足踏みの下で地は固まる4
オーグは目をつむった。まぶたの裏にありありと、在りし日の光景がよみがえる。その様子を、騎士として長らく勤め続けてきた男はしわの寄りはじめた口で滔々と語った。集まった騎士たちはそれに耳を傾ける。年長者の語る光景を、それぞれの胸に思い描きながら。
「姫を奪還せよ。何としてでも」
病床より、魔法の拡声器を用いて謁見の大庭へと届けられる王の声。喉の奥から絞り出されるしわがれたその声が、しかしそれでも、いやむしろだからこそよりいっそう、重々しく響き渡る。
謁見のバルコニー、それの面した大庭に集められた、わずか数分の一の数となった王国騎士たち。ここにいる騎士たちは、魔王討伐の第二陣で命を落とした騎士団長ゴードンより選任され王家の身辺警護を担っていた、少数ながらも粒選りの面々。残された切り札、とも言えた。
彼らは王の言葉に、抜き身の剣を握った手を高く掲げた。その口から上がる声は、大気をビリビリと震わせんばかりに。
「国王陛下、万歳っ!」
「悪しき魔王を倒せ!」
「姫様を取り戻すぞ!」
そう勇む騎士たちの中、期待の新人サムエルは、ひときわ大きな声を張り上げたのである。
騎士団の隊列は馬を駆り、国を北へ北へと脇目もふらずに向かった。そうして辿り着いた暗雲垂れ込める北寄りの地にて、彼らは壁のように立ち塞がる〝迷いの森〟と、その向こう側に夢か幻かのように浮かび上がる不気味な城の姿とを目の当たりにする。
「あれが〝迷いの森〟……。見ろ、その奥の城の禍々しさを。かの魔王の領地をぐるりと囲んだあの森が、そこに足を踏み入れる者を惑わせ、追い詰め、殺すのだとよ……」
「王国騎士たる者、そうむやみやたらに恐れるな。討伐第二陣の生存帰還者からは、魔王の手の者どもの魔法の痕跡を辿ることであの森を抜けたとの報告が上がっている」
「しかし、振るうのがただの蛮勇であってはいただけない。第二陣では数で押して森の中を進めただろうが、今の我々ではそうもいくまいよ」
「であるならば、ここいらに基地を置き、一気に向こう側へと攻め入ることのできる機会をうかがおうではないか」
中隊長らはそう額を寄せて話し合い、そうして騎士たちは〝迷いの森〟の手前、谷状に開けた岩場の地形に野営地を構え、勝機を待つことにした。
しかし。この手も足も出ない状況、それを打破するに足るきっかけは、長らくの間その手に掴めないままで、まるでその場で足踏みをするかのように時は過ぎていった。
「――ハッ!」
野営地に張られた防護魔法の内側に響く模擬戦の稽古の音は、日増しに激しさを増して。
ガ、キィンッ!
差し向かった相手の手から跳ね飛ばされた剣が地面に落ちても、騎士サムエルは己の剣を鞘に収めることはなかった。
「立て! まだだ! まだ俺は戦える! 剣を取れ!」
王都で整えてから時間が経ち伸びてきた鳶色の髪を振り乱し、サムエルは吼えた。
「落ち着け、サムエル。もう終いだ。これ以上は明日からの任務に響く」
そこに割って入る、彼の所属する中隊の隊長であり、彼の師匠でもあるアーバル。サムエルは、帯びた剣呑さを抑えも隠しもしようとしない荒らいだ声のまま、言葉を放った。
「明日からの任務? ただじっとして徒に時間を使うことが、ですか? そんなの、魚の逃げた海で釣り糸をぼうっと垂らしているのより無益だ」
「サムエル!」
アーバルの鋭い声が飛ぶ。周りの騎士たちはそれに思わず肩をビクリと跳ねさせた。 アーバルの真一文字に引き結ばれた口。その周りを縁取る、白いものが交じりはじめてはいるがまだまだ黒々とした髭。その頑として動くことのない表情を前に、サムエルは剣を下げた。
「すみません。気が滅入ってしまっていて……」
サムエルは唇を噛み締め、片方の手でわしわしと乱雑に頭を掻いた。
焦り。騎士たち、中でもとりわけサムエル。彼らの胸に広がるものは、その一言に尽きた。
