足踏みの下で地は固まる6
突入作戦を行うのならば、可及的速やかに。準備を整え、敵に気づかれないうちに。
旅の魔法使いスターズを囲っての会合を終えた翌朝には、騎士たちは野営地を発つことにした。
未明に招集をかけられ、此度の作戦、これから野営地を出発していく旨が騎士団員全員に伝えられた折。各自の準備をするために一時解散となった、静かな騒めきの中。
招集の場に参加していたスターズの元へと、足早に駆け寄っていく音がした。弾むような足取り、と言っても過言ではないかもしれない。突入作戦を文字通り間近に控えた物々しい張り詰めた空気の中で、その様子はみなの目を引いた。騎士たちは思わず視線を向ける。スターズと、そこに駆け寄ったサムエルの方へ。
「あなたの魔法の薬、すごいんだな!」
開口一番。サムエルは目を輝かせてそう言った。その目元からはくまも消え、疲れの程などはうかがえない。サムエルは続けた。
「あの後、救護室で飲ませてもらったよ。効果はこの通りテキメンだ! ……正直、はじめは半信半疑だった。別に薬の一つや二つくらい、騎士団でも用意はあるんだしなぁって。音に聞く大陸の大医ナジュムの作った名薬ってならいざ知らず、さ」
そこまで言ってサムエルは、バツが悪そうに頭をわしわしと掻いた。しかしその顔には笑顔すら浮かんでいる。
「ありがとう、スターズさん。……ああ、いや、ここは『スターズ殿』の方が良いのか……?」
それを前にして、スターズは呆気に取られたように目をしばたいた。サムエルはそのまま続ける。
「戦いになった時のあなたの防御支援は任せてくれ。恩返しだ。そもそも、あなたがいなくちゃどうにもならない作戦でもあるしな。それに……」
そこまで言ってサムエルは、ニッといたずらっぽい笑みを浮かべる。
「いくら魔法に長けているって言っても、万全じゃない俺に吹っ飛ばされるなんて、いくらなんでもあれだしな、スターズ殿。できれば俺が鍛え直してやりたいところだ」
スターズはサムエルの話す間、ずっと驚きで目を見開いた顔のままでいたが、最後サムエルにつられるように、その口元に笑みを浮かべた。
「はは。それは、心強いですな」
線の細い骨ばった手を差し出す魔法使い。
「『スターズ』、で結構ですよ、サムエル殿」
その手を、がっしりした騎士の手が取る。
「じゃあ俺も『サムエル』で良い。よろしく、スターズ」
「ええ、承知しました。こちらこそよろしく、サムエル」
そうして二人は握手を交わした。
年若い騎士と、彼より幾分か歳を重ねた魔法使い。この瞬間、二人は確かに、旅の仲間となったのである。
灰色の空の下で見ることは叶わないが、確かに日は空へと昇る。隊列を組み野営地を出立した騎士団は、見えぬ日の昇った頃に〝迷いの森〟のすぐ手前へと辿り着いた。
視界いっぱいに立ち塞がる〝迷いの森〟の黒い木々。それを前にして、スターズはサムエルと共に乗っていた馬から下り、二歩三歩と近づいた。顎を引き、両の手を体の前で握りしめ、何やら口の中で短くつぶやく。
彼の後ろで控えていた騎士たちの目には何の変化も映らなかったが、魔法使いは一つ小さくうなずくと、伏せていた目を上げて騎士らの方を振り向いた。
「これでよろしい。森の中を進めます」
へぇ、とサムエルが驚嘆の声を漏らす。
「魔法っていうのは、改めて便利なものなんだな」
「便利。便利、ですか……。その言葉とは、やや違うのやもしれません。複雑、とも言えますし、単純、とも言えますよ。……力とは、得てしてそういうものです」
微笑みそっと口にするスターズ。そうして彼は片手を上げて森の方を指し示した。
「では、参りましょう」
鬱蒼と木々の茂る森の中を、騎士の隊列は進む。……以前に討伐の旅に出た騎士団員からの報告で聞いていたような敵からの攻撃は、まるでなかった。何者かと出くわすこともない。
〝迷いの森〟に足を踏み入れたことすら気づかれていないのだろうか。だとしたら、旅の魔法使いスターズの使った魔法は、さぞ強力な目くらましの魔法の類いだと言える。
どのくらいの間、歩いていただろうか。ほんの一時だったかもしれないし、随分と長い間だったかもしれない。
ふいに、深い森の只中から視界が開けた。
眼前に広がる光景を目の当たりにし、ある騎士はハッと息を飲み、またある騎士は長く長く息を吐いた。
彼らの視界に映るは、重苦しく垂れこめる灰色の空、同じ色をしたひび割れた地面。際限なく広がるそれら。
騎士らが視線を先に向けると、その視線が突き当たるような位置、岩山の上に、尖塔を持ち禍々しい気配を放つ城がそびえ立っているのが目に映る。その城が魔王城であることは明らかだった。
