2. 実質は捕獲だけどね
紫猫の名は〝猫まんま〟といった。族名なのか個体名なのかは聞きそびれたが、獣人ではなく妖怪だと本人は強く主張する。鴇田 料にはよくわからないが獣人種と妖怪種では大きな格の違いがあるらしい。それにしても〝猫まんま〟って……。
鬼の反撃が始まった。筋肉質の巨体は相当な重量だと思えるのだが、ウェアタイガーを圧倒するほど俊敏な動きを見せる。5~6mあった距離を瞬く間に詰め、虎の横っ面にフックを繰り出す。大振りではなくコンパクトなパンチ。虎はなんとか腕でガードするが、ガードごと体が吹っ飛ばされる。
「あの白鬼ははぐれの半神半魔ね。おそらくユニークボディ。ウェアタイガーのほうはありふれた獣人でしょう。虎は群れではなく単独で動くし、おそらくこのロゴスの森あたりに住みついていたものでしょうね」
闘技場の端の壁まで飛ばされた虎だが、瞳の闘志はまだ消えていない。むくりと起き上がると、自身が持てる最高のフェイントを織り交ぜながら鬼の側面や背後を取る動きを飽きもせず繰り返す。
「それにしてもあのスピード、あの体格、どうしたらあんなになるわけ? なに喰ってるんだろ?」
料の問いかけに猫まんまが押し黙ったまま、じっと料を見つめる。
「えっ、あっ、ちょっと!」
「うふふ、冗談よ。魔ものの数がどんなに多くても、ヒトの肉を食べたことのある奴なんてそんなに多くないから、安心して」
……機会さえあれば食べるんだ……。どう安心しろと?
でもつい、「やっぱり大食?」 墓穴掘りが止まらない。だって魔界だよ。
「下級な魔ものは殆どが、がっついてる。たとえ肉食じゃなくても食い意地張ってるのが多いわね」 猫まんまの笑顔が痛い。
「例えばあのウェアタイガーは下級の上ってところ。あなたと対戦したら戦うことより喰らうことに夢中になってしまうかも。勝者は敗者を喰らっていいルールだから、どのみち、その、うふふ。……でも、あの白鬼の方は中級の上。どうしてあんなのがこんなところに参戦しているのかしら……」
「上級だと人は食わない?」
猫まんまの耳と尻尾が別の生き物のように動いてる。いいことでもあったのか?
「魔界には魂と魄が満ちているの。四六程の割合で。天界だとこの逆かな。魂と魄はわかる?」
「??? コント枠? あー、俺はそんなポジション? だよね~、あんなのとガチでできるわけないし」
猫まんまは顎を引き、目を細め、若干の上目遣いで料を見ると、少しトーンを落とした声で、「ちょっと何を言っているのかわからないな。なんだったら上級のわたしが実食して見せましょうか?」
料はブルっと身震いをさせ「冗談です、冗談。ごめんなさい、続けて」 で、まんまは上級なのか?
猫まんまは、そう、とつぶやくと唇の端だけで笑って話を続けた。
「魂は魂気ともいって、霊力、そして魔力に影響するもので、魄は魄気ともいって体を含めた物質一般に影響するものよ」
<MP>とか<HP>的な?
「上級の魔もの、とくにリッカドンナ様クラスの悪魔になると魂と魄の吸収が圧倒的なの。取り込む速さも取り込める量も。生きるだけならそれでも十分。あの方たちの食べるという行為はおまけみたいなものなのよ。逆に下級のものは口から摂取しなきゃ、食べなきゃ生きていけない」
大口を開て襲い掛かるふりをするまんまの四本の牙が、なんか生々しい。 やっぱり上級?
「ただ、リッカドンナ様たち原初の・全能の悪魔族にも落とし穴はあって、あなたがここにいるのもそれ絡みだけどね」
全能ってなんかスゴ。でも全知ではないんだ……?
白鬼とウェアタイガーの戦いは一方的になりつつあった。鬼の数発のパンチで虎の機動力はほぼ失われている。右手にサーベルをかろうじて握っているが、腕自体が上がらない。これがまっとうな魔ものならばとうに逃げ出していただろう。しかしこのウェアタイガーは戦士としての誇りを持っていた。一言に獣人といってもその起源は様々であり、こんなところが獣人という存在の面白味なのだとか。
「女しか生まれない全能の悪魔族は12歳で独立する際にパートナーを求めるの。魔界中から魔ものを集めて、戦わせて、勝ち残ったものはペアリングの候補になれる。実際にパートナーになれるかは先の話だけどね」
「それって、逆玉的な?」
「う~ん。一応夫婦に準じた扱いだから隷従法は施されないし、ほかの魔ものからの脅威はなくなって生存の可能性はグッと増すのも事実。相手が強すぎるからね。
だからかえって婿的な立場として頭は上がらないし、実際役割は種馬みたいなもんだから、実力のある悪魔なんかは敬遠するのよ。悪魔は利己的な存在。あらゆる価値の中心は自分だということを隠さない。入り婿というのは、上級悪魔にとって既存の自由を捨てるほどの魅力はないってわけ」
「あっ!」
料はひらめいた。閃いてしまった。気づいてしまったのだ。
つまり俺はコント枠どころか賞品枠? 目の前にぶら下げたニンジン枠? 参加者を確保するための美味な肉塊。そもそも最終戦だけに参加って変だし。は~、ほとんど悪魔の所業だな~。あ~、悪魔だったか。
コスプレ集団という蜘蛛の糸のような希望を捨て去ったわけではないが、料はこの空気感からここが魔界であるということを否定できなくなってきている。
異世界に冒険者とか勇者として召喚ならともかく、魔界に人参枠として召喚……。実質は捕獲だけどね。
俺の人生、詰んだな。
白鬼とウェアタイガーの戦いは最終局面を迎えていた。虎は競技スペース境界の壁に背中をめり込ませ座り込んでいる。頭部からの流血が顔面を染め、視界も霞んでいるはずだ。白鬼は静かな足取りで近づきつつある。一歩、また一歩。おそらくあと一撃で虎は沈むだろう。
もう鬼のこぶしが虎に届く距離に近づいた時だった。
ざっ!
