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Nigredo - 魔王伝説 -  作者: Ellie Blue
第4章 北の大地
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血と土地の記憶6

 夜半。アーバルは長老エイトワス宅の庭先で素振りをしていた。

 長老の家は薬師の里の小高い丘の上にある。ここからは里の様子を一望できた。とはいえ、月も星も出ていない今では見えるものも限られるのだが。アーバルは夜の暗さに半ば沈む里の景色を眺めつ、素振りを続けた。


 今アーバルが手にしている剣は、かの交易都市で駐在騎士の分隊長オズマから譲り受けた剣。振り抜くたびに、夜の空気をヒュッ、ヒュッと切る小気味よい音がする。アーバルは素振りの手を止めうなずいた。

(これでおおよそ感覚は掴めたか。丈夫で実直な剣だ。よく手入れもされている)


 その時。アーバルの視界に小さく光が映った。穏やかな若草色の光。誰かが治癒の魔法を使ったようだ。アーバルは目を凝らしてみたが、光はやがてスッと静かに消えていった。その後は元の暗闇に包まれ、誰がいたのか見ることはかなわない。

(治癒の魔法。治療の技術。薬師の里、か……)

 アーバルは剣を握る手を下ろした。せわしなかった空気の流れが収まり、虫の声がかすかに耳に届き聞こえる静かな里の夜が戻ってきた。

 長老エイトワスの手による目くらましと防護の魔法で包まれたこの薬師の里には、穏やかな空気が満ちみちている。アーバルはその天球を振り仰ぎ、見上げた。防護魔法のその先を。


 本来ならば。この時間には既に、アーバルは治療にかかるミディアを残して里を出立し、迷いの森の手前で招集をかけた騎士団と合流すべく、魔法の覆いから外れた凍てつくような寒空の下を馬で駆けているはず。そのつもりだった。

 アーバルは剣を鞘に収め、その鷲鼻から長い息を吐いた。無論、素振り程度で息の上がるアーバルではない。剣をしまうその折。アーバルはひと時前、長老宅で交わしたエイトワスとの会話を思い返していた。






『今は何よりも休息を』と、シースに案内されて来客用の部屋に案内されるミディア。その寂しげな背中に、アーバルはどこか既視感を覚えた。

(そうか、あの交易都市で、か……)

 しかし今は、感じたその憂いを胸に押し留める。そうしてアーバルはミディアの後ろ姿を見送った後、長老エイトワスの方に向き直った。部屋には彼ら、アーバルとエイトワスが残るのみ。


「我が弟子のこと、大変ありがとうございます。どうぞよろしくお願いしたく」

 深々と頭を下げた後、アーバルは身を起こし改めて背筋を伸ばす。

 騎士団長アーバルの銀色の口髭。相対するは、それよりもいっそうの歳月を重ねた、里の長老エイトワスの白い顎鬚。

 時間にしてみれば沈黙が続いたのはほんのわずかな間だったが、そこには妙な緊張感があったようにアーバルには感じられた。その空気の中、アーバルが文字通り口火を切る。

「私はこのまま、早々にこちらを出発させていただこうかと」

 アーバルはそう告げる。長老エイトワスの結わえた顎鬚と同様に白い眉の下、その表情は依然として動かなかった。


 この時までに道中の出来事はあらかた、シースとアーバルそれぞれから、エイトワスに話し伝えてあった。交易都市で起きた災害の救難に向かった薬師団の面々のこと、とある村の不審死を遂げた娘のこと、そして、ミディアの受けた魔法の痕跡のこと。


「御令孫は明日の早くに村を発たれるご予定だと伺っております」

 アーバルは毅然とした口調で言葉を綴った。

「若君から直々にこちらへご案内していただくと決まった際に、薬師団の方々とお約束したのです。若君がお里から交易都市へと向かわれる際は、我ら王国騎士団が責任をもって護送することを」

 そのための騎士を呼びに、とアーバルが続けたその先で、長老エイトワスはふむ、とつぶやいた。結わえた白い髭がゆっくりと動く。

「この地、この近辺に向かって、王国騎士団の方々が(つど)っている、と」

 エイトワスの白い眉の下から視線が覗き、アーバルを捉えた。


「そのことは、〝魔王〟と何か関連がありますかな?」


 魔王。その単語を聞いたアーバルの顔が途端、強張る。

「それは……」

 老境の騎士、王国騎士団長アーバルは、この時初めて言いよどんだ。

 こういった場合の返答を、事前に用意してはいた。それこそいくらでも。国を担う一翼として、国王サムエルの側近の一人として。その責務のために。

 しかしそれにも関わらずアーバルは、長老エイトワスの白い眉の下、決して鋭くはないはずの視線から逃れることはできなかった。


「すまない、少し話が飛躍しすぎましたかな」

 長老エイトワスはそう口にして、テーブルの上で両手の指を組んだ。凝り固まっていた空気が、それを以てやっとわずか動く感覚。アーバルはそこでようやく、開くとも閉じるともできなかった口の端から、そろそろと息をすることができたのであった。

「ではこう尋ねましょう」

 そこに間髪入れず、エイトワスが口を開く。

「これまでのすべて。呪いの類いの魔法の痕跡。交易都市で起こった災害。北の大地に向けての騎士団の招集……。これらの関係に、何か心当たりはありますかな」


「……エイトワス殿。貴殿は一体、何を知っておられるのですか」

 アーバルは辺りをはばかる低い声で言った。エイトワスは変わらぬ口調で言葉を返す。

「この里を出るのは少々待ちなされ。騎士団長殿、いや。アーバル殿。貴殿に、見ていただきたいものがある」






 アーバルは剣を鞘に収めると頭を軽く横に数度振った。素振りによって幾分か研ぎ澄まされた頭の中が、再び曇りだしそうだった。それこそ、空に垂れこめる厚い黒雲のように。




 エイトワスとその会話を交わした直後、ミディアの案内を終えたシースが戻って来る。そこでエイトワスがシースに出発を待つように告げ、そこから続けざまにシースの母ハンナが帰って来た。

「どうも、先ほどは……」

 アーバルとハンナは互いに挨拶を交わし、続けて現状のミディアについての話を。その後はハンナとシースが家事に取り掛かる時間、エイトワスは就寝の時間だと言うので、アーバルは一人、庭を借りて素振りにいそしんだのであった。




(もう夜もだいぶ深い。明日に備え早く寝なければ。今夜は寝付きが悪そうだな……)

 今一度天を振り仰ぎ、アーバルはその口を開く。

「王子……!」

 老境の騎士は息だけでそうつぶやいた。その声は、防護魔法の中で。

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