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Nigredo - 魔王伝説 -  作者: Ellie Blue
第4章 北の大地
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血と土地の記憶4

 促されてミディアが足を踏み入れた先は、何の変哲もないキッチンのように思えた。向かって正面には、簡素な設備の調理台。木の蓋がされた大きな鍋がかまどの上に置かれている。中身は夕食にごちそうになったスープだろう。美味しそうな香りがまだ辺りにほのか漂っていた。ここまでは、ありふれた農村の民家の光景。


 しかしそこから視線を横に向けるとその先に、スープの鍋とは比べ物にならないほど大きな鍋が置かれているのが目に飛び込んでくる。その黒い鍋は、ミディアの腰の高さくらいまでありそうだった。

 そしてその大鍋の手前には、作業台と思しき木の机が一つ。上には、大鍋とは反対に片手に収まるほどの小さな黒い鍋が、三脚の上に載った状態で置かれていた。

 壁一面にはぐるりと木の棚がしつらえられ、その上にはガラス瓶や陶器の壺などが整然と並んでいる。ガラス瓶の中には乾燥した草花が入っているのが、陶器の壺にはコルクで栓がされているのが見受けられた。

 その光景を、物珍しげにしげしげと見回すミディア。

(騎士団の仕事の一環でお城の調合部屋を訪れたことは何度かあったけれど、ここまで調合の場所に近づいて見ることができたのは初めて……)


「どうぞ、ここに座って」

 声と共に、木が何かに触れるコトリという軽い音がした。ミディアが振り返ると、シースの母ハンナが、作業台の前に椅子を一つ用意してくれたところだった。

 彼女はいつの間にか白いローブ姿に着替えている。まごうことなき、北の薬師団の装いだ。




「今回はこっちの小さな鍋でね」

 そうハンナがどこか歌うように言った後。ミディアの目の前、三脚の上で、魔法の薬は見る見るうちに作られていった。

 くつくつと煮える音。鍋から立ち昇る煙。清涼感の中に、どこか甘いような苦いようなにおいの混じった独特な香り。まさに薬効のありそうな香りだった。ハンナが長い匙で鍋の中をゆっくりとひと回しする度に、そのあたたかな湯気がふわりとミディアの鼻をくすぐっていく。単調な作業だったが、ミディアは飽くことなくその様子をじっと眺めた。


 そのうちに鍋の中身は明るい緑色になった。うっすらと光を放っているようでもある。鍋の中の色を覗き込みつつ、ハンナは満足そうにうなずいた。

「問題ないわね、上出来。この緑の薬は、普通の傷にも魔法の傷にも効く万能の治療薬なのよ。でも、こと強い呪いを解くとなると、ここからもうひと手間かけた青の薬に勝るものはないわ」

 緑の薬を匙に取って掬い上げ、それを眺めつつハンナは続けた。

「この二つの薬の調合レシピは、私の夫の自信作なの。火事での怪我で体を悪くしてしまってからは、自分で作ることは難しくなってしまったのだけれど」

 聞きながらミディアも、匙に取られた緑の薬をじっと注視する。それは、騎士団に支給されているものとよく似ているように見えた。

(同じものなのかしら……)

 しかしミディアは薬のことに明るくない。それに比べてみようにも、持ってきた分は全て道中で飲みきってしまった。王室付き魔法使いスターズによる、王国騎士団員に配給された魔法薬は。


「さて。ここで〝雫草〟を使うの」

 ハンナがふわりと、くだんの雫草の花を入れる。透明な花びらが鍋の中身に触れた途端、みなもに波紋がパッと広がるように、薬は一瞬で明るい青色へと変わった。

 ハンナは鍋を火から下ろし、音を立てず静かに、しかし見ていると目が回りそうなほど素早く、その中身をかき混ぜていく。その手が止まることは一時足りともなかった。これ以上なく集中しているのだろう。ハンナはこれまでの穏やかなものとはうってかわって、キリリと張りつめたような眼差しをしていた。ミディアはそれを固唾を飲んで見守る。


 それからどのくらいの時間が経っただろう。雫草を入れた時から変わることなく明るい青色の中身を湛えた鍋から、湯気が一切立たなくなった頃。ようやく薬師ハンナはその匙を持つ手を止めた。

「さぁ、これで完成よ」

 腰に手をやり、ふぅっと息をついて満足そうに一言。彼女の白いローブには、一点の染みもなかった。




 白い陶器のゴブレットに注がれた青い薬を、ミディアはハンナから受け取る。ハンナは、その明るい青色をした薬と良く似た色の瞳で微笑んだ。ミディアはうなずいてその薬をそっと口に含む。

(あ、美味しい)

 ミディアは素直にそう思った。なめらかな口当たりにほんのりとした酸味を感じる。途中、緑色の段階ではあんなに薬草のにおいがしていたのに、不思議なことにこの青い薬からはそういった強い味、ともすると飲みづらいような味は、まったく感じられなかった。

 ゴブレットの中身を飲み干してミディアは一息つく。体が軽い。全身にまとわりつき覆い被さっていた重さが、一枚剥がれたような感覚。薬という印象は薄かったが、今飲んだこれは確かに魔法薬なのだと、ミディアは文字通り身をもって実感した。

(この青い薬を飲んでいけば、私はまた騎士団の旅の任務に戻れるのね。ニグレドを、探しに……)

 ミディアはすでに空になったゴブレットを口に当てがい、もう一度深く傾ける。どうにか少しでも多く、余すことなく、薬を飲みきりたい。ミディアはそう思わずにはいられなかったのだ。


 白いゴブレットを返しながら、ミディアはふと思い当たる。

「ハンナさん、これで薬が完成ということは、シース君の採りに行った薬草は……?」

 良いのよ、とハンナは言った。その微笑みは、どこか楽しげでいたずらっぽく。

「シースに頼んだのは、使った分の補充用。急ぎのものじゃないの。だからゆっくりでも全然問題ないのよ」

 そうしてハンナはフフと笑って、一つウィンクをするのであった。






 シースは戸口から外に出るとサッと辺りを見回した。明かりの少ない夜の里の中。しかしシースは迷うことなく、一つの方向へと駆け出していく。斜め掛けにした水筒が大きく揺れすぎないようにギュッと押さえながら、暗い夜道をまっすぐに。


 里の道を駆けるシースの視界に、とある人影が映る。

 彼と同い年くらいの一人の少女。痩せ細って小柄な体に、膝にかかる丈のだぶついた服を着て、腰の辺りまで伸びたその髪の色は灰色。先ほどの夕暮れ時、母親に思いきり頬をぶたれたあの少女だ。

 シースはその背に向かって叫んだ。


「タニア!」

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