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マニアック・ベースボール  作者: 真柴 文明
9/13

九 VS パワーヒッター

 くそっ、掬稚のやつまんまと伊垣さんの術中にはまりやがって。結局アウトカウントが一つ増えただけじゃないか。

 不甲斐なくファーストファールフライに倒れ、肩を落としてベンチに引き下がる掬稚を見ながら俺は二塁上で毒づいていた。

 それにしてもさすが伊垣さんだ。三球続けて内側を攻めれば、次は外の際どいコースに投げるのが並みのピッチャーだ。

 だが、あんたは違った。ど真中のチェンジアップで勝負してきた。それも高めにだ。正直、驚いたよ。

ツーストライクに追込まれていた掬稚は打ち気にはやっていた。何より外にヤマを張っていた。そこへ真ん中高めのチェンジアップきた。「待ってました!」とばかりに打ちにいったはいいが、思った以上にボールがこない。

 焦っただろうな。どうにかして合わせようと、必死でバットが出ないように堪えていたな、あいつ……。

 俺はついさっきまで目の前で繰り広げられいた、熱く細か過ぎる戦いを思い返していた。

 二塁まで悲鳴が聞こえてきそうなくらい掬稚は耐え続けた。その無言の叫びが今も耳に残っている。よく踏ん張ったが、耐え切れず振ってしました。

 しかし、伸び切った腕ではバットの先で当てるのが精一杯だった。浅いファールフライに終った。ボールに当てたなら、どうにかしてゴロにできなかったのかと責めてみても、それは酷というものだ。まあ、伊垣さんが一枚上手だったということだろう。

 でもここからはリーグ屈指の破壊力を誇る、うちのクリーンアップが相手だ。掬稚のようにはいきませんよ。覚悟してください、伊垣さん。


 ブォン! ブォン!

 風圧がマウンドに届きそうな勢いで、ネクストサークルにいるゴリラがバットを振ってます。たしかここは球場のはず。サーカス会場でもアトラクション広場でもありません。

 思わずそんな勘違いしてしまうくらい、ゴリラに似た褐色の巨体がバットを振り回していました。

 ゴリラの正体はスターズの三番、ディエゴ・フランソワ。ラガーマンを思わせる身長二m、体重一〇〇kgの巨漢ドミニカンです。南国出身らしく陽気な性格はファンからも愛されています。育成出身の二五歳で右投げ右打ち。ポジションはファーストです。

 それにしてもスターズは鍛え甲斐のある若手を引っ張ってくるのが本当に上手いと思います。なにせ、海の向こうからゴリラを連れてくるくらいですから。

 支配下登録され一軍に昇格して今年で三年目になるフランソワはスターズ期待の成長株です。過去二シーズン、毎年ホームランは二〇本ほど打ってましたが、打率二割五分そこそこと、典型的な引っ張り専門のパワーヒッターでした。

 しかし昨年のオフに習得した流し打ちによって、今シーズンは打率を大幅に上げることに成功しました。ホームランもここまで、すでに三〇本放っています。

 また、この流し打ちのせいで、やたらとチャンスに強くなりました。私はなんか「どこの馬鹿がゴリラに余計な芸を仕込んだんですか」と思わず口にしたくらいです。今や、フランソワは初のタイトルである打点王に向って打ちまくっています。

 ネクストサークルでは相変わらず威嚇(いかく)するように、ゴリラがクソ重たい木製のマスコットバットがプラスチック製のおもちゃと思ってしまうくらい軽々と振っています。それを置いたフランソワがニヤついた顔で右打席に入りました。

 一軍に上がった頃から私は、このフランソワが苦手でした。というより毛嫌いしてました。それはフランソワにはインコースであろうが、アウトコースであろうがお構いなし打てる並外れたパワーがあるからです。バットの芯を外す程度の変化球なら、外れたまま力づくで内野手の頭を越えてヒットにします。私のような小さな変化球で勝負する非力なピッチャーが苦手とするタイプのバッターです。

 ちなみに、彼の現在の得点圏打率は三割を越えています。私も今シーズンはけっこう痛い目に会ってます。

 ただし、急成長するフランソワにも弱点はあります。インコースの(さば)きがまだまだ下手なところです。きっと苦手意識があるんでしょう。そして入団当初から指摘されていた、頭に血が上ると見境なくどんなボールに手を出してしまう悪癖(あくへき)は今も健在です。なまじ人並みはすれたパワーがあるからなんでしょうね。とにかくバットに当てれば、力で何とかなると思っている節があります。プロを舐めてます。

