血と土地の記憶3
湯気の立ちのぼるカップがミディアの前に置かれた。その中に満ちているのは黄金色をしたお茶。穏やかな香気がふわりとミディアの鼻をくすぐる。
「ありがとうございます。ええと、その……」
「ハンナよ」
そう言ってシースの母、ハンナは優しく微笑んだ。
「お茶、熱いから気をつけてね、ミディアさん」
「ありがとうございます、ハンナさん」
ミディアはハンナに微笑み返し、カップを手に取ると二、三度息を吹きかけてからゆっくりと口をつけた。苦みのない、どこか甘さも感じるやわらかい風味がじんわりと広がる。ミディアはほぅと息をついた。
「……ごめんなさいね、すぐに治してあげられなくて」
ハンナはミディアの向かいに座ってその顔を見つめ、申し訳なさそうに言った。
この家を訪れてまずはじめ、夕餉の前。ミディアは長老エイトワスから呪いの具合を診てもらったのだ。その時にミディアそしてアーバルは、長老の口から『これは今の里では、一朝一夕で治せるものではない』と、そうはっきり告げられた。そのことをハンナも、家に帰ってきた際に長老より聞かされたのだろう。
呪いの治療についてミディアたちに告げた時の、禿頭の老爺エイトワスの表情。何があっても動じないような凪いだその顔にわずか、苦い色がうっすらとにじむように表れたのが、ミディアには強く印象に残っていた。
「僕の見立てが甘かったんです、すみません……」
ミディアの隣。シースがその明るい青色の目を伏して言った。「そんな、気にしないで」と言うミディアの言葉に、シースは静かにそして曖昧に首を振る。
「お爺さまから聞かされました。単純そうに見えるけれど、難しい類いの呪いだったのだと。そして、ミディアさんの受けた魔法自体は、恐らく呪うことを目的としたものではないと見られるそうで、それが不幸中の幸いだった、とも……」
シースの言葉の後を継いで、ハンナは浮かない顔で続けた。
「そしてこの里でも、悪いことに薬草が……。そう、呪いに特段効く薬を作るために欠かせない薬草が、ここしばらくずっと量が採れなくて」
ここでシースの母ハンナは、「でも」と力強く首を横に振る。
「見つからないわけではないの。例え少しずつでも、必ず確実に集めていくわ。きっと、その呪いを完全に解いて治すから」
その時ふいに、控えめなノックの音が聞こえた。家の中、部屋の入口からではない。家の外、窓の方からだ。ミディア、そしてシースとハンナでさえも、(こんな夜更けに)と、訝しげに顔を見合わせた。
「待ってて」
ハンナがサッと立ち上がり出ていく。その手に、机に立て掛けていた長めの杖を携えて。
一方シースもいつの間にか自身の杖をその手に取り、固唾を飲んでじっと窓の方に目を向ける。その顔には緊張の色がありありと表れていた。ミディアはこの時、自身の腰にいつもの剣がないことに言い知れぬ心もとなさを覚えた。
(私、王国騎士団員なのに。今この時、何も力になれないなんて……)
だが、ほどなくしてハンナは戻ってきた。その顔に明るい笑みを、そしてその手に何か白い光を浮かべて。
「見て」
ささやくように彼女は言った。椀の形にして何かを包み込んでいた手を、机の上でふわりと広げる。白い光がそっと、机に乗った。
ミディアが覗き込むとそこには、小さな小さな一輪の花があった。細い茎の先で、白い花弁がぽうっと光を放っている。その光を見て、ミディアはなぜだか心が安らいでいくような気持ちを覚えた。
「これは……?」
「雫草よ」
雫草と呼ばれたその花をしげしげと見るうちに、ミディアは気がついた。思わず目を丸くする。
(白い花びらって思ったけど、よく見ると花びら自体は透明なんだわ。それが光っているから、白いように見えるのね)
ミディアの視線の先で、その小さな花は儚く静かに光を放つ。
(〝雫草〟。初めて知ったわ。こんな花があったなんて。外国で珍しいものをたくさん見てきた叔父からも、王国内をあちこち飛び回ってこられたお師様からも、今まで、こんな花があるという話は一度も聞いたことがないもの)
「強い癒しの力を秘めているの。……これで一回分、薬が作れるわ」
里の薬師ハンナは、雫草の花を見つめるミディアを前に、腰に手を当てにっこりと微笑んだ。
そしてハンナはミディアの隣、息子のシースに目を向ける。シースは母親が帰って来てからもずっと、窓の外を気にしているような素振りを見せていた。しかし彼の表情からは硬さが取れている。……更に言えば、むしろハンナが外から戻った今の方が、先ほどよりもどこかそわそわと落ち着かないような様子さえあった。
ハンナはフフッと笑みを浮かべて、首を伸ばす息子シースに声をかけた。
「シース、またお願い事しちゃって悪いけれど、いくつか薬草を摘んできてくれる?」
その言葉にシースはパッと振り向いた。その表情は喜びを湛えて明るい。
「うん! 大丈夫だよ、母さま。任せて!」
すぐさま椅子を引いて立ち上がりかけるシースに、続けて声をかけるハンナ。
「夜は冷えるから、何か温かいものでも持ってお行きなさいな」
そうして一つ、ウィンクをして見せる。
「……うん!」
そう答えたシースの表情は、夜空に輝く星のようにいっとう明るかった。
シースが一瞬キッチンに立ち寄り、木製の水筒を抱えて小走りで部屋を出て行った後。部屋は少し静かになる。
部屋の中を改めて見回し、ミディアは先ほどよりも少しばかり冷めたお茶を一口すすった。ミディアの目に映るのは、籠に入れて分けられた作物たちと、ぽうっと白く光る花。
(ハンナさんは『手伝って』って言ってくれたけれど、こうして見ると、野菜を分けるのはもうほとんど終わっているみたい。あまり長くここにいるのは、もしかするとご迷惑になるかしら……)
もう一口お茶をすすって、ミディアは机の横に立ったままでいるハンナの方に目を向けた。そしてためらいがちに口を開く。
「あの……」
「さて。ごめんなさいね、バタバタしてしまって。もうお休みする? それとも……」
ミディアがおずおずと切り出すのとほぼ同時。ハンナはそう言いながらミディアの方を向いて、それから、キッチンの方を片手で指し示した。
「魔法薬を作るの、見ていく?」
その言葉に、ミディアの表情はパッと明るく輝いた。
「……はい!」




