序章 旬建国 後編
次の朝、皇帝より丞相岳垬の辞任と出国が全軍に告げられた。全将兵の間に驚愕が走り、それが動揺へ変わる寸前、皇帝の一喝が飛んだ。
「静まれ! 丞相はわが国でなすべきことをすべて終わらせたのだ。旬を建てるに丞相ほど労を尽くしてくれた者はおらぬ。丞相は朕(皇帝の一人称)と同年でいまだ老いたるわけではないが、すでに公人としての命数を終えたのだ。これよりは丞相の私人としての生をこそ朕は大切にしてやりたい。それこそが丞相の忠誠に報いる術であると朕は信じるからである。それともわが将兵は、丞相なくしては、その力量を十全に発揮できぬと申すか!?」
有事に部下を完全に掌握できることこそが、人の上に立つ者の資格のひとつである。とくに乱世の英雄にはその才が不可欠だった。それを持っているからこそ孟義はいま、央華大陸の最終的な勝者になりつつあるのだ。
起りかかった動揺を静めたところで、孟義は岳垬の辞表、というより置き手紙を公表した。
「我が望みは権に募ることにあらず。ただ隠者としての生をこそ望む」
これだけだったが、岳垬の為人をよく知る者たちは奇妙に納得した。
なにしろ彼の口癖は「はやくこんなことは終わらせて、本ばかり読んで暮らしたいなあ」だったし、そんな彼を、みな好意的に「いやいや丞相」などと呼んでいたからだ。しかし、こんなにも鮮やかに、しかも突然に身を退くとは、まったく予想外だった。
それにこの置き手紙の内容は、筆跡を確かめるまでもなく岳垬の手によるものだということもよくわかった。
「権に募る」とは「権威をたのんで増長する」という意味である。これから旬は、央華の権力をすべて掌中に握ることとなる。そのほとんどは皇帝のものだが、それらのおこぼれだけにしても、人が堕落するには充分すぎるものだ。
つまりこれは、皇帝を含めたすべての人に対しての、皮肉を込めた忠告なのだ。じつに岳垬らしい言いぐさで、聞いたすべての者の苦笑と自戒を誘わずにはおかなかった。
さらに驚いたことに、隠退するにあたって岳垬は、自分がいなくなっても政務や軍務にまったく支障が出ないように準備を施していた。
それぞれの職務の専門家はすでに育成されていたし、それらが有機的に機能するように官制も整備されていた。
なにより、この新しい政治体制が、戦乱期の異常な状況を乗り切るための奇形体ではなく、安定を目的とした健全なものであることが人々を驚嘆させた。
「われらが丞相は、かくもわれらのことをお考えくださっていたのか」
ここまでされては否やはない。と言うより、むしろ、ここまで岳垬ひとりにすべてを任せていた自分たちにふがいなさを覚えた旬国の文官や軍人たちは、この後、善政を敷くための努力を惜しまなかったという。
だが、いまはとにかく昆を滅ぼし、旬を央華大陸の主とすることが肝要だった。
「全軍これより敵城塞に総攻撃をしかける。ただし、これは敵を降伏させるための示威を目的とする。これは岳丞相最後の指示であり、朕もこれを是とする。よいな、誓って無用の血は流すなよ。では、全軍出撃準備!」
そう皇帝の命令が飛び、全軍があわただしく準備に入った。
この命令は、勝者の余裕や油断ではない。このような中途半端な命令は敵を利するばかりで害しかないことはわかっているのだが、この状況に至り孟義と岳垬は、あえてこの作戦を取った。
理由は、それだけの力量差があったからだ。
すでに大軍をもって城塞を包囲し、のみならず、城の糧道ばかりか用水路まで押さえている。
これだけ勝因がそろえば、あえて力技で攻略することもない。相手にわずかでも生きたいと思う心と、ほんの少しの理性があれば、最初の攻撃で降ることだろう。すでに降伏すれば生命を保証する旨は告げてある。あるいは、攻撃すら必要ないかもしれない。
実は、孟義も岳垬もこれまでの戦いで何度も昆帝を捕らえようとしたのだが、ことごとく失敗し、ついにここまで来てしまったのだ。岳垬にしてみれば「辞める機会をことごとくつぶされた」ということになるのだが、とにかくここが最終地点であるのは万人の目にも明らかで、だからこそ岳垬も心置きなく出奔したのである。
この戦力差をもってすれば、いまさら策など必要ない。この戦は革命(天命が革まる、つまり王朝などの政治体制が変わること)のための儀式のようなものである。そのことは旬軍だけでなく、城塞にたてこもる昆軍も感じているはずだった。
自らの愛馬に向かいながら孟義はそう思い、そしてわずかに微苦笑した。
「感傷的になってるな。我ながら情けないことだ」
そう思うが、しかし、この想いをあえて打ち消す気にはならない。六年越しの悲願がついに叶うのだ。この程度の感傷は、起らない方がどうかしている。
だがふいに、猛烈な寂寥感が孟義の心を襲った。
「止水……」
そうだった。ほとんど徒手空拳だった自分を助け続けてくれた友人は、いまはもう彼のかたわらにはいない。わかっていたことなのに、いま突然そのことを実感してしまった。
