4. 水妖
ロゴス城は小さな山の上にある。広いテラスに出て見上げれば満天の星がいまにも零れ落ちてきそうだ。
魔界にも星はあるんだ……。
月こそないもののマイナス等級だらけの星明りで十分周辺を見渡せる。左手に闘技場があるものの他に目立った建物はない。町どころか人家らしいモノも見当たらない。それでも右手には小さな湖と広大な森、前面には草原が広がっている。なんだか自然豊かで長閑な土地のようだ。これが魔界……? なんかこれでいいのか、魔界? とりあえず平和主義者の料にとっては受け入れやすい環境ではある。
でもあの鬼は、思い出そうとすると料の手狭な脳内には収まりきらないほど受け入れ難い存在だ。なんせ鬼族とかオーガの類いは画面サイズでしか見たことがないからね。
それでも……。と鴇田 料は思う。
リッカドンナにもらったものをどう活かすか?
彼女は料が望んだものを意外とすんなり叶えてくれた。猫まんまの話からすればそれは絶大な効果を生むはずだ。しかし実は、どう使えばいいのかまで理解していなかった。明日には命が危うい、危ない、危険だというのに。なんか詰んだ状況はひとつも変わってないやん。
ふ~、
と息を吐きながら料は右手の湖畔にある白い影に気づいた。おそらく白鬼だ。んっ、影って白いのか……? まっ、いいや。
あんな所で何してるんだ? しばらく観察していたが、じっとしているだけのようだ。でも遠くて実際のところはわからない。なにか情報が得られたら。
もう少し近くに行くか? ……面倒臭いけど、必要な気がする。
だいたい辿り着けるか? ……無理臭いけど、必要な気がする。
とにかくあのバーサーカー状態は勘弁して欲しい。いや、普通の状態なら大丈夫だといってるわけじゃない。
十七年生きてきて、命がかかわるような状況など一度だってなかった。物臭なので面倒事には近づかない。そくせにちゃっかりしたところもあるので逃げ足も速い。
それがこの有無を言わせない状態は一体なに?
ふ~
ため息が多くなっている。ジジイか!
まあ、愚痴っても、悩んでも問題は解決しない。必要を感じれば料の行動は早い。
しかし城を抜け出るのにはだいぶ時間がかかてしまった。あれだけ料に張り付いていた猫まんまの姿が、なぜかいまは見えない。寝たのか? 大広間以外は人影? 魔もの影? ガードマンというか守備兵らしき者の姿さえない。そして誰もいないのに無駄に広い建物。ダンジョン(迷宮)か! 素早い行動が最速の結果をもたらすわけではない……、はふ。
それでも料が湖の近くまでたどり着くのに二時間はかからなかっただろう。森の暗さも、道なき道も問題なかった。モンスターに遭遇したら、などと心配していたのも杞憂に終わった。やがて微かに水のニオイがして、空気の清涼感が違ってきた。
もう真夜中だろう。白い鬼がまだそこにるか疑わしいが後戻りもできない。それは物理的にできない。つまり帰り道がわからない。やれやれ。
料は木の陰から慎重に湖畔を見渡す。ロゴス城から確認できた辺りを見つけることはできたが、そこに白鬼の姿はなかった。ところが、
「誰か探してるの?」 涼やかな声が優しく湖畔に響く。
料が声の主を求めて辺りを見回すと、思いがけない方向にその人影を見て取ることとなった。湖。水面に立ったその人は降り注ぐ星の光りに煌めいている。銀色の長い髪を揺らし。透けた水縹色の羽衣を羽織って。
水の上に立てるんだ? そんな常識的な疑問さえ吹き飛んでしまうほどその光景は幻想的で、魅入られたように料は木の陰を出て彼女へと歩みを進める。
「……、ひとつ訊いてもいいかな?」
思わず口走っていた。
すると水上の彼女は言葉ではなく笑顔で答える。
「あの~、……美人しかいないのかな? 魔界には……」
それは賞賛とか賛美といった類いよりももっと単純で純粋な疑問だった。リッカドンナという美女。美魔女か? マーガレッという美少女。少し癖は強いが猫まんまだって相当きれいなお姉さん。そして目の前の彼女。水の上に立っていることを除けば疑いようのない美人。そもそも女子とは縁遠い料が、一日にこれだけの出会いをする魔界基準ってどんだけだよ、と思っても不思議ではないだろう。
水の上の彼女は少し訝る表情を見せるが、すぐに緩めて、