虎が辛うじて掴んだ地面の砂を一握り、鬼に向かって投げた。いや力なく撒いたといった感んじだ。虎にとっては最後の意地。明らかに何ものも生まない行為。魔ものたちには理解しがたい行為。
ところが、無意味に思えた行為が思わぬ事態を引き起こす。
それまでほとんど表情を変えなかった鬼が目を吊り上げ、牙をむき出し、体をわななかせ、右手を高々と掲げると叫んだ。
雷爆!!!
刹那、苛烈な電撃が天から急降下してウェアタイガーを直撃する。纏ったマントの一片さえも残さず消し飛ばす。
それまで魔法を使うそぶりなど微塵も見せなかった白鬼が急転直下、いや勝敗はすでに見えていたのだからその表現は正しくないだろう。むしろ鬼のほうが死に物狂いの様を呈して、瀕死の相手に過剰なまでの止めを決めた。
突然の出来事に闘技場は静寂に包まれた。そんななか、
パチパチパチ。
貴賓席の中央でリッカドンナが拍手する。勝者への称賛か? 命を賭した戦士への哀悼か?
*
その夜、ロゴス城の大広間で催されたパーティーは豪奢を極めた。数多の招待客と多種多様な料理であふれている。それは珍しいことなのだと猫まんまは言った。
リッカドンナの三人の娘のうち上の二人はすでに独立してロゴス城を巣立っている。その際にも送別のパーティーはあったが、ごく内々のものだったらしい。
悪魔は利己的なもの。一面、悪魔は怠惰なもの。悪魔が人を招いて、お・も・て・な・し、とかイメージ崩壊だよ、値崩れ必死だよ。まあ、あくまで一般論だが。
なぜ、今夜に限って……?
やがて、ウォー、というどよめきが起こり、広間奥の大階段からリッカドンナとマーガレットが手を取り合い赤いカーペットを踏みしめながら登場した。ロングドレスの裾を滑らせ一段一段降りてくる姿からは、……なんとか歌劇団のイメージしかわかない料だった。
「それにしても様子がおかしいわね」 猫まんまは何かを感じとっているようだった。「とりあえず端に、あの柱の陰に身を寄せておきましょう」 料の袖を摘まんで場所を移動させる。彼女は昼間からずっと料に付きっきりで案内役をしてくれている。
「おかしくないところなんて、どこかにあるのか?」 平凡な、人間の、高校生の、料にしてみれば中世貴族風の宴だけでもとんでもないのに、招待客には角だの、牙だの、尻尾だの、翼だの、鱗だの、複眼だの、肉球だの、しまいには骸骨だの……。さらにさまざな種族に合わせた料理はもはや人間が想像できる世界ではない。もちろんヒト用の料理も用意されている。
「それより、あのアイス……」 喰っとけばよかったなと料は思う。最後の晩餐なんだろうし……。
「ずいぶん余裕ね。怖くないの?」 猫まんまは意外そうだが、感心しているふうでもあった。
「まあ、じたばたしてもね……」 処理しきれねぇよ。
それはそうと白鬼の姿が見えない。「ねえ、あの白い鬼はどうしてんのかな?」
猫まんまは、ああ、とうなずいて「どこかで気を静めているのでは? 最後、様子がおかしかったから、この席へは来られないでしょう」
「どうしたのかな、あれ?」
「気になるの?」 まんまは横目で料の反応を観察しているようだ。
バーサーカーってあんな感じなのかな? ゲームの画面がだぶる。なんかトラウマでもあんのか? でもキッカケが砂利って……?
「ああなる前も圧倒的だったよな……」 人間相手の喧嘩だってしたことないのに、いきなり格ゲーの最強級キャラとかなしだろ~。「は~~~」
「逃げたいとかは思わない?」
「ん~、どうだろう……。もしあれがCGとかなら逃げる必要ないだろうし。本当にここが魔界で、あれがリアルなら、逃げてもどのみちほかのモンスターに喰われちまいそうだし、むしろここにいた方がいまのところは安全でしょ?」
ここで逃げたら猫まんまはただでは済まないのだろう、と料は思う。魔界の取り立て基準はわからないが、やっぱ食べられちゃうとか? ここは逃げない一択、くらいの空気は読める。手間いらずだし。