血と土地の記憶2
ミディアはむくりとベッドの上で身を起こした。高級なものというわけでは決してないが、清潔で柔らかい、あたたかなベッドだった。
〝薬師の里〟に辿り着いて。ベランナという女性とその娘、そして彼女たちに付き添っていくシースの母親の背中を見送ったその後に、ミディアとアーバルは長老エイトワスの家に寄せてもらい、夕食を馳走になった。そしてミディアは一人、『今は何よりも休息を』と、治療室を兼ねる客間に寝かされたのだ。
いくつかの、過ぎていった夜を思う。
こうしてベッドの上でじっと座っているとどうしても、様々な物事が心の内をよぎっていく。ミディアは静かに目をつむった。それは眠気のためではなかった。
(いったい、何ができたというのだろう。いったい、何が変わったというのだろう)
交易都市にて騎士団宿舎のベッドから街を眺め、そこで寝付くことはなく街を出てきたあの時から。いや、城下町の自宅にて自分のベッドから起き上がり、叔父の制止を振り切って飛び出してきたあの時から。
(……ここまで来た。北の大地の手前。ここまで来ることができた。できたけれど……)
目を閉じた暗闇の中。ミディアの心の内で、彼女の声が静かに問うていた。
(北の大地の手前、ここまで来て。ずっとニグレドとは会えなくて。ずっとお師様には迷惑をかけて。私が足を、引っ張って……)
その心の中響く声は、声の主を責めるように出口のない暗闇の中で巡って。
ミディアはパッと目を開いた。それは彼女が思っていた以上に力のいる動作だった。まぶたが重かった。いや、まぶたも、体も、心も。
(まるで、風邪をひいた時みたい……)
まとわりついてくる何かから逃れようとするかのように、体をひねってベッドから出る。ミディアの視界がグラリと揺れた。体がふらついてバランスを崩したのだ。
(こんな呪い、なんて……)
ミディアは二度三度と首を横に振った。しかしそうしてみても、浮かんでは消えることなく蓄積していった悪い考えが振り払われることはなく。自責の念が幾重にも、重く重く、重なって。
ミディアはため息をついた。そうしてそのままそろそろと、すり足で歩みを進める。
(……何か、気分転換できること……)
治療室から出て、ふらふらと廊下を歩いて行く。
ベッドに寝かされてからどのくらいの間眠りについていたのかは分からないが、今はもう、夜が次第に深まりつつある時分らしい。長老エイトワスの住まい、質素な造りではあるが幾分か広い間取りの屋敷は、穏やかに静まり返っていた。
ふとミディアは、ある部屋から明かりが漏れ出ていることに気づく。この部屋は通された記憶がある。ここで夕餉をいただいたのだ。キッチンの併設された、数人が集まってくつろげるくらいの広さのある部屋。
ミディアはそっと、その中を覗き込んでみる。
部屋の中ではシースと、そして帰ってきていた彼の母親とが、村からの貰い物の根菜やら穀物やらを、木で編んだ籠それぞれに分け入れていっているところだった。
「本当にありがたいことね。あちらの村も大変なのでしょうに、こんなにも分けていただけるなんて……」
「里の全部の家へ充分に行き渡りますね、母さま。もう籠がこんなにいっぱいに!」
そう言葉を交わす二人は白いローブ姿ではなく、ありふれた野良着に着替えていた。そのまとう空気は、魔法と薬草とを扱う崇高な薬師団の者というよりかは、平凡ながらもささやかな日常を送る母子といった風だった。当たり前の日常を、しっかりと地に足をつけ生きる。牧歌的と言うには少し寂しく、だが寒空の下で確かな温かさを感じるような希望の色が、そこにあるように思えた。
部屋に灯された明かり自体は小さかったが、その光景のまぶしさに、ミディアは目頭を押さえ、肩を丸めたまま小さくスンと鼻を鳴らした。
「あら……。ごめんなさいね、いつからそこに?」
その音で気づいたのだろう。シースの母が椅子を引いて立ち上がり、部屋の入口の陰で立ち尽くすミディアの元へ歩み寄った。
「どうしたの? 眠れない?」
「……はい」
小さく小さくぽそり。そう言ってミディアは、その声と同じくらい小さく小さくうなずく。
立派な王国騎士団員として、そして身を寄せている来客として。『大丈夫です』と明るく答えることもできたし、そうする方が礼儀にかなっていることも分かっていた。だがしかし、ミディアはなんだかふいに、子供みたいに駄々をこねてみたくなったのだ。
「そうね……」
シースの母はミディアの前で少しの間考え込み、そうしてにっこりと微笑んだ。
「本当はたくさん眠っておいた方が良いのだけれど……、でも、どうしても眠れない時って、あるわよね。ちょっとこっちにいらっしゃいな」
手招きされてミディアが部屋の中に入ると、その姿を見た途端にシースが人懐こい笑みを浮かべてペコリと会釈をし、サッと自分の横の椅子を引いた。ミディアは促されるままそこに腰掛ける。目の前、テーブルの上に広がるは、つつましくも華やいだ豊穣の海。
シースの母が、ぼうっとテーブルの上を眺めるミディアに向かって優しく言う。
「お野菜を分けるの、少し手伝ってもらえるかしら? 眠たくなったらそのまま寝ちゃっても大丈夫ですからね。待ってて、今、ミディアさんの分のお茶を淹れるわ」




