足踏みの下で地は固まる2
アーバルの頬を、冷たく乾いた風が打つ。老境の騎士は馬を駆り、王城を発つ際に騎士団員らへ指示を出していた集合場所へと向かっていた。
大きく幅を利かせて広がり伸びる〝迷いの森〟。その手前のとある場所に、中長期的な野営に適した、谷状に開けた岩場の地形がある。
(……もう既に、多くの騎士団員がそこへ集まっている頃合いであろう)
アーバルは再び馬に鞭を入れた。
あの後。長老エイトワスから『出立は、貴殿の用意ができてからで良い』と言われはしたが、いてもたってもいられずアーバルは、当初の予定通り最短で里を出ることにしたのだ。
『いえ、問題はありません。お気遣い感謝申し上げます』
あの枯れた水源からエイトワスの家へと戻った際に、自らの口が放った言葉。それが今でも、アーバル自身の耳にこびりついて残っていた。その、固く強張った声が。
アーバルが里を出たのは、厚い雲の向こうで太陽が空に高く昇った頃。預けていた自身の馬を受け取り、エイトワスとシースにその背中を見送られ、アーバルは一人静かに里を出立した。
出る分には特に、この薬師の隠れ里を覆う防護魔法への影響はないらしい。出立の際にシースからそう説明があった。
『戻られた際には、こちらから里への入口を開きますからご安心ください』
そうしてアーバルは、初めにシースから案内されて来た地点を馬の背に乗りそのまま通り過ぎる。
そのすぐ後で。アーバルはふと後ろを振り向いた。
(ミディア。思えば療養中の彼女に、先に出立すること自体は事前に伝えてはいたものの、今から出るとは言わずに来てしまったな)
しかしそこにはもう集落の姿は影も形もなく。紙芝居の頁をめくった時のように、深い木々の生い茂る森がアーバルの目の前に、堅牢な壁のように立ち塞がっていた。
そこからアーバルは東へ駆け続けた。それこそ、馬の脚が許す限り、脇目もふらず。
……本音を零せるのであれば。どこかで一度足を止め、自身の頭ないし心を休めたい思いもあるにはあった。しかしこの北寄りの地、暗澹たる〝迷いの森〟の姿がどこにいても否応なしに目に映るこの地では、アーバルが気を安らげられるような場所も見つからず。そして。
(この老骨の胸の内などという都合一つで、時間を無為に費やすわけにもいくまい)
そういう思いもまた、アーバルの中に確かにあったのである。
(馬を駆るこの間にも気持ちを鎮めることはできよう。それに、そうだ。このまま行けば恐らくは、日の落ち切る頃にはどうにか目的地に辿り着けるはずだ。それが良い。そうするのがきっと、一番良い……)
そうアーバルは一人、灰色の空の下、灰色の地の上を、一直線に馬を駆るのだった。
時を同じくして。地面に撒かれた砂のまじないの上を、騎士を乗せた三頭の馬の脚がまたいだ。
「やあ、すごいな」
王国騎士トム、ナッド、オーグの三人はそう感嘆の息を漏らす。普段の騎士団の任において、ミディアと行動を共にしている隊の三人だ。
〝迷いの森〟の手前、谷状に開けた岩場の地形にて。それまでぼんやりとしか目に映らず認識のできなかった野営地の様子が、はっきりと見えるようになる。微かに聞こえるか聞こえないか程度だった人の声も、やにわに大きく三人の耳に届いた。
谷の上には目くらましの魔法の施された布が張られている。野営地の周囲にぐるりと撒かれた獣除けのまじないの砂と合わさって、魔法による秘匿を成しているのだ。
そしてその魔法の内側、谷の内部には大小様々なテントが立ち並び、その間を王国騎士団員たちが行き来していた。
「基地としての設営は、もうだいぶ進んでいるようだな」
壮年の騎士ナッドがそう口にすれば、年かさの騎士オーグがそれに答える。
「まぁ、わしらは一番遠回りになる南方の見回りの任だったからな、さもありなんよ」
「もうほとんどの隊が集まって来てるみたいだ。ミディアもどこかにいるかな……」
二人の横で、若い騎士トムが辺りをきょろきょろと見回しながら言った。
「おお、ナッドの隊も来たか」
そこへ、先に到着していた騎士の内の一人が歩み寄り、三人に向かってひょいと片手を上げ声を掛けてきた。
「ああ、しばらく振りだな」
馬を降り軽い挨拶を交わし、そのすぐ後で。
「騎士団長殿はいずこに?」
