隠れ里1
かの村を発って以来延々、灰色の雲に覆われ日の光の差し込まない薄ぼんやりとした空模様の下を、三人はゆっくりと北の方角へ馬を進めた。
アーバルはミディアを自分と同じ馬に座らせ、シースは別の馬に乗り、残ったもう一頭の馬の手綱を引く。そうして時おり馬を交代しながら、一行は北を目指し進んでいった。
北上するにつれて、辺りの景色は次第に輪をかけてうら寂しいものになっていく。道すがらにぽつぽつと見える村。そこで見かける作物も家畜も、どんどんと痩せ細りその数も減っていった。
「ミディア、少し寝ていなさい」
アーバルは自分の前に座らせたミディアに声をかけた。そこにシースが言葉を付け足す。
「里まではまだここから丸一日以上かかります。少しでも、消耗を押さえた方が」
未だ顔色の優れないミディアは、二人の言葉にうなずくと目をつむった。馬の背で感じる穏やかな揺れが心地よい。いつしかミディアは、彼女の乗る馬の歩みのようにゆっくりと眠りについた。
三頭の馬は小さな隊列を成し、静かに歩みを進める。
そのうちに夜が巡ってくる。日がな歩いて辿り着いたこの辺り一帯には、もはや村はおろか人の気配すらなかった。乾燥した冷たい平原の只中。空は依然雲に覆われ、星明かりの一つも見えない。
野営のためアーバルが手早くテントを建てていく。最後に獣除けの魔法の施された砂を撒こうとしたところを、シースが「待ってください」と止めた。
「僕が目くらましの魔法をかけます。この先のお二人の旅のことを考えると、道具はなるべく温存した方が良いかと思いますので」
そう言ってシースは杖を取り出し、真上に掲げる。
糸のように細い光が一筋、杖の先からまっすぐに打ち上がった。
光の筋はテントの上ほどの高さまで上がるとそこから輪っか状に広がって、半球の表面をなぞるようにゆっくりと下りてくる。野営地全体をすっぽりと包み込む弧を描いた後、光の輪は地面に触れて消えた。
途端、ふわりと風がそよいだような感覚がする。まるで見えないカーテンが引かれたかのようだ。
「おお、これは素晴らしい。大したものだ」
アーバルは掛け値なしにそう口にした。
目くらましの魔法。これまで行軍などの際に、王国騎士団所属の魔法使いが同様の魔法をかけるのを幾度も見てきたアーバルだったが、まだ年若いシースのかけた魔法は、アーバルの目から見ても城で訓練を積んだ彼らと遜色ないほどのものだった。
「不躾ながら、シース君はいつから薬師団の仕事を?」
携行食の乾いたパンと干した果実の簡易な夕食を摂りながら、アーバルはシースにそう訊ねた。
今ミディアは、シースに再び治癒魔法をかけてもらって一足先にテントの中で眠りについている。アーバルとシースの二人が、穏やかな光を放つ焚火を囲い差し向って座っていた。
シースは口にしていたパンを飲み込むと、「そうですよね、疑問に思われますよね」と軽く笑って話し始める。
「ものごころの付いた頃には、里で魔法の練習や薬の調合の手伝いをしていました。大人たちの中で遊びがてらそうして過ごしていた……という感じですね」
(なるほど、だからあれだけの魔法の腕前が)
納得してうなずくアーバルの傍らで、シースはそのまま話を続けた。
「僕が馬に乗れるようになってからは、旅の仕事にも連れて行ってもらっていました。……今思えばそれらは、僕の子守りのためでもあったし、訓練のためでもあったのでしょうね」
白いローブをまとった少年シースは、顔を上げてまっすぐに前を見つめ言葉を綴る。
「僕の家は代々、里の長を務めていて。祖父……、今の長老が旅の仕事を引退した後は、僕の父が薬師団の旅を率いていました」
そこでシースは目を伏せた。焚火ではなく、自分の丸めた膝頭に視線を落とす。
「その父ですが数年前、仕事の最中に大怪我を負ってしまい、今は里で治療を……」
シースの言葉がそこでいったん止まった。詰まった息を吐き切って、次の息を吸う。
「それからは僕が旅の指揮を取っています。僕はこの通りの未熟者ですが、里の仲間たちはとても良くしてくれて……。どうにか形だけでも、この役を務められているのです」
彼の口から紡がれた言葉。それはしみじみとした実感がこもりながらも、大層さっぱりしたあっけらかんと明るいものだった。
「……いや、君は立派だよ、シース君」
そう言葉少なに返すアーバルの声。それにシースは屈託なく答えた。
「まだまだ、ですよ。勉強すべきことはたくさんあります。お恥ずかしい話ですが、僕は魔法には多少自信があるんですが、薬草の見極めや調合の方はいま一つで……。もっともっと頑張らなくちゃなあと思っているんです!」
「そうか……」
アーバルがその鷲鼻に手を当ててズッとすすったのは、冷えた夜の空気のためだけではなかったであろう。




