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探偵軍師  作者: 文叔
第一章 キリニスの少女
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第一章 キリニスの少女 2

 キリニスは大陸西部の島国である。

 島といってもエウロ大陸内の一国とほぼ同じ大きさであるため国力的にはそれらの国々と同程度の力量がある。天気のいい日は大陸が見えるほどの近さでもあり、もともと大陸との結びつきは強く、島国とはいえまったく大陸圏の中にあった。



 歴史もあり、また四方が海に囲まれているため航海術はエウロ大陸一と言ってよく、蒸気機関が発明されてからはキリニスが先駆けとなって他地域への進出も図られるようになった。コウがキリニス語を覚えたのは旅の最中にということもあったが、それ以前にキリニスからやってきた人間と大陸の東端にある自国で会う機会があったからでもある。



「なかなかおもしろい人が多かったよ」

 どんなキリニス人と会ったかとボニーに尋ねられた時、コウは笑ってそう言うのみだったが、中にはなかなか山師のような男もいたようである。ただしこれはキリニス人がどうのというより、会う人間に商人が多く、商いに手を染める以上、多かれ少なかれそういう要素のある人間が多いというだけのことであろう。

 コウがその手の人物との話を好んだのは、商人というものは情報に敏感で、物事の本質を見極める力にも優れているからだった。それらの能力は商売をする上で最も大切なものであり、他国にやって来るほどの商人であれば、これもまた多かれ少なかれその手の力を持っているものである。

「商人に最も大切なものは信用ですよ」

 という意見にはコウも賛成だが、

「それは商人に限らないですよ」

 という反論も持っている。

 そしてコウがキリニスにやってくるまでに乗ってきた船はほとんどが商船であり、大陸を歩く時は隊商にくっついてきた。彼らにしてみても臨時の働き手は歓迎だったし、コウは見た目の柔和さに比して肉体労働も充分にこなせ、当然ながら事務仕事も得意であり、なかなかに使い勝手がよかったため、重宝されたのだ。



 キリニスは大陸の西、央華は東。そして当然真ん中もあり、北もあれば南もあり、それぞれの中間や、それぞれが混ざっている場所も多々ある。東から西へ横断していればそれらの人たちに出会うことも必然で、コウはキリニスに来るまでだけで相当な経験を積んだことになる。

「といってももちろん表面だけだけどね。だから将来はキリニスから順々に東に向かって戻りつつ、何年かずつ住んで、その土地のことを体感したいと思ってるよ。それでも表面から少し掘り下げるくらいの話だろうけど、本で読んだり話を聞いたりするだけより、ずっと詳しく知れるだろうから」

「……それじゃいつかキリニスから出てっちゃうの?」

 ボニーに央華からキリニスへの旅をうらやましがられた時、コウは笑ってそう応じたが、彼女の微妙な反応には気づかなかった。あるいは気づかないふりをして笑った。

「まだ何年かはキリニスにいるよ。次はミキス、次はベルン、その次はぺランカ……って感じで移っていって、その国に何年かずつ住んで、じいさんになった頃に央華にたどり着くのが目標かな」

 と、大陸の国名を挙げて彼の人生の予定を話した。彼は本は好きだが、本に書かれていることだけに拘泥こうでいすることももちろんない。

「本に書かれた知識は知らない土地を歩く時の地図みたいなものだからね。なにかするにあたって、ずいぶん手助けになる」

というのが持論だった。



「ふーん……ま、いいけどね。それじゃあたし今日はこのあと出版社に行くから、皿洗いくらいはしておいてよね」

「えー、皿なんて洗わなくても死なない……」

「いいわね!」

「……はい」

 不精者(ぶしょうもの)がおのれのそれを正当化(?)するために必ず口にする言い訳を一撃でほふり、満足げにうなずくと、ボニーはかばんを肩にかける。

「よろしい。それじゃいってきまーす」

「……いってらっしゃい、お嬢さま…」

 と、十歳以上年長の家主をへこませておいて、ボニーは彼のアパートを元気よく飛び出していった。




 ボニー・ウェントリーはすでに学校を卒業して働いている。彼女がやってきたそこは小さな雑誌社だった。

「おはようございまーす!」

「おーう、ボニー早いねえ」

「一番下っ端ですから」

 と、雑誌社が入っている三階建ての古めだが頑丈な建物の大家兼管理人の老人と親しげに挨拶すると、ボニーは階段を上がっていく。ボニーの勤める雑誌社は二階の一室を借りていた。大きな雑誌社と違い、社員数も少ない。

 雑誌の内容はおもに紀行になる。キリニスは蒸気機関が発明されてから数十年をかけて機関車網の整備を果たしており、国内旅行が以前に比べて格段に(やす)くなっていた。それにともない旅行を娯楽として愉しむ人も増え、その情報にも需要ができはじめたのだ。ボニーの勤める社はその旅行趣味が高じた男が作ったものだが、それだけに旅行を楽しむ人間の気持ちがわかる編集方針になっており、固定読者も多く、安定した経営をおこなえていた。だがそれだけに読者の目も肥えていて、なかなかに厳しさとやりがいのある仕事ともなっている。



 ボニーは好奇心が強かった。だがゴシップの類には嫌悪を覚える性質(たち)であり、彼女の好奇心は未知のものを求める方向へ向かい、その中に「知らない土地」というものも含まれていて、その想いがこの社への入社を求めさせたのだが、それだけでもなかった。