出発点に一緒にいたのだから、終着点にも当然一緒にたどり着くものだとばかり思っていた。ほとんど無意識の内にこの六年間、そう思い続けていたのだ。
だが、そうではなかった。そのことを自覚してしまった孟義は、一瞬その場に立ちつくした。
「どうなさいました、陛下?」
心配気に彼の侍従武官が声をかけてきた。戦乱に巻き込まれて両親を亡くした少年で、焼き尽くされた村で呆然としていたところを孟義が保護したのだ。賢く、よく尽くしてくれるので、孟義は彼をかわいがっていた。
「なんでもない、案ずるな」
そう笑いかけながら孟義は、ふと心づいたことを尋ねてみた。
「この戦が終わったら、おまえはどうする?」
「はい、もしお許しいただけますのなら、このまま陛下にお仕えしとうございます」
「ならん」
思いもかけない皇帝の言葉にハッとする少年だったが、彼の主君は笑って続けた。
「この戦が終わったら、朕はおまえのような子供が学問を修める場所を造るつもりだ。おまえはそこでいろいろなことを学べ。よいな?」
「ですが陛下……」
「勅命(皇帝の命令)だ。誓って守れよ」
それでもなお不満そうな少年に向かって、やさしさにくるんだ皇帝の横暴さを笑って示してから、孟義はさらに付け加えた。
「朕には第二の止水が必要なのだ」
その言葉の意味が、最初少年にはわからなかったが、理解した途端思わず身を震わせた。
「わ、わたしに丞相さまのようになれとおっしゃるのですか?」
「そうだな、あのようになれとは言わぬ。あれは天に諭されたとしか思えぬようなことを思いつき、やってのけてしまえる。だが、それはすべて人に為しえることばかりで、べつに奇蹟を起こしたわけではない。あれのやり方の一部でも学べば、少なくとも有害な人間にはならないのではないか?」
「そ、それでもわたしには無理でございます。それとも陛下は、わたしがほんのわずかでも丞相さまのようになれると、本気でお思いですか?」
「さあ、さすがにそこまでは朕にもわからん。だが、止水はそのようなことを言っていた」
「丞相さまが、でございますか?」
またも思いがけないことを言われて、少年は目を見張った。
「あの男の、人を見る目はなかなかのものだった。少なくとも、内治にかけては自分を越えるものがおまえの中にあると言っていたな」
「…………」
感激のあまり、少年はすでに言葉も出なかった。
そんな侍従武官を微笑ましく眺めながら、孟義は愛馬にまたがった。
「止水も昔からよく学問を修めた。どうだ、止水の歩んできた道を、おまえも歩んでみんか?」
「はい、陛下! 喜んで!」
「現金な奴だ」
笑いながらそう少年をからかうと、孟義は愛馬をゆっくり歩ませ始めた。慌てて少年が後を追う。
「それと、これは命令ではないのだが、ひとつ心しておいてくれ」
「は?なんでございましょう?」
皇帝がただの少年武官にこのような「頼み」に近いことを言うのはめずらしい。だから少年も少し身構えたのだが、皇帝の言葉は意外なものだった。
「友人をつくれ」
「は……?」
「たくさんでなくともよい。おまえがどんな境遇に陥っても、必ずおまえの味方になってくれるような友人を、ひとりでいいからつくってみせろ。そして、おまえ自身が誰かにとって、そういう友人になってみせろ。よいか?」
命令ではない。だが、これこそが敬愛する皇帝が、もっとも自分に望んでいることであると少年は悟った。
「……はい、陛下。全霊をかけて御意に従います」
言葉通り、全霊を込めて頭を下げる少年に、兄のような表情を浮かべてうなずきつつ、孟義はその場を離れ、将軍たちのもとへ向かった。
少年はこの後、晩年の孟義の宰相(首相。ただし丞相より格は下)を務めることとなるが、それはいま語るべきことではない。
この日の太陽が中天に昇る頃、昆軍は降伏した。
これにより、央華大陸において、旬国の歴史が始まることが決定された。その治世は、しかし、わずか三十六年しか続かない。これは旬の悪政の責任ではなく、それ以外の理由があるのだが、いまはまだそれは伏せておこう。
旬初期の二十三年を孟義が治めている。多少の混乱はあれど、善政と称してよい期間だった。次代の皇帝も名君と言ってよい人物で、孟王朝をよく存続させた。
だがその間、初代にして最後の旬国丞相・岳垬の名は、歴史の表舞台には出てこなかった。旬が滅んで百十年後に編纂された旬の正式な歴史書『旬史』の「本紀」(本編)の初期と「功臣伝」の筆頭に名と功績が残るのみである。
だが、その消え去るまでの生き様は庶民の共感を呼び、数多くの戯曲や講談を産みだして、その他多くの央華の英雄とともに、より広い意味で歴史に名を残すこととなった。
そのことについて、旬国初代皇帝は笑って友人の心情を代弁した。
「あいつは無名人として死んでいくのが望みだったからなあ。おれに関わったばかりに気の毒なことだ」
それがまったくの真実であることを、皇帝と元丞相だけが知っていた。