「確かに君のように美しくもなく、醜くもないものは少ないかもしれないね」 そして、クスッと笑った。
そのしぐさを見て“マジ天使!”と思うのは早計にすぎる。
「君はヒトでしょ?」
水の上の彼女の問いに料は我に返った。
「もしかして美味しそう、とか思った?」
「はは、少しね」
「……、ってことは食べたことあるんですか?」 敬語になった。
「昔、何回か。でも君、リッカドンナのお客でしょ? だったら食べたりしないから安心して」
「あっ、やっぱりご主人様のお客に手を出しちゃまずいっスよね」 客というよりニンジンだけどね。
すると彼女の表情が曇る。
「リッカドンナが主? 私はあの小娘が生まれる前からここにいるの」
そして笑顔に戻ると、「君、冗談きついな~」
水の上の彼女は料と同世代にしか見えなかった。リッカドンナを小娘呼ばわりって、どんだけ年齢詐称? いや、無理に若作りしているようには見えないけど……。
それでも、美人と褒められ気をよくしたのか水の上の彼女は料に次々と質問を浴びせかけてきた。
「ねえ、君はどんなところから来たの?」
「親とか、兄弟はいるの?」
「彼女はいた?」
「きっと童貞だよね?」
「今までで一番楽しかったことは?」
「間界に帰りたい?」
「好きな食べ物は? 嫌いなものは?」
「勉強はできる? 運動は?」
「いままで一番恥ずかしかったことは?」
「殺したいほど嫌いな奴は誰?」
一時間近くは続いただろう。はじめは当たり障りのないことから、やがて根掘り葉掘り料のことを訊いてきた。近所のおばちゃんを思い出す。あのおばちゃんの半端ない執拗さ。彼女は〝天使〟どころか、とんだ詮索好きな〝しゃべり魔〟だった。イメージ180度だよ。
しかも一向に止まる気配がない。しかたなく、「座ってもいいっスか?」 と料は地面に胡坐をかいたが、もう面倒臭いのでいつしか寝そべって受けごたえをしていた。
「わたしは水妖」 名前はないそうだ。
いまさら正体を明かされても気が抜けてしまって、水妖でも、水牛でも、水龍でもなんでもいい。物臭を舐めないでほしい。
そんな料の気を引きしめようとしたのか、「さっきヒトを食べたことがあるか訊いたね。でも君はわたしよりリッカドンナの娘のことを気にしたほうがいい。あの一族はパートナーでも〝床下手〟な男は喰ってしまうからね」
「床下手!?」 そんな言葉があるのか? けど料にも無関係でない気がする。わかんないけど。
「もっともあの白鬼に勝たなきゃ君に出番はないから無駄な知識かな?」
「知ってるの、あの白鬼?」
「ええ、君が来る前にしばらく話したの」
……しばらく?
料は湖畔でじっと動かない白鬼を思い出していた。あれってもしかして、しゃべり魔にやられた? 水妖、最強だな……。
「あの子は天界の隅で生まれたらしいわ。気づいたら天界を漂っていたそうよ」
それから水妖は今日初めて会った白鬼の身の上話を旧友のことのように話してくれた。
白鬼に親兄弟や一族はないこと。気づいた時には一人きり天界を芥のように漂っていたそうだ。つまり白鬼は産まれたのではなく生じたのだろう。そして長い時間、空腹と孤独に耐えた。
白鬼は辿り着いた先々で揶揄いや苛めに合ったこと。天界で角と牙を持つものは低く見られ迫害されやすい。やせ細った子鬼など無視されても仕方がない。相手にされても苛められるのがオチだ。
あるとき腹をすかせ朦朧とした白鬼に「ヒトは超ウマいが、なかなか喰えない。ところがこの大豆を両手で掬えるだけ一度に喰うとヒトと同じ味がするぞ」と囁き、大豆袋を差し出したやつがいる。
そんなことをすれば喉に詰まるだろう……。
料が思った通り白鬼は喉を詰まらせ死ぬ思いをしたらしい。それ以来、白鬼は豆が苦手になってしまった。
そんな辛酸をなめていた白鬼だったが、あるとき白い鬼の雷神に出会う。同色同種ということで拾われた。そこでなんとか成長でき、雷系の技も習得する。ところが白鬼は出来すぎた。師匠の雷神を凌ぐ勢いを見せてしまった。
ある事件をきっかけに白鬼は魔界へ追放されてしまう。豆絡みでバーサーカー状態になった白鬼を雷神が危険と感じたのは致し方のないことだった。しかし雷神の心のどこかに出来すぎた弟子に対する嫉妬があったとしても仕方のないことだろう。イケメンだし。ああ、白鬼の運命やいかに!
