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二人の愛読書  作者: 雪川 白
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第二章 奇跡の波動

土曜日はあいにくの灰色の空だった。こわばった表情で本屋の前にたたずむ少年にはしかしながらお似合いなのかもしれない。

「一時間前は早すぎたか……」

 本屋の前を通り過ぎていく、スーツの男性や、カップルを見ると、自分だけが孤独の思え一時間の時間の流れがとても遅く感じた。

「本屋でも見るか」

 この前、部室で愛読書について話したことを思い出した。いつもとは違って見える本屋の風景は新鮮だった。普段は見ない本屋の一面を見ているようだ。

「……あった」

 視覚的には華やかではないが、その本だけがとても目立って見えた。彼女の愛読書に手招きされているようだ。会計を済ませ、本屋を出る。まだ三十分も経過していない。無意識に彼女の顔が浮かんだ。

「初めの言葉、何にしよう」

 ずいぶんと肝心なことを忘れていた。印象は大切だ。定番の「今来たところ」は言葉通りに受け取られる可能性があるし、なにより話題性がない。

「す、すいません! 遅れましたっ」

 遠近のわからない彼女の声が聞こえてきた。思わず、その方向を見る。

出せる言葉も出なかった。水色のスカート、純白の半そでを着た少女が時折吹く風にロングヘアをなびかせながらかけてくる。いよいよ、心臓が持たなくなるのではおと思うくらい、鼓動する。

「遅くないよ、僕の方こそ今来たところ。……楽しみにしてて」

 案外、すんなりと口が動いた。いつもより、体が重く感じる。

「よ、よかったです」

 こう改めてみると、清純でかわいらしい横顔だと再認識できる。

「服、似合ってるよ」

「――! は、早く行きましょう!」

 ふと、ナナは思う。こういうのをすらすら言えるのは、女性慣れしている証なのだろうか。横に並んで歩く彼は一段と、大人に見えた。彼の瞳には何が映っているのだろうか。純白な洋服に灰色の空が落ちた。

 小ぶりの雨のような会話をしながら、カフェの前に来た。

「私、いつもあの席にいるんですよ」

 と、カフェの入り口からカウンターを指さす。そこには、女性が優雅にティーカップを握っている姿が見えた。どこか遠くの自分を眺めているように、感じた。

「なかなか、雰囲気のいいお店だね」

 真央のことを、ナナは言わなかった。今の気持ちと思い出は二人だけの思い出にしたかった。

「じゃあ、入りましょう」

 いつものお店なのに、ここがとても神聖な場所に思えた。

「常連さん、いらっしゃい。あいにく満席なんだ」

 カウンターにナポリタンを出しながら、店主は言う。お昼ごろの土曜日ならこの混み具合も予測できたはずだと落胆した。

「じゃあ、また今度誘ってよ」

「こ。今度……はい」

  店を出ると遠くの空の灰色が気になった。

「時間をつぶすんじゃ、こんな天気じゃ不安だよな。映画館の周辺で昼ご飯食べよう」

「はい、そうしましょう」

 自分から誘ったのに。

「まあ、よくあることだよ、それにこういうところの常連さんって上尾さんさすがだと思う」

 落ちた肩を雪人が持つ。彼の手が、重く感じる。こういうことに慣れてる口ぶりだ。彼にとっては自分も大勢の内の一人にすぎないということだろうか。

「ええ、そうですね」

 無理やり、作り笑いでごまかした。

「ようやく、笑ってくれた」

 彼は安心した口ぶりで笑い返した。

「私、悲しい顔してましたか?」

「ま、まあな」

 雪人は前を見ながらナナに話す。

 短く感じた道を抜けると、いよいよ映画館に着いた。そこに併設されている飲食店で食事をとることにした。この時間なら、どこでも混み具合は同じだ。チェーン店で、ファミレスだから、ムードには欠けるのが残念だった。

 食事を終えても、時間が余ったのでここで時間をつぶすことにした。

「ほんと、すいません……」

「いいって、でも結構雰囲気のいいお店だし、かといって一人で入るのは無理そうだから今度連れて行ってよ。おすすめのメニューとか知りたいし」

 彼はドリンクバーのジュースを口につけた。

「こういうの、慣れてるんですね」

 過去にいるであろう、雪人