表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Nigredo - 魔王伝説 -  作者: Ellie Blue
第4章 北の大地
61/86

血と土地の記憶5

 シースが少女の背に向かって掛けた声は明るく弾んでいる。その声と同様、少女の方へと駆け寄るシースの足取りは軽く弾んで。

 しかし『タニア』と呼ばれた少女は聞こえなかったのだろうか、足を止めることはなかった。背中を丸めたうつむき加減のまま、傾斜のかかった道を下り続けていく。

 いや、少女は自分の名前を呼ぶ少年の声が聞こえなかったわけではない。その証に、声が掛けられた瞬間その肩がピクリと跳ねた。そしてそのまま身をすくめるように、あるいは自分の体を抱きしめるかのように、両腕をきつく結んでタニアは歩き続けたのである。


 やがて少女タニアの歩みに、駆ける少年シースが追いついた。

「タニア!」

 もう一度、今度はすぐそばで掛けられた弾むその声に。

「……何」

 少女はようやく足を止め、年相応の高い声で、しかし子供らしさとはかけ離れた暗い声で、唸るように返事をする。声を掛けてきた少年シースを横目で見やったその瞳は、冬の泉の底にもよく似た、凍えたようなグレーの色を湛えていた。


 しかしシースはその冷たさに臆することもなく、陽だまりのように微笑んで話を進めた。

「雫草、届けてくれてありがとう、タニア。とても助かったよ。だからこれ……」

 シースは肩に提げていた水筒の蓋を取る。白い湯気、そして先ほどシースの家のキッチンに漂っていたスープの香りが、夜の冷たい空気の中にふわりと広がった。

 それにタニアはチラと視線を向け。

「……別に、スープが欲しくてしたわけじゃない」

 そうしてまた目を伏せて歩き出そうとする。


 そこへシースは声を発した。

「違うよ。これは、君がしてくれたことへの正当な対価だ」

 きっぱりとしたシースの声に、下り坂を歩くタニアの足が止まった。彼女の瞳とよく似た色のグレーの髪が、その動きに合わせて揺れる。

「今、僕は自分で使えるお金は持っていないし、この里の中でお金だけがあっても使い道はないから、だから、物々交換」

 言いながらシースは、温かなスープの入った水筒を差し出す。

「それに、雫草は流れる川辺にしか咲かないものだから、こんな夜中に探してくれて、さぞ寒かっただろうなぁとも思って……」

 スープの香りがふわり、ふわり、夜の空気の中を漂っていく。


「……いらない。母さんのご飯があるから」

 タニアは首を横に振った。顔を背けるような角度。痩せた顔の輪郭が一層目立つ。そう言ったそばから、お腹の音が他でもないタニア自身から鳴った。そこに温かく差し出される少年の手。

「あと、実はこのスープ僕が作ったんだ。君の口に合うと良いんだけど……」

 そこでようやくタニアは、シースの手からスープを受け取ったのだった。




 里の中央を通る枯れた川のへりに二人並んで腰掛けて。タニアが息を吹きかけながらスープを飲むのを、彼女の気が散らない程度に見守るシース。

 川に流れる水こそないが、穏やかな時間がそこに流れていた。


「……ごちそうさまでした」

 空になった水筒を返そうとシースの方を振り向くタニア。その頬が柔らかな緑の光に照らされた。その光の中でタニアは驚きに目を丸く見開く。彼女の頬、母親にぶたれてできた腫れが、見る見るうちに癒えていった。シースがいつの間にか手にしていた杖で治癒の魔法をかけたのだ。


 やがてシースは杖をしまう。一筋ついた傷痕こそ消えなかったが、すっかり腫れの引いた頬。そこに片手をやりつつ、タニアはどこかムッとしたような顔をした。

「そんな、魔法の治療なんてまでもしなくて良かったのに。放っておけば治ったわ。……それに、わたしが悪かったんだもん」

 静かに首を横に振るシース。

「違うよ」

 穏やかに、しかしきっぱりと、少年の声が言う。

「放っておいて良い、なんてことはない。治療することは僕の仕事なんだ。僕は北の薬師団のリーダーなんだから」


 それでもまだ不満に思っていることをありありと物語る少女の顔。それを前にして。

「……なんて格好つけたけど、もし一つ頼み事をして良いんなら――」

 シースは包み込むような大人びた表情から、照れの混じったはにかみ笑いになって言う。

「――ええと、また僕に薬草のこと、教えてほしくって」

 タニアは少しうつむいてしばらくの間黙りこくり、それからようやく一言発した。

「……わかった」




 そこから二人は里の方々(ほうぼう)を周って。

「これで要るものは全部?」

 里の共同畑の前に屈みながら、タニアはシースに声をかけた。そこには安眠効果のある花が植わっている。夜風に白と黄色の小さな花が揺れて、まるで満点の星空のようだった。

「うん、おかげで助かったよ。タニアの薬草の目利きは、里の誰にも負けないからね」

 自分のすぐ横に屈んだシースにそう言われて、タニアの頬が赤く染まる。それは無論、すでに引いた腫れのためではない。

「別にわたしなんて……。もっとすごい人も、いるでしょうに」

 しかしそっけなく言葉を返して、タニアはそそくさと畑の方に手を伸ばすのだった。


「これ集めたらまた、旅に行っちゃうの」

 薬草を摘み取りながら、タニアはぶっきらぼうな声色で何でもない風にそう訊ねた。

「ううん。すぐには出ないんだ」

 シースの返答に、タニアの目がパッと輝く。それは、この日初めて彼女が見せた喜びの色だった。

「……ふぅん」

 しかしその後で、そう大した興味もなさそうに少女の声が言う。

 そしてタニアは一つ二つと花を摘んで、もう既に様々な薬草で両手がいっぱいになっているシースに、半ば強引に「はい」と束になった花を手渡した。

「じゃ、わたし行くね」

 パッと立ち上がり、シースの返事も待たずその場から駆け去るタニア。

 その足取りはどこか浮き足立ったように軽くて。浮かんだ笑顔を誰にも見られないように、少女は里の道をひた走るのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