「亡くなった父が御社の雑誌のファンだったもので」

 入社前の面接の時、ボニーはそう言った。それは決して方便ではなく事実である。彼女の両親は旅行好きで、年に一度、彼女を連れて旅行に行くことが「年課」になっていた。だが五年前、ボニーが学校の用事でついて行かなかったときに、両親は機関車事故で亡くなってしまった。



 それは偶然たった一人生き残った彼女にとって、様々な意味で受け容れがたいことであった。一時は心を喪失しそうになるほどだったが、それでも祖母をはじめ、周りの人たちの助けもあって立ち直ることができたのだ。そのこともあって祖母には心から感謝しており、なんだかんだ言って押しつけられたコウを投げ出さずにいる一因ともなっている。

 そして学校を卒業する段になって、就職先にボニーはこの旅行雑誌社を選んだ。前述したように亡くなった両親が旅行好きだったことが理由の大なるものだったが、同時にボニーにはジャーナリストとしての志望も湧いてきていたのだ。



 ボニーの住む国、というより大陸の西の国たちは、ほとんどすべてがすでに民主国家になっている。ほんの数十年前に大陸の一国から湧き出たそれは、燎原りょうげんの火のようにまたたくまにエウロ大陸全体へ燃え広がった。一つの政体がこれほど短期間で、これだけ広範囲に広がるというのは、それはどの国も、数百年、数千年を越えて専制や独裁にいかに苦しめられていたかをしめすものでもある。民衆の王族・貴族に対する「もうお前らには任せておけん、おれたちに政権をよこせ!」という魂の叫びの結果であった。

 そして民主主義においてジャーナリズムという存在は切っても切れないものである。ボニーも最初は事件記事や政治記事を扱う一般紙への就職を希望したのだが、残念ながらそのようなところは競争率が激しく、また女であるボニーはほとんど門前払いとなってしまった。入社できそうなところは単なるゴシップ新聞社しかなく、それはボニーの(こころざし)とは大きく違うため食指が働かない。それがゆえにボニーとしては半ば不本意ながら旅行雑誌社に入社したのだが、多少のんびりしているだろうと考えていた職場の多忙さに振り回されており、自分の甘さと無知さかげんを思い知る毎日であった。



 雑用は新人の仕事というのは、別にボニーの会社だけのものではない。ほとんど世界共通の常識である。それでもボニーは自分の無知さを知った後だけに、また家事関係は子供の頃からおこなっているため、特に苦にすることもなくこなしていた。

「おうボニー、おはよう」

「おはようございます、アボットさん」

「おはようボニー。頼んどいた資料はまとまってる?」

「おはようございます、バートさん。はい、もうバートさんの机に置いてあります」

 ボニーが出社して三十分ほど経ち、徐々に社員が出社してくる。それとともに社内も活気に満ちてきて、ボニーの仕事も加速度的に増えてくる。なにしろ雑用のほとんどを受け持っているため、ある意味では社内で最も忙しいのがボニーなのだ。

「ボニー、ベックフォードさんの紀行文はあがってるか!?」

「ボニー、これ総務に請求しておいてくれ」

「ああ、あれとあれとあれもついでに頼む」

 と、ボニーはなんでも頼まれ、社内を走り回っている。もともと活発さが売りの少女だが、これはなかなかに体力を要する。

 だがそんな中でもボニーも文章の書き方や取材の仕方、文筆家とのつきあい方や、印刷所との接し方など、出版界で生きていくための常識を同時に刷り込まれてきており、「あと半年もすれば多少は使えるようになるかな」というのが社内の編集者たちの見立てだった。



 そして終業時間。日は暮れてガス街燈が(とも)る。本来の終業時間は過ぎているが、それが当たり前の職場環境である。

「お疲れさまでしたー」

「おうボニー、気をつけてなー」

「はーい、ありがとうございます」

 という会話を残っている社員としてから彼女は建物を出る。ランブルの治安は悪くはないが良いとも言いきれない。それだけに女性の夜歩きはよくはないが、ボニーとしてはこの仕事を選んだ以上、そのあたりもある程度覚悟に入れての生活を送っている。これもまた彼女の、ジャーナリストとしての心根のあらわれの一つかもしれない。

 それでも注意はおこたらず、なるべく人が多く明るい場所を選んで歩く。これまでパブ帰りの酔っ払いに絡まれたくらいで、他に危ないことなどの経験はほとんどない(ちなみにその時の酔っ払いには一発股間に蹴りを入れてやった)。そしてそのまま真っすぐ家に帰るかと思いきや、寄り道もする。繁華街の店ではなく住宅街の食品店で。その後もさらに寄り道をする。独身の若い男の部屋へだ。

「おーいコーウ。ちゃんごご飯食べてるー?」

「おーう、いらっしゃい、ボニー。まだ食ってないよー」

「やっぱりね。ほら、晩ごはんの用意するからテーブルから本どけて」

「もうちょっと待ってくれ、あと少しで読み終わるし書き終わる……」

「だったら書斎の方へ行きなさい。ここはご飯を食べるところで物を読み書きする場所じゃないんだから」

 若い独身の家主に一切の反論を許さず、自分のルールとペースで切り盛りしてゆくボニーは、なんだかんだいって祖母の言いつけを守る立派なキリニスレディだった。


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