ここまでフランソワについていろいろと話してきましたが、なにより私が気に喰わないのはその名前です。

 ゴリラを思わせる厳つい身体に、顔といえば鬼瓦みたいな強面。その上にドレッドヘアーが乗っかっています。気の世弱い方なら、間違いなく目を合わせることはないでしょう。

なのに名前が「フランソワ」て、笑っちゃいます。もちろん名前ですから、彼には何の罪もありません。 しかし、さすがに「フランソワ」は如何なものかです。

 せめてスターズも登録名を「ディエゴ」すれば、よかったのではないでしょうか。

 右打席に着いたゴリラがニヤけたまま私を見ています。今シーズン、ここまでのゴリラとの対戦成績は二割九分三厘。オーバーフェンスこそありませんが、かなり打たれています。ゴリラにとって今の私はカモなんでしょう。たぶん、これで打点が一つ稼げると思ってますよ。絶対。

 しかし、私にも長年この世界で飯を食ってきたプライドがあります。たかが三年目のゴリラに簡単にやられるわけにはいきません。

 とりあえず一発だけは注意して、初球はボール二つ分ストライクゾーンからボールゾーンへ逃げるスライダーを投げました。

案の定、流し打ちで結果を出していたゴリラは腕を伸ばして打ちにきましたが、打球は一塁側のスタンドに入ってファール。いくら腕の長いゴリラでもボール二つも外れていたら、打ってもファールにしかなりません。

 カウントはノーボール、ワンストライク。上手くストライクが一つ稼げました。

 このようにプロのピッチャーはバッターが思わず手が出そうになるボールゾーンに投げて、わざとファールを打たせて追込んでいきます。素人やプロになってまだ日の浅いピッチャーはピンチになるほど、ストライクゾーンで勝負しようとします。

 しかし打ち気十分のバッターに、ストライクゾーンばかり投げていては打たれます。言い換えれば、ピンチのときほどボール球を投げ切れるか。これが勝負のポイントです。プロはボールゾーンで勝負するのです。

 さて、初球、外のボール球を打ちにきたゴリラを見て、私は何を狙っているのか、少しわかってきました。それは一発長打ではなく、最悪でもランナーを三塁に進めるチームバッティングを心掛けていることです。強面に似合わない心遣いですね。状況に応じてバッティングを変えてくるとは、ゴリラが一歩、人間に近付いたのかもしれません。

 ある往年の名リリーフがこんなことを言ってました。

「初球、ボール球をファールされると楽になる。同じストライクでも見逃されると、バッターの腹が読めないからあまりいい気持ちはしない。しかしファールなら何を待っているのか分かるので、二球目以降のピッチングが組立てやすくなる」と。経験に裏付けられた真理です。

 ここからゴリラをどう仕留めるのか、私にはおぼろげながら見えてきました。ゴリラには頭に血が上ると、どんなボールにでも喰い付いてくる亀並みの悪食(あくじき)があります。それを利用させてもらいましょう。

 球審からニューボールを受けた私は、打席を外して景気よくバットを振り回しているゴリラに目をやりました。

 初球のクソボールに手を出してくるくらい、今のゴリラは打つことしか考えていません。こんなゴリラの胸元近くにボール球を投込んだらどうなるでしょう。当然、ムッとしますよね。そして次もビザ元にボール球を投げます。また、ムッとします。

 カウントはツーボール、ワンストライクとバッター有利になりますが、構いません。ここで初球と同じくアウトコースへスライダーを投げます。たぶんゴリラは打ちにきます。

しかしボールゾーンへ逃げていくので、ファールにしかなりません。これでツーボール、ツーストライク。

 苦手なインコースを攻められ、思い通りにならないバッティングに少なからずゴリラはフラストレーションを溜めるでしょう。あとはどうフィニッシュに持っていくかだけです。

 そう考えた私は二球めを胸元のストレート、三球めをヒザ元へツーシームを投込みました。予定通りカウントはツーボール、ワンストライクです。

 ゴリラの顔は赤黒くなり、血走った目で私を睨み付けています。しめしめ、いい感じで頭に血が上ってきたみたいです。

 ここで四球めは初球と同じアウトコースのクソスライダーです。ただ少し違いがあります。同じスライダーでも初球はボール二つ外したのに対して、四球めは一つにしました。平常心のゴリラにこんなところへ投げれば、まず力で持ってかれます。

 でも、大丈夫です。二球続けて胸元、ヒザ元と身体の近くに投込んだので、バッターの踏込みはどうしても甘くなります。

 四球めを投げると、やっと狙い球がきたと思ったゴリラは強振しました。が、今一歩、踏込めていません。

 カーンッ!

 快音を残した打球はライトスタンド上段まで飛んでいきました。カクテル光線を浴びて白く輝く打球が気持ちよさ気に夜空に浮かんでいます。やがて打球は力尽きたように失速し、ポールの右側へ大きく切れて大ファールに終りました。

 スタンドに歓声と溜息が交錯するなか、誰の目にも、私が肝を潰したように見えたでしょう。

 違いますね。肝を潰すどころか、私はグラブで口元を隠しながら薄っすらほくそ笑んでいました。梅埜君もマスク越しにニヤニヤしています。

 よく「三振前の馬鹿当たり」と言われますが、大ファールを打ったバッターの多くは「よーし、もう一丁」と肩に力が入るものです。こういうバッター打取ることなど、さほど苦労しません。同じコースにスプリットを投込めば済みます。

 ただ、一流と呼ばれるバッターはまったく変りません。妙な力みもなく、いつもと変らないスイングをします。だから一流なんでしょう。

 ツーボール、ツーストライクと、平行カウントに持込んだ私と梅埜君はフルカウントにはしたくなかったので、次のボールで勝負に出ました。決め球は掬稚君を打取ったのと同じく緩急あるボールです。

 ただし、今回はすっぽ抜けて高めに浮いてしまったチェンジアップではなく、ピッチャーを志した者なら誰もが一度は投げたことのある、カーブを選びました。

今はナックルカーブやパワーカーブといった新たなカーブがあるそうですが、私の投げるカーブは昔ながらのドロッとした、大きく曲がるやつです。

 年に一〇球も投げませんが、バッターの目先を変えたいときやバランスを崩したいときに投げると、これがけっこう効くんですよ。私のカーブは山なりの軌道でアウトローに決まる、超の付くスローカーブです。球速は九〇km後半くらいで、プロのバッターからすればあくびが出るくらいです。

 何度も言いますが、私のストレートは速くありません。調子がよくても一四〇km後半は出ません。

 しかし、この貧弱なストレートに九〇km台の、しかも滅多に投げないスローカーブを加えれば、その差は約四〇kmになります。これだけの球速差にバッターの目は付いていけません。私のようなピッチャーが言うのもなんですが、変化球はストレートなくして成り立たないのです。

 セットポジションに入った私は掬稚君に投じたチェンジアップのように力まないことを心掛けて投げました。

 真ん中高めから入ってくる山なりのスローカーブに、ゴリラが面食らっています。まったく頭になかったんでしょうね。

 美しい弧を描きながらボールはアウトローのストライクゾーンへ向っています。困惑するゴリラがバットを出すか、だすまいか、迷っています。

 やがてストライクだとわかると、かなり遅れたタイミングでゴリラは強引に打ちにきました。まあ、どちらかと言えば、打ちにきたというより当てにいった感じですね。

 スコンッ

 何とかバットの上っ面で捉えたものの、打球は力なくフラフラとライト方向に上がっていきす。

 ライトの隆山(たかやま)君が定位置から五、六歩前に出てきました。どうやら浅いライトフライみたいです。その様子を見た私は一つ小さく息を吐きました。それにしても、やっぱりゴリラですね。こちらの注文通りに踊ってくれました。

 二塁上に視線を移すと、神部君は形だけタッチアップの構えを取っていましたが、走り出す気配はまったく感じられませんでした。

 ゆっくりと隆山君が捕球体勢に入りました。このとき、お客さんも含めて球場にいる誰もがこれでツーアウト、ランナー二塁になることを、まったく疑っていませんでした。

 パシッ!

 ダッ!

 なんと隆山君のグラブにボールが入ったと同時に、神部君が猛然とスタートを切ったのです!

 あまりに無謀なタッチアップに私は驚きましたが、もっと驚いたのはボールを捕った隆山くんです。

「行ったぞ!」ショートの酉谷君が声を張上げて知らせます。

 その声に反応した隆山君は素早く内野に返球しました。たぶん慌てていたせいなんでしょうね、ボールは大きく右に逸れてしまいました。このままファールグランドにボールが転がってしまったら、神部君がホームに帰って同点です。

 しかし、サードの央山が身体を投げ出して何とか止めてくれました。危なかった……。

 そしてこの守備の乱れの間に、三塁を陥れた神部君はタイムを取って悠々と脚に付いた土を払っています。

 またしても、やられました。あれだけの浅いライトフライで走り切るとは、神部君、君は脚だけでも十分食っていけますよ。

 どうにかツーアウトに漕ぎ付けたとはいえ、三塁を許してしまったことは非常にまずいです。なぜなら、三塁にランナーがいることは、パスボール、ワイルドピッチ、野手のエラーなど一つのミスで簡単に点が入ってしまうリスクが高まるからです。

 私は神部君の果敢な走塁を(たた)えながらも、ツーアウト、ランナー三塁という状況で、スターズの若き主砲、四番・須々木(すずき)君を迎える羽目になりました。

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