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マニアック・ベースボール  作者: 真柴 文明
6/13

六.イレギュラー

 「タ、タイム」

 小さく沈むスプリットに無様なハーフスイングを取られてしまった俺は、たまらず打席を外した。

 ネクストサークルまで戻って気持ちを鎮めながら、滑り止めのスプレーをバットに吹き付ける。

 クソッ、俺としたことが、まんまと誘い球に手を出してしまった。この試合を落とすわけにはいかない。なんとしても勝って明後日からのギガンテスとの直接対決に持込めば、スターズにもほんの僅かだが、逆転優勝の可能性が残る。それなのに、つい気持ちが先走ってしまった。いかんっ、落着け。

 くどいほどスプレーをバットに吹き付けながら、俺はこれまでの試合展開を思い返していた。

 相手は万年Bクラスのバンディッツ。いつでもひっくり返せると、決して高を(くく)っていた訳ではない。

しかし、目の前の現実は稚拙(ちせつ)な攻守が続き、八回表で六対五と一点のビハインド。このままではまずいっ。この際、ファーボールだろうがデットボールだろうが何でもいい。何が何でも塁に出て引っ掻き回してやる。

 スプレー缶を放り投げた俺は、バットの握り具合を何度も確かめながら、次のボールを予想した。

 相変わらず伊垣・梅埜のバッテリーは昔ながらの対角線を軸にしてピッチングを組み立てている。また、誘い球を投げるにしても、おそらく次はインハイだろう。とりあえず、伊垣さんのそれほど速くないストレートに合せて待つか。

ひとつ息を吐いた俺は気持ちを新たに左打席に向った。


 左打席に入った神部君をひと目見て私は「おやっ?」と思いました。さっきまでの突刺すようなギラついたものが目から消え、心なしか縮こまった構えからいい感じで力が抜けています。

 やはり、首位打者を狙う選手は違いますね。ちょっとした間を取るだけでいつもの自分に戻っています。こりゃ、対角線にこだわってインハイを攻めようものなら、かなりの確立で打たれてしまうでしょう。

 神部君を睨め上げている梅埜君も何かを感じ取ったみたいです。そんな女房役の彼が出したサインを(のぞ)き込んで見ると、なんとインハイのカットボール!

 ほっほ~ぉ。梅埜君、いい度胸してますね。君はあくまでも対角線にこだわるんですね。十中八九、神部君が待構えているところに()えて投込むわけですか。

 たぶん梅埜君のイメージでは、インハイにきたボールを「待ってました!」とばかりに強振する神部君、そこにストレートの軌道でスライダー気味に左バッターの内側に食込むカットボールで内野ゴロに仕留める、といったものでしょう。

 なるほど、「裏の裏を()く」わけですか。

 たしかに、神部君ほどの好打者であれば、少しばかり目先を変えても引っ掛かってくれません。

 しかし、待構えているところに、敢えて投げるという「虎穴に入らずんば虎児を得ず」的なピッチングなら、手を出してくるに違いありません。そうと決まれば、ちゃちゃと片付けてしまいましょう。

 梅埜君のサインに(うなず)いた私はセットポジションから第四球を投げました。狙い通り神部君の胸元にカットボールが向っていきます。

 神部君の肩がピクッと(かすか)かに反応したかと思うと、きれいに折り畳まれた腕から身体に巻き付くように振出されたバットが最短距離でボールを(とら)えようとしています。

「かかった!」と、思わず私はマウンドで歓喜の声を上げそうになりました。

 ガツッ!

「うっ」

 捉えたはずのボールから聞こえる鈍い音と共に、うめき声を漏らした神部君が「ちっ」と舌打ちしたかと思うと、すぐに一塁に向って全力で駆け出しました。

 神部君にしてみれば、読み通りのインハイのストレートを叩いたつもりでしょうが、カットボールですからね。スライダー気味に曲る分だけバットに差し込むように芯を外すんです。

 当然、芯からズレた打球は平凡なセカンドゴロとなり、悔し紛れに舌打ちした神部君は慌てて一塁へ走り出したということです。

 今、マウンドの左側をありふれた内野ゴロが、セカンドの伊都原(いとはら)君に向って転がっています。それを見ていた私は身体の力が抜けていくのを感じました。

 なにせ連続盗塁王ですから、塁に出すといろいろと面倒なんですよ。いやっ、本当に。

 ゴロの正面に回った伊都原君はバウンドに合せて腰を落とし、捕球体勢に入りました。実に基本に忠実な動作です。教科書通りの流れるような身体の使い方は、ユーチューブにアップしたいくらいです。

 な~んてっ余裕こいて眺めていると、唐突に伊都原君の手前でボールが大きく跳ね上がるではありませんか!

「……えっ?」

 一瞬何が起こったのか理解できませんでしたが、ボールは転々とライト前に転がっています。

たしか、カットボールで注文通りに打取ったはずなんですけど? なぜ、外野にボールがあるのでしょう?