そうナッドが尋ねると、出迎えた騎士は首を横に振った。
「いいや、まだだ。まだご到着なさっていない。それに、魔法でも早馬でも、何の連絡も入って来ていない。……俺たちはここに着いて以来、ずっと待機をしているんだ」
そう口にした騎士の顔には、表に出そうとしたわけではないだろうが、隠しようもない不安の色が浮かんでいた。その騎士と似た面もちになって顔を見合わせるナッドとトム。
しかし、年かさの騎士オーグはのんびりと、だがどこかきっぱりと、一つうなずいて口を開いた。
「では、このまま引き続き待機するとしよう。なぁに、アーバル団長殿のことだ。状況はよぉく把握なすっているに違いない。わしらはそれに応えられるよう、準備をこなしておくだけのことだ。だろう?」
それからトム、ナッド、オーグの三人は、武器、防具、そして馬具の手入れを丁寧に行い、やがて騎士団野営地に夜が訪れた。騎士らは見張りの者を除いて、大テントへ食事を摂りに向かう。
「ナッド、南方の様子はどうだった?」
大テントの中。いくつかあるテーブルの一つに、他の隊の騎士たちと並んで腰かける。隣に座った別隊の騎士がナッドにそう話しかけてきた。
「あちらは何も取り立てて大きな変化はなかった。海辺の高台の邸宅群も、そのふもとの村の方も、平穏無事だったよ。……交易都市の方では酷く状況が荒れたと聞く。そちらの隊は、近くを通り掛かったか?」
「いや、うちの隊はそちらの方面を大回りにして進むルートで……」
テント内の賑わいの中。どこか小声になってぼそぼそと交わす会話。守りの魔法の内側に、北方の地の夜の冷気が入り込む。
「はい、ここの席の分な。お待ちどう!」
そこへ、煮炊きの係を担った騎士団員が盆を持ってやってきた。湯気の立つ椀が騎士ら各人の前に、ドン、ドン、と勢いよく置かれる。豪華なものとは決して言えないが、それぞれが携行してきた食糧を集めて作られた、パンとスープの温かい食事だ。その湯気を前にナッドらは顔を見合わせた。
「では、冷めないうちにいただくとしよう」
それを口にすれば、動かない状況に焦燥感を覚え始めていた騎士たちの気持ちも、固くなったパンを温かいスープに浸した時のように少しは和らぐ。
テント内の賑わいの中。同じテーブルについた騎士たちは、周りの喧騒に負けないよう声を張って言葉を交わした。
「トム、若ぇヤツはしっかり食えよ! ほれ、この野菜の塊やるから!」
「それ自分で食べたくないだけじゃあないんですか? まぁもらいますけど。腹減ってるんで!」
ドッと笑い声が上がる。別段なんてこともない会話だったが、集まった騎士たちはこれ幸いとその盛り上がりに乗じた。
やがて賑わいはピークを迎え、誰からともなくやんやと手を打って歌い出す。もちろん、勝利と栄光の証である、『勇者の唄』を。
「あるところに たいそう美しい おひいさまが いました
おひいさまは 大きなお城で 王さまと王妃さま
たくさんの召し使いたちと一緒に 暮らしていました
ところがある日 悪い魔女があらわれて
おひいさまを 恐ろしい魔王の元へ さらってしまいました
しかしそこへ 勇者があらわれました
勇者は戦いの末 みごとその剣で
邪悪な恐ろしい魔王を 討ちほろぼしました
勇者と おひいさまは 結婚して
いつまでも いつまでも しあわせに 暮らしました」
唄の終わったその折に。「そういえば」と誰かが声を上げた。
「オーグのじいさんは、その魔王討伐の遠征に参加してたんだよな?」
バッと、騎士らの視線が年かさの騎士オーグに集まった。大テントの中は揺れんばかりにどよめく。
「そうか、確かにオーグさんの年代は……!」
「ぜひお聞かせ願いたい、当時を知る生の声を!」
「頼むぜ、もったいぶるなよ、じいさん!」
集まる視線のその先で。年かさの騎士オーグは目をまたたいた後、咳払いを一つ。それを機に段々と静まっていく騎士たちの只中で、オーグはゆっくりとその口を開いた。
「ああ、確かにわしは、魔王討伐の遠征に参加した。その時は中隊長だったな。当時同じく中隊長の階級だったアーバル団長殿と、その隊に所属なすっていたサムエル様。そのお二人が出たのと同じ遠征。今しがた歌った、『勇者の唄』で語られた旅路だ――」