魔界に堕ちた白鬼は体が大きくなった。筋力も増した。比重を増した魄を取り込む器を持っていたのだろう。それで侮られることはなくなったが、元来口数が少なく、天界生まれのせいか魔ものたちの放埓さにはなかなか慣れることができなかった。
「不憫な子なのよ!」
涙を拭う仕草を見せる水妖。近所のおばちゃんと完全にキャラかぶりした。あの涙は不憫な子を憐れむ自分に酔うための演出だ。
料は上体を起こす。
それでも白鬼は中の上だと猫まんまは言っていた。それが「なんでこの闘技会に参加したのか言ってなかった?」
さすが水の妖怪? 妖精? だけあって涙の出し入れなど自在のようで、まるで裏などないがごときサラッとした顔を見せ、「そうね。はっきりとは言ってなかったけど、居場所が欲しかったんじゃないかしら? ずっと独りだったみたいだし、わたしの話にもよく耳を傾けてくれていたわ」
それは長話の言葉で耳を詰まらせていただけでは?
白鬼とは一緒に被害者同盟を組める気がする。だいたい水妖の話によれば案外悪い奴ではない気がするし。いっそ謝ったら許してくれないかな? 秘儀・伸身前宙からの土下座! いや、できないけどね。
「話しは終わった?」
一本の大樹の上から声が降ってきた。見上げると枝の上に腰かけた猫まんまだった。森と湖と星明りの幻想的な雰囲気にエロいコスチュームがうそ寒い。もっともそんな幻想、おばちゃん水妖がとっくに破壊し尽くしているけど……。
猫まんまが枝から飛び降りる。十メートル以上の高さをふわっと、軽々と。前宙入れてほしかったわ~。
ところが着地したとたん猫まんまと水妖が睨み合う。えっ、えっ、え~。なんかケンカ腰? 心拍数がハナマル上昇中。
しばらく睨み合ったまま互いに一言も発しなかったが、ふっと水妖が間合いを外し湖面へと入っていく。
「いっ、いまのなに?」
「猫と水は相性悪いから」
「いや、そうじゃなくて、湖に沈んでったよ!?」
「水妖だからね」 なに当たり前のことを、という顔をしている。
「それより気を付けた方がいいわよ。あれは悪意とか害意とかある存在じゃないけど、話の中で必ずウソをひとつ入れる癖があるから。それが結構、いやらしいとこをついてたりするんだ」
ひとつ? あの長話の中で……。
「ねぇ、どこから聞いてた?」
「たったいま来たところよ」 猫まんまの尻尾が怪しげな揺れ方をしている。
最初からいたな。料は確信する。猫まんまは案内役兼監視役なのだろう。城を抜け出して湖に来るまでの数時間、料を完全放置していたとは思えない。ウソが尻尾に出るタイプ?
しかしエロいな。二人きりになって改めて思った。紫を基調にボディーラインに密着する薄手のボディスーツ。腰下にマントのようなもがひらひらしている。ニーハイのブーツ。そしてなにより胸元からへそ下あたりまでがシースルーになっていて……、見えてる。
紫の……、
毛が……。
いや、もう、料には刺激が強すぎて、目のやり場に困る。