そして、まるでその城から伸ばし敷かれた絨毯のごとく、地に満ちひしめき合う、鎧で身を固めた魔王の手下の軍勢。
北の大地に、辿り着いた。悪しき魔王が君臨する場所へ。
「ヒィッ、ヒヒヒヒィー!」
甲高い耳障りな音が、けたたましく響き渡った。それは上空からのものだった。騎士らがその方をバッと見上げる。そこにあったのは、さながら巨大な怪鳥のように飛び回る黒い一点の染みのような影。
「何だ、あれは……」
「鳥か? 見張りなのかもしれない」
「何かの魔法という可能性もあるだろうか?」
怪訝に眉をひそめて騒めく騎士たちの中。
「いや、違う」
サムエルの声が静かに、しかし鋭く放たれた。
「あれは老婆だ。……きっと、あいつが」
エナリア姫がさらわれた日、城下町で目撃されていた不審な老婆。後にエナリア姫をさらった魔女だと判明した小癪な老婆。卑劣で邪悪な魔王の手下の、醜い老婆……。
一つ鞭が鳴った。かと思うと、サムエルの姿が一陣の風となる。アーバルの制止も間に合わない。サムエルは鞍の後ろにスターズを乗せたまま、敵の中へと突っ込んだ。
無数の軍勢は黒い波がうねるように躍り上がり、サムエルを飲み込まんと襲いかかった。
その只中で、サムエルは抜き身の剣を振りかぶる。剣の切っ先が、陽のほとんど差し込まない中、わずかな光を受けて一瞬、キラと輝いた。
振り下ろされる剣。そこにスターズの魔法が乗った。押し寄せていた鎧姿の軍勢が、枯葉や小枝のように吹っ飛んでいく。
斬撃の軌道、サムエルの前に、一本の道が拓けた。
「進め!」
アーバルの一声が通る。
切り開かれた道を、王国騎士団は鬨の声を上げてまっすぐに突き進んだ。見据えるその先、そびえ立つ魔王城へ。
オーグは一つ息をつくと、左右に軽く首を振った彼の周りで話に聴き入っていた騎士たちは、そこでハッと我に返る。
「わしを始め多くの騎士は、魔王城の中にまでは辿り着けなんだ」
しわの浮かんだ手をさすり合わせつつ、オーグは続ける。
「魔王城、それがそびえる山にまで行けたのは、少なくともアーバル殿、スターズ殿、そして他ならぬ、サムエル様」
再びオーグの語りが、野営地のテントの中に響いて連なっていく。騎士たちはそれに耳を傾けた。
「しかし直に見えずとも、サムエル様の勝利の時は、しかと分かった」
「並み居る魔王の手下どもと交戦を続けていった最中で、突如、敵の動きが止まった。かと思うと、それまで倒れても何度でも起き上がってきた敵どもが、まるで砂のように崩れ去っていったのだ」
「最後に一つ、魔女の悲鳴が聞こえた。すると、それまで禍々しい気を放っていた魔王城からその気配がなくなり、ただのおんぼろの城と変わり果てた。……いや、あれはそう戻ったと言った方が、合っているのかもしれんな」
「北の大地は静まり返った。わしら騎士団員の姿だけがその大地に残っていた」
「呆然と立ち尽くすわしらの元に、ふいに足音が聞こえてきた。ザッ、ザッと、確かに土を踏む足音が。顔を上げると、そこには同じ馬にまたがったアーバル殿とスターズ殿」
「そして、二人が戻られてしばらくの後に、もう一つ、足音が」
「サムエル様の馬だった。その鞍の上には、当然ながらサムエル様。そしてその腕には、エナリア様の御姿がしっかと抱きかかえられていた」
オーグは「それを目の当たりにした時、大地が割れんばかりにみながワッと湧いた」と言おうとしたが、にっこりと微笑んで語りを止めた。
今まさに、周りの騎士たちが、地を揺るがすような歓声をワッと上げていたから。
「かくして、唄の中で語られる勇者は誕生したのだ」
語り部オーグは、そう話を締めくくる。
「勇者! サムエル!」「勇者! サムエル!」「勇者! サムエル!」
野営地の大テントに、騎士たちの歓声が絶えることなく響き渡る。
その中でオーグは、とある方向にふっと視線を向けた。
「なぁ。アーバル。長らくの朋よ」
オーグのその言葉、それが向けられた方向に、騎士たちは一斉に顔を向ける。
テント入口のほろが持ち上げられ、夜も更けゆく時分、内部の灯りを受けながら一人の人物が姿を現す。王国騎士団長にして、魔王討伐の立役者のうちの一人。現王国騎士団、団長のアーバルが。
騎士たちは目を見張り、そして勢いよく立ち上がると割れんばかりの拍手で騎士団長を迎えた。
アーバルは喜びに湧き立つ騎士団員らの只中、自身に呼びかけたオーグに目を向け、やや遅れて、その白い髭を蓄えた口でニコと微笑みを浮かべた。
「……ああ、そうだな」




