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探偵軍師  作者: 文叔
序章 旬建国
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序章 旬建国 前編

 荒漠とした大地に二つの騎影が見える。ひとつは旅装を整えているようだ。

「ようやく終わりか」

 片方の騎馬にまたがる男が、もう一方の馬にまたがる男に声をかけた。若いながらも奇妙に威厳のある声をしている。

 男の名は孟義もうぎ。孟が姓、義が名、あざな良覚りょうかく。群雄が乱立した央華大陸を統一しつつある、しゅん国の皇帝だった。

 少し離れた場所で野営をする彼の軍隊は、いま、こん国の皇帝がわずかな側近と軍隊をもってたてこもる城塞を包囲していた。

 じつは昆にしろ旬にしろ「皇帝」を名乗ってはいるが、実質は地方群雄のひとつにすぎず、彼らのほかにも自称「皇帝」は幾人もいた。その中で最後まで勝ち残ったのが、彼ら昆皇帝と旬皇帝であり、最終的な勝者に天は旬を選びつつあったのだ。

 旬軍、そのかず十二万。昆の軍隊は敗走につぐ敗走ですでに一万を切っており、いくら城壁の中にたてこもっているとはいえ、軍事上の常識を持ち出すまでもなく敗北はあきらかだった。

 秀麗な眉目と、常に陣頭に立つのにふさわしい体格を持つ旬国初代皇帝は、しかし沈痛な表情をしていた。



「どうしても行くのか」

 孟義はかたわらにいる男にもう一度話しかけた。

 旅支度をしているその男も若い。孟義と同年代に見える。事実、皇帝と男は同年で、しかも幼友達だった。

「まあな」

 だから皇帝に対してこのような言葉づかいで話すのも、あながちおかしくないように思える。

しかし君臣の礼から言えばこれは問題になる。だから二人がこのように話をするのは完全に私的な場所でだけなのだ。

 だがそれも今日で終わる。



 男の名は岳垬(がくきょう)。岳が姓、垬が名、あざな止水しすい。旬国においての官職は丞相じょうしょう(軍事と政治を司る皇帝の全権代理人)。ただし宮廷を取り仕切るだけの政治家ではない。むしろ軍隊を統率する軍師としての顔の方が有名だった。



 孟義と岳垬、この組み合わせは歴史上まれにしか見られないほどの絶妙さだった。

 孟義がそのカリスマ性で民衆を集約し、岳垬がその手腕で実務をつかさどる。ふたりの力は、乱立した群雄をわずか六年でたいらげ、ついにこの日を迎えたのである。

 が、その協調も今日で終わりだった。



「一応これで央華も統一される。おれの役目はここまでさ。これ以上望まれても困る」

「おまえは昔からそうだったな。自分のやることを限定して、それ以上のことは一切やらない。その気になれば央華はおまえのものだったろうに」

 およそ皇帝とは思えない台詞を孟義は口にした。岳垬以外の臣下が主君からこんなことを言われたら、謀反むほんを疑われてるかと疑心暗鬼になるところだが、岳垬はびくともしなかった。

「ああ、まったくだ。でもそうなればこの国におまえの居場所がなくなってたからな。友情に厚いおれとしては、とてもそんな真似はできなかったのさ」

「ありがたいことだ」

 久しぶりの幼友達の毒舌を心地よく思いながら、孟義は岳垬が旬を去ることを止められないと改めて悟った。



「行くあてはあるのか?」

「退官給をずいぶんもらったからな。宛などなくてもなんとかなるさ」

「おまえの功績に比べたら恥ずかしくなるほどの薄俸はくほうだがな」

「充分さ」

 苦笑する友人に岳垬は笑って応えた。実際岳垬にとっては充分な俸給ほうきゅうだった。岳垬が十人いても一生遊んで暮らせるほどの額なのだが、建国の功臣にしては確かに少ないと言える。



「とりあえず央華大陸は出る。その後どうするかは考えてない」

「そうか……」

「それとこれを返しておこう」

 そう言うと、岳垬は腰の短剣をさやごと抜いて孟義に差し出した。

「それは……」

 剣の名は「月魄(げっぱく)(けん)」。実益としては他の名剣に劣るが、歴代の央華皇帝は最大の功臣にこの剣を与えたという歴史を持っており、これをたまわるのは臣下にとって最高の名誉とされていた。

 さらに岳垬自身もこの剣に価値を付け加えている。軍師としての彼はこの剣を振るって万を越える軍隊を指揮し、敵軍を連破したのだ。次にこの剣を下賜かしされる者にはその栄誉も与えられる。

 その栄華のかたまりのような剣を、岳垬は借り物を返すように主君へ差し出したのだ。不敬と取られてもおかしくない態度だが、もちろん彼の主君はそんなことは思いつきもしなかった。ただ黙って受け取る。

 これで孟義と岳垬は完全に主従ではなくなった。そのこと自体は喜ぶべきことなのだが、それは岳垬がこの国にいる資格を無くすということでもあった。専制国家において最高権力者には臣下しかおらず、対等の友人など存在してはならないのだ。



「それじゃあな」

 孟義が、そして自分自身が感傷におちいらないうちに、岳垬は馬首を返して走り出した。

 疾駆しっくし、みるみる小さくなってゆく友人の背に向けて孟義は叫んだ。

止水しすい! なにか困ったことがあれば、いつでもおれを頼れ!必ず力になる!」

 そんな、おそらく人生で最後に聞くであろう友人の声に、岳垬は振り向かず、手を振って応えた。

 岳垬の乗った駿馬しゅんめまたたく間に孟義の視力のおよばない距離に達し、そして消えていった。

 しばらくその場にたたずんでいた孟義だったが、彼もついに馬首を返す。岳垬と正反対の方角に。

 その顔はすでに皇帝のそれとなり、涙を流したかどうかもわからない。彼はこれからもずっとその顔で生きてゆくのだ。


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