エナリア姫がさらわれてからこのかた、何かを成し得た手応えなど皆目なく。討伐の旅へ出ること叶わず王都に留められ、成す術もなく多くの仲間を失ったその果てに、ようやく訪れた出撃の機会。しかしそこでもこのように足止めを喰らい、そうして苦汁を飲まされ続け……。
ましてや、サムエルである。エナリア姫の裳着の儀、そして結婚相手の選定の時期を迎えるに際して「警護のよりいっそうの強化に」と王国騎士に迎えられた彼にとって。〝エナリア姫を守る役目を成せない〟。それは、煮えたぎった苦汁を腹に流し込まれるような思いですらあっただろう。
エナリア姫。麦の穂のようにまばゆい金色の髪。陽光のように温かくそしてどこか凛としたところのある微笑み。それが王国内を照らさずに北の地で失われていることを思うと、誰しもが胸を締め付けられずにはいられなかった。
「……我々がここで倒れ、エナリア様の元へ辿り着けなくば、元も子もないのだ」
そう静かに告げたアーバルに、サムエルは返す言葉もなかった。
アーバルは続ける。
「繰り返す。今日はもう、終いだ。良く体を休めておくように。……他の皆もな」
騎士たちがぽつりぽつりとその場から引き上げていき、そうして野営地に訪れた静けさ。しかしそれは、垂れ込める暗雲の下、とうてい安らぎと呼ぶには程遠いものだった。
そのような折でのこと。目くらましの魔法を張ることで、これまで魔王の手の者どもの襲撃をかわしてきたはずの野営地に、まっすぐ向かうように進んでくる人影があった。
その人影は馬にも乗らず、徒歩で荒野を一人進んでいる。影の姿は男のように見えた。灰色の空の下、濃く暗い色をした衣服が、冷たく乾いた風に揺れてはためいている。
野営地内側の岩陰より、騎士たちは剣の柄に手をかけて、その影を警戒していた。その時。
「おい……っ!」
岩場の陰から飛び出していく残像。サムエルだった。剣を抜き払ったサムエルは瞬く間にその影へと肉迫し、飛びかかる。
ドサリと鈍い音を立てて地面に倒れ込む影。
しかし影は倒れたまま片方の腕を振り上げた。その手には、長い杖が握られている。
魔法を操る者か……! 騎士たちの間にいっそうの緊張が走った。彼らの視界の端に、アーバルが飛び出していく姿が映る。だがそれでも到底、間に合いそうもない。
駄目だ。誰もがそう思ったが。
男の掲げた杖の先に、緑の光が灯った。その光は音もなく広がり、男の上に覆い被さるように剣を振り上げるサムエルの体を包み込む。治癒魔法の光が。
「あなたは一度、きちんと休養を取った方が良い」
弟子の元へと駆けつけたアーバルの耳に入ったのは、そう静かに言う男の声だった。
姿勢が崩れ、ゆっくりと倒れていくサムエルの口が呻く。
「俺はそんな……、そんな軟弱者なんかじゃ、な、い……」
そのままサムエルは、男のすぐ横の地面にパタリと倒れた。
そこに近づいてくる幾重もの足音。騎士たちが男を取り囲み、抜き身の剣を振り上げるのを、アーバルが片手を上げて制した。
時が止まったかのように、張り詰めて静まり返った辺りの空気。
その中でふいに響く。サムエルの寝息が。
「彼は眠っているだけです。……私の治癒魔法で眠ってしまったのは、疲労の蓄積ゆえでしょう」
地面に尻をついたまま、男は変わらぬ静かな声でそう言って顔を上げた。アーバルは、紺色のローブをまとった男のその浅黒い顔をまっすぐに見て、それから一つ大きくうなずいた。
「ああ、ああ。分かるよ、まったくもってその通りだ……」
そうしてアーバルは今一度、大きく頭を前に倒す。今度は深い謝意を表すために。
「……大変なご迷惑をおかけした。誠にすまない。そして心からの礼を。ありがとう、魔導士殿」
紺色のローブ姿の男はその場から立ち上がり、そうして再び口を開いた。
「私は、旅の魔法使いスターズ。……お困りのこととお見受けして、やって参りました」




