ星の光のように(がく)から零れ落ちる。それをはらり、はらりと二枚ずつ、それぞれの小瓶の中に。

 シースは杖を取り出すと、二つの瓶の中を魔法の空気で満たし栓を閉めた。そのまま続けてポシェットから紐を二本取り出し、器用に小瓶の口に編んで巻いていく。

 そうして出来上がったのは、二つ揃いのペンダント。

 片方を自分の首にかけ、もう片方をシースはタニアの首にかける。今度はタニアが驚きで目を丸くする番だった。


「タニアも持っていて。その方が、僕も嬉しい」

 驚きで固まったタニアを前に、シースははにかむように微笑んだ。

「僕たち二人のお守りだ。雫草には癒しの力と、それに関連して魔を退ける力がある。とっても心強いよ、タニア」

 そしてシースは手を差し出した。

「これで絶対に大丈夫、ちゃんと帰ってくるから」

 薄い青色の瞳がまっすぐに少女の方を向く。

「また、元気で会おう。タニア」

「……うん、分かった。待ってる。シース」

 おずおずと手を伸ばし、だがしっかと、タニアは差し出された少年の手を取り握った。


 その時。

「騎士団の方が到着されたぞぉー!」

 坂の下の方で、里の誰かがそう言う声が聞こえた。


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