 ライトの鷹山(たか)君がボールを押えるのを見て、私はようやく現実を受入れました。

 スコアボードに視線を移すと、これ見よがしに毒々しい品のない赤い「H」の文字が点いています。まるで場末のバーの看板みたいです。

 そして状況はノーアウト、ランナー一塁に。しかも走者は盗塁王のタイトルホルダー。いわば走りのスペシャリストです。

よりによって、もっとも厄介なひとを出してしまいました……。


ふーっ、どうにか出塁できたな。それにしてもイレギュラーとは、なんてラッキーなんだ。

一塁を全力で駆抜けた俺は、スコアボードに点るまっ赤な「H」を見てほくそ笑んだ。大型ビジョンには腰を落として捕ろうとする伊都原の手前で、インパラのように飛び跳ねたボールがスローで映し出されていた。

 ただの平凡なセカンドゴロがライト前のイレギュラーヒットか。お客さんから見れば、今ひとつスカッとしない結果オーライなヒットだが、ヒットはヒットだ。追い詰められたチームの状況を考えれば、どんな形でもまず先頭バッターが塁にでることが必要だ。

ファールエリアから一塁ベースに着くと、一塁コーチの明るい声がした。

「神部、こちらに運が向いて来たようだ。走れると思ったら、いつでも行け。ベンチもお前に任せるそうだ」

「そうですか。じゃ、遠慮なく走らせてもらいます」

 ヘルメットのツバに手を添えて会釈する俺に、コーチは「お前の脚を見せ付けてやれ!」と、言わんばかりにアゴをグッと引いた。

 コーチから視線をマウンドに移すと、そこには深刻な表情を浮べたバンディッツの内野手たちがいた。

 そうだろうな。不運なイレギューラーヒットとはいえ、ワンアウト、ランナーなしから、一転してノーアウト、ランナー一塁になってしまったのだから、状況はまるで違う。連中も堪ったものじゃないだろう。

 特に若い伊都原なんか青ざめて涙目になってやがる。別におまえがヘマをしたわけでもない。たまたま、飛んで来た打球が目の前で大きく跳ねただけだ。気にするな。運・不運などこの世界でも付いてまわる。伊都原、変な責任を背負い込むなよ。だが勝負事となれば、話は別だ。おまえの運の悪さに付込んで、必ずこの試合を取るっ!

 塁上で脚のストレッチをしながら、俺はマウンドに集まった男たちをいたぶるような目で見詰ていた。

「さあ、どうやって()き回してやろうか……」


「……すっ、すいません。伊垣さん。……後に()らしてしまって」

 公称一六五cmと、神部君とあまり変らない小柄な伊都原君は蚊が鳴くような弱々しい声で、私に謝りました。他の内野手も沈痛な面持ちで目を伏せていました。まるでノーアウト、満塁のような雰囲気です。

「おいおい、変な責任を感じているんですか?」

 これではいけないと思った私がわざと明るい口調で話すと、他の内野手たちも調子を合せて伊都原君を励まし出しました。

「そうだよ、イト。あれは不可抗力だ。あんなイレギュラー、誰にも止められんよ。ねえ、伊垣さん?」 ショートで七年目の酉谷君が窺うように私を見ました。

「えっ?」酉谷(とりたに)君、なぜ私に同意を求めるんです?

「起きてしまったことは仕方がない。伊都原、いつまでも引き()らずに早く気持ちを切替えろ。ですよね、伊垣さん?」一〇年目のサードの央山(おおやま)君も似たようなことを言って、私に視線を向けてきました。

「はっ?」央山君、君もですか?

 最後は今年から加入したファーストのマテルが、片言の日本語で訳のわからないことを口走りました。

「イトハラ。ゲンギダシテ。アトハ、イガキサンガナントカスルヨ。ネエ?」

「ネエって?」マテル、君はちゃんと日本語がわかって言ってるんですか?

 彼らの言い草にしばらく閉口していましたが、いつの間にかキャッチャーの梅埜(うめの)君を除く内野手全員が何かを期待する目で私を見詰ていました。

「うっ」

 なるほど、そういうことですか。あとの始末を全部こちらに押付けてくるんですね。君たち、本当に仲がいいんですね。

 そう悟った私はあきらめたように鼻から息を漏らして、伊都原君に改めて言いました。

「伊都原君、イレギュラーのことは気にせずに、気持ちを切替えてください。あとのことは私に任せてください……」

 私としては伊都原君の身長があと一〇cmほどあればと、つい思ってしましたんですが、今はこう答えるしかありません。

「皆さん、ありがとうございます。次は必ず止めてみせます!」

 息を吹返した伊都原君が力強く宣言しました。少しは気持ちが楽になったみたいですね。

 そんな彼の姿を見て、三人の内野手たちは安心したように微笑んでそれぞれのポジションへ戻っていきました。

 心の中では納得できませんが、皆が落着きを取戻してくれてよかったです。想定外の事態に浮き足立つチームの重石(おもし)になる。これもベテランと呼ばれる選手の役目です。

 そんな風に自分に言い聞かせていると、ただひとりマウンドに残っていた梅埜君が苦笑いを浮べていました。

「なんだかんだ言って、みんな伊垣さんを頼りにしているんですよ」

「本当ですか? ただ長くやってきただけの老いぼれですよ」

 眉根を寄せて(いぶか)しむ私に、梅埜君はにっこり笑いました。

「この厳しい世界で一〇年以上、中継ぎとしてやってきたんですよ。それなりの技量と経験があるってことです。でなきゃ、球団も伊垣さんを置いておきません」

「それなり」という部分が少し気になりますが、それで嬉しいことを言ってくれます。さすが女房役と言われるポジションを守るだけのことはあります。

「それに」と、梅埜君がセカンドに視線を移しました。

「経験の浅い伊都原も、伊垣さんにあんな風に言ってもらったら救われますよ」

 まあ、言わされたんですけどね。

 梅埜君は視線を伊都原君から一塁側に向けました。

「さてっ、伊垣さん。一番出したくないひとを出してしまいましたけど……」

 自信なく言葉を濁す梅埜君の視線の先には、一塁キャンバスを踏み付けながら、不敵な笑みを浮かべる神部君の姿がありました。

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