遠く見える街1
城下町を発ってからおよそ半日。
ミディア達は荒野を抜け、国の北部までの最短ルートである小高い山々の尾根を駆けていた。
日の傾きかける中、前を行くアーバルが手を上げてミディアに合図を送った。その手が道の先、なだらかな丘陵を下ったふもとに見える河の流れる大きな街を指し示す。ミディアはアーバルに合図を返した。
(……今日はここまでね)
街に辿り着く頃には、空はすっかり茜色に染まっていた。
街の入口には遠くからも見えていた広い河川が横たわり、その上に大きな石橋が架けられ門へと繋がっている。橋の上で馬を進めながら、ミディアは興味深げに下の河を覗き込んだ。何隻もの大小の船が浮かぶ広い河の一部は街に引き込まれ、その先でも門番が検問を行っている。
この景色には、ぼんやりとだが見覚えがあった。ミディアが騎士団に入る前。ずっと昔、小さい頃。両親に手を引かれ、外国へ発つ叔父を見送りに来たことがあったのだ。
(叔父上……)
脳裏に舶来のガウンを着込んで不機嫌そうに腕を組む叔父の姿が浮かぶ。ミディアは唇を噛んで顔をしかめた。
(……これで良いの。絶対に、認めさせるんだから)
「アーバル団長殿、お早いお付きで」
入口付近に差し掛かると、門番に就いている者の一人が敬礼をして声をかけてきた。
門番たちの内で、その人物だけが鎧を身に着けている。鎧と言ってもありふれた革の鎧の軽装備ではあるが、その胸にはアーバルの鋼の鎧に施されたエンブレムと同じ意匠のバッジが光っていた。王国騎士団の駐在兵だ。
「おお、オズマ分隊長か。警備の任、御苦労」
アーバルは返事をし、続けて何か尋ねようと馬の足を止めさせかけた。
しかし前からも後ろからも続々と人の流れが押し寄せ、他の門番がその人混みの中で検問に奔走しているのに目を向けると、断念してそのまま馬を前に進める。
「後で詰め所にお越しください。詳しいご報告は、そこで他の者よりいたします」
分隊長オズマは手にした紙に何かを書きつけながら、アーバルの背を追いかけるように声をかけた。人波に押されつつ背中越しにうなずくアーバル。ミディアもまた、分隊長に会釈をし師の後へ続いて人混みの中に飛び込んでいった。
門をくぐった先。街は夕暮れ時にも関わらず大層な賑わいを見せていた。城下町とはまた違った、ガヤガヤと騒がしくも威勢の良い、活気ある様相だ。
その街の中、先ほど通り抜けた門より少しばかりかは人波の落ち着いた通りを、アーバルとミディアの馬は歩調を合わせて進んでいく。アーバルは弟子に声をかけた。
「情報収集も兼ね、今夜はこの街に滞在する。……交易の要の大きな街だ。見ての通り人の流れも多い。ここでなら、何かしらの手がかりが得られる可能性も高い」
ここに来るまでの道すがらにいくつかの農家を訪ねはしたが、王子についての手がかりは特に得られなかったのだ。
もちろん「王子失踪」などと大っぴらに言えるべくもなく、あくまで異変の有無を訊く程度に留めた上でだ。そして、そう簡単に手がかりが得られないのも想定の内ではあった。
しかし訊ねた相手に首を横に振られる度に、ミディアはどこか焦りが募るのを押さえ切れずにいた。
(……お師様は私のそれを、読み取られたのかしら)
ミディアは自分の立ち居振る舞いを思い返し、反省の念を禁じえなかった。
「それに」
アーバルが続ける。ミディアは気を引き締め、その言葉に耳を傾けた。
「大きな街であればあるほど、人並みに紛れ怪しい輩も動きやすくなる。決して油断は禁物だ。それをゆめ忘れるでないぞ、ミディアよ」
「……はい、お師様」
ミディアはうなずく。沈んでいく夕日を受ける師アーバルの姿を見つめて。
日が沈み、茜色の空に夜の暗さがにじみ出す頃。木々のうっそうと生い茂る深い森。巣に帰りゆくカラスの声が幾重にも辺りに響きはじめる中、少年と老婆は歩みを進める。
明け方に洞窟を出てから今の今まで、休息らしい休息もなしに歩いてきた。いくらニグレドが城下の町を人目を避けながら駆け回る日々を過ごしてきたと言えど、整えられた石畳の道を駆けるのと、木の根のふくらみや土のぬかるみに足を取られる森の道を進むのとでは、それこそ雲泥の差があると言うものだ。
「っ……」
靴の中で血豆が潰れる。これで何度目だろう。むき出しになった薄い肌に響く熱くひりつく痛み。ニグレドの口から思わず呻き声が漏れ出た。
一方でラズダは、四苦八苦するニグレドを別段気にかけるような素振りも見せず、滑るような不気味な足取りで、顔色一つ変えずにすいすいと山道を進んでいく。その動きはとても、腰の曲がり切った老婆のものとは思えないほどだった。
あの洞窟からニグレドを連れ出したその後、山歩きをする道中でラズダは全くと言って良いほど一切、彼に構いもしなかった。むしろ彼を引き離すくらいの速さで、ただひたすらに先へ先へと足を運び続けている。
当然、これは逃げるチャンスかとニグレドは思いはした。しかし、どう考えてもそれは現実的なものではなかった。
(無理だ。こんな状況、魔女の方に分がありすぎる。いやそれどころか、このままだと折を見て逃げるのはおろか、この道中を乗り切る体力すら……)
ニグレドは朦朧とする頭を持ち上げ、するすると遠ざかる魔女の後ろ姿をどうにか目で捉えると、その乾いた口を開いてかすれた声を絞り出した。
「おい、魔女……!」
山の斜面を登っていく縮こまった黒い背中は、一向に足を止めない。
「魔女……、聞こえないのか……! おい……、……っラズダ……!」
少年のかすれた声が、その背に縋りつくかのように追いかける。
「はいはい、聞こえてますよ、そんな必死こいて喚かなくたっても。ねぇ王子様?」
斜面の先、魔女がようやく足を止めてくるりと振り返る。その顔には嫌味な笑顔が貼り付いていた。
「いつまで……、いつまで歩けば良いんだ? もうずっと、こうして……!」
ぜいぜいと荒い息の下、ニグレドは途切れとぎれに言葉を綴る。
「軟弱だねぇ」
ただそう一言だけを言い放って意地悪く笑うと、ラズダは再びニグレドに背を向けた。
「おい……!」
魔女のその背中を追って、ニグレドは棒のような足を無理矢理に引き上げて斜面を登る。すると不意にラズダは足を止めた。ぶつかりそうになるニグレド。
彼が文句を言おうと口を開きかけると、魔女はその枯れ木のような手を伸ばし、道の先を指し示した。




