足踏みの下で地は固まる7
「ほれ」
ざっくばらんな調子でそう言う声と共に、アーバルの前にずいと、スープそしてパンが差し出される。
「ああ、ありがとう。オーグ」
アーバルは机の木目に落としていた視線を上げ、オーグに礼を言った。
オーグの語る昔話が終わり、アーバルが団員らの前に姿を見せたその後で。興奮の最中にいる騎士たちを半ば追っ払うようにしてどうにか各自のテントに帰らせ、そうしてオーグはアーバルを椅子にかけさせた。今はオーグとアーバル、二人の騎士だけが大テントの中に残っている。
オーグは皿を置いた後、腰を屈めたそのままの姿勢で、アーバルの前で動きを止めた。パンを千切るアーバルの顔を覗き込む。テーブル上の灯りの揺らめきに依るもの以上に、暗い影の差したその顔を。
「……アーバル、きちんと休め。酷い顔だぞ」
そう神妙な声で言った後、年かさの騎士は仰け反ってあっけらかんと笑った。
「わしらももう若くはないんだからなぁ! うわっはっは!」
「オーグ……」
アーバルは千切りかけたパンを持つ手を下ろし、笑う友の顔を見つめた。
「ああ、すまなんだ」
「謝らずとも、騎士団長殿」
冗談めかして、オーグは一つウィンクを寄こす。
「さぁて、わしもこれで戻るとするよ。しっかり食って、ゆっくり休め。お前さんのテントはもう用意してある。昔と同じ、右側の岩の柱のすぐ横だ。じゃあ、おやすみ」
「待ってくれ」
その場から立ち去りかけたオーグは、「ん?」と首をかしげ振り向いた。オーグの目に映るのは、再び机の木目に視線を落とす友の姿であった。
「報告が、ある」
硬い声で言うアーバルに、オーグは首を横に振りつつ声を返す。
「アーバル、今日はもう休め。一介の騎士の身で言うのもなんだが、報告は明日でも良かろうよ。頑強な騎士団長と言えど、人である以上、休息は必要だ。違うか?」
「ああ、ああ。そうだな……。……言い方を変えよう。少し、話をさせてくれ」
それは意外な言葉であった。だがオーグはその驚きを表に出しはしなかった。そのまま、アーバルの真向かいの椅子を引く。
「……分かった。でもまぁ、その前にまず飯をきちっと食べ終えること。冷めてしまってはもったいないしな。さ、食え食え」
アーバルは、パンくずの一つも残さずきれいに空になった皿を脇に寄せた。
「まず一つ。ミディアは今、とある村で世話になっている」
その言葉にオーグは、ほっと安堵の息を漏らした。
「お前さんと一緒の任だったから、不安こそはなかったが……。うん、それを聞けて良かった。同じ隊、特にトムが、彼女の姿がないと気にしておったからの」
アーバルは目で笑みを返して、そして続ける。
「もう一つ。そのとある村とは、かの北の薬師団の方々の、隠れ里のことなのだ。……ミディアは魔法の傷を受け、薬師団の方々に治療を施してもらっている」
オーグは神妙な顔をして無言でうなずいた。
「そして。その地で……」
アーバルはその先を言いよどんだ。言葉を止め、一度強く目をまたたき。そうして再び口を開く。
「告げられたよ。ミディアの治療には、しばし長らくの時間が要るらしい、と」
そう言葉を綴ったアーバルの正面。オーグは何も言わなかった。
老境の騎士アーバルは、胸の奥からそろそろと長い息を吐きながら、再びうつむき視線を下げる。
「私がついていながら……。王国騎士団長として、情けのない」
オーグは手を伸ばし、友の肩をぽんぽんと叩いた。
「アーバル。……先代の騎士団長殿もこれまでの騎士団の仲間たちも、いわんやミディアの父君も。草葉の陰から今のお前さんを見たとて、そうとは思わんだろうて。……我々今の王国騎士団員たちが、そう思わないのと同様に、な」
そうしてオーグは、友の肩に置いた手を今一度、念を入れるようにぐっと押す。
「さぁ、今度こそ寝ろ寝ろ。その分だと、どうも明日の朝も早そうだからな。そこで、騎士団長殿の指示を改めて仰ごうではないか。なぁ、アーバル」
「……ああ。ありがとう、オーグ」
老境の騎士は木目に落としていた視線を上げ、長らくの朋にそう礼を言うのだった。
一人分の寝床の用意されたテントの中。先ほどはついぞ零すことのできなかったことを思う。
「そして。その地で……」
アーバルの言いよどんだ、その先の言葉。
『魔王にまつわる伝説が刻まれた石版を見た。そこに〝真に勇なる者〟と、そういう文言があったのだ』
(だめだ。このことは、どうあっても……)
アーバルは目をつむり、寝返りを打った。そこで、己の腹が満たされていることを改めて実感する。
(そう言えば。隠れ里を発ってから、食事も休息も何も取らずに一気にここまで駆けてきたのだったな)
友の『休め休め、寝ろ寝ろ』という言葉を思い出す。アーバルの顔に、フッと微笑みが浮かんだ。友のかつてのあだ名を思い出したのだ。
(ああ、そうだな。寝坊助のオーグ)
アーバルはもう一つ寝返りを打ち、元の体勢に戻る。
(件のことについてここで考えていても栓無きこと。今はできることをせねば。それこそ、ひと眠りしてゆっくりと休んだ後に、だな)
翌朝、早朝。大テントに騎士団員らを招集し、王国騎士団長アーバルはこれまでの経緯とこの先の計画を簡潔に申し伝えた。
交易都市での災害、王国騎士団員ミディアの負傷、北の薬師団からの助力。
ミディアの呪いの治療、せめてもの御礼、交易都市まで若長を護衛する任。
そうして、若長シースを交易都市へ送り届ける任に就く騎士が、トム、ナッド、オーグの中隊に決まった。
「引き続き警戒を」と残る騎士たちに言い渡して、三人の騎士を伴い、アーバルは騎士団の野営地を発つ。
乾いた灰色の土は、ひとつ足を踏むごとにその下で固められていく。それをより一層固めそしてなおかつ跳ね飛ばし。王国騎士たちは、日の差さぬ北寄りの地を駆けて行った。




