足踏みの下で地は固まる5
魔法の扱いに長けた者も今ここにいる騎士団のメンバー内にはいたが、スターズと名乗ったこの旅の魔法使いの男の腕前は別格、いや、破格だった。
「今のままでも、滅多なことでは敵から勘づかれることはないでしょうが……。一度私の方で、防護魔法をかけてみても?」
スターズを野営地に招き入れた際。その申し出にアーバルら中隊長陣が互いに顔を見合わせつつうなずくと、スターズは杖を高く掲げ、それはそれは見事な防護魔法を張ってみせた。
杖から放たれ高く高く打ちあがる、糸のように細い光。それは上空で輪っか状に広がって弧を描き、岩場の谷全体をすっぽりと包み込んだ。光の輪が地面に触れて消えた時、囲われた内側に空気が密閉されるような感覚を騎士たちは覚えた。魔法に長けた者でなくても分かる。これは並大抵ではない、凄まじい規模の魔法だ。
しかしスターズはその才に驕ることなく、彼の知る魔法の術を快く王国騎士団員たちに教え伝えた。
スターズが野営地に来た翌日。騎士たちからのしげしげという視線に囲まれつつ、スターズは携行用の小さな鍋で魔法薬を煎じていった。
三脚の上に乗せられた黒い鍋の中、明るい緑色をした液体がくつくつと煮える。匙で鍋の中身をかき回す度に、いかにも薬効のありそうなにおいが騎士たちの鼻先をかすめるように漂った。そうして最後に鍋を覗き込んで薬の色を確認し、満足げに一つうなずくスターズ。
「できました。これは言わば万能の治療薬。並の傷にも魔法の傷にも効く優れものなのです」
おお、と騎士たちから感嘆の声が上がる。
「今作ったこの分は、まずはサムエルさんのところに持っていきますね」
スターズはそう言って鍋の持ち手を掴み、ひょいと持ち上げつつ立ち上がった。
「魔法薬と言えば。スターズ殿は、北の薬師団の方々とお知り合いだったりはするのですか?」
紺色のローブをはためかせて立ち上がる魔法使い。その彼を見送る騎士たちの中、感心しきった話しぶりのままにそう訊ねた者もいたが、それにスターズは曖昧に微笑むのみだった。
気を失ったサムエルが昨日から寝かされている、救護室の役割を担うテント。今の時間は日の傾きかける頃合い。灯りを点けるまでもないが、薄暗くなりつつある最中だった。衣擦れの音を極わずかに立てながら、湯気の立つ薬を片手にスターズは中へと足を踏み入れた。
簡易ベッドの薄い敷布団の上。サムエルが静かに横たわっている。スターズは一歩、そちらの方に近付いた。
するとサムエルはそれまで閉じていた目を開け、微かな音のした方を向く。サムエルの暗褐色の目が、訪れた者スターズをしかと捉えた。
騎士サムエルの視線を前にして、魔法使いスターズは口を開く。
「良かった、もう目は覚めたんですね」
「……言っておくが、今あなたが来る前には、もう目は覚めていたからな。俺は」
スターズの静かな声は心底安心したという響きの滲むものだった。一方でサムエルの声には、苦々しく思っている様があからさまに表出している。だがそれを受けても、スターズは変わらぬ穏やかな表情を浮かべていた。
そのまま沈黙が流れる。サムエルは険のある眼差しを緩めると、ややバツの悪そうな顔をして再び口を開いた。
「まぁ、あの時は……、悪かったよ」
それはサムエルがここに寝かされることとなった遠因、やってきたスターズに襲いかかった時のことを指しての言葉だった。そのことはスターズにも十分に通じたようだ。
「きちんと薬を飲んで、よく眠ること」
スターズは軽く笑い、そして湯気の立つ薬湯を匙で掬ってサムエルの口元に差し出した。
「良いよ、自分で飲めるから。別に、病気ってわけでもないんだし」
ニヤリとくだけた笑みを返して、サムエルは匙を受け取ろうと手を伸ばす。
そこへ「スターズ殿」と、テントの奥から声がかけられた。次いで現れたのは、サムエルの様子を見に来ていたアーバル、そして救護室での仕事に就いている騎士団員の二人。アーバルは続けて言った。
「薬の処方、誠に助かる。先ほど、団員らの前で煎じるところを見せてくれていたようだが、ここでの医師役を務める彼にも、その薬を見せてやってはくれぬだろうか」
「ああ。ええ、もちろん。構いませんよ」
サムエルに差し出していた匙を戻し、鍋ごとその薬を騎士に手渡すスターズ。
「おお、これが……。では、ちょっとお借りさせていただきますよ」
その騎士は目を丸くしつつ、魔法薬の入った鍋を注意深く持って、再びテントの奥へと引っ込んでいった。
その場に残されたアーバルとサムエル、そしてスターズ。アーバルはスターズの方を向き、神妙な面持ちで口を開いた。
「スターズ殿。貴殿のその魔法の腕を見込んで、折り入って頼みがあるのだが……」
その日の夜、夕食を済ませた後。騎士団中隊長らの会合の場となったテントに、濃紺のローブをまとった旅の魔法使いスターズは姿を現した。アーバルに声を掛けられた件だった。
蝋燭の揺らめく灯りの中、影の差した中隊長らの物々しい顔に囲まれるようにして、用意された椅子に掛けるスターズ。
「……もう貴殿も、どこか旅の途中で耳にしたに違いない。エナリア様が、魔王にさらわれたという話を」
居並ぶ中隊長のうち、アーバルが初めに重い口を開いた。そこから、オーグなど他の中隊長らが代わる代わるに話を進める。
「魔王は、かの〝北の大地〟にいる。だが我々は、その前に立ち塞がる〝迷いの森〟を突破する手立てを掴むことができないままでいるのです」
「そこで貴殿の手を、その知恵を、お貸しいただきたい。もちろん、御礼はしかと。エナリア様をお救いできたあかつきには国王陛下へ、この旅路の多大なる功労者として紹介をさせていただきたく……」
中隊長らからそう話を受け、スターズは口元に手を当てた。次いで「ふむ」と考え込む声を漏らす。
「〝迷いの森〟、その中を……」
そう小さくつぶやくと、スターズはパッと口元から手を離し、間髪入れずに言葉を綴った。
「それでは私が、〝迷いの森〟を進む先陣を切りましょう。あなた方の進む道を、拓きます」
微塵たりとも思いがけなかったスターズの言葉に、中隊長らは大きくどよめいた。
「おお、なんと、そのような申し出を……。それは心底ありがたいが、だがしかし、何もそこまでしていただかなくとも……」
「〝迷いの森〟を進む、つまり、あの魔王の元へ攻め入る、ということなんですよ。突破した先で離脱できるとは到底思えない。貴殿をそこまで巻き込むわけには……」
そう口々に騎士らは言ったが、スターズは静かな変わらぬ表情を浮かべたまま、しかし頑として譲ることはなかった。
「魔法の力が必要であるならば、どうぞ私をお使いください。それは、この我が身に課せられた言わば使命でもあるのですから」
浅黒い顔。動かない表情。その中で魔法使いの両の目が、揺らめく蝋燭の光を強く反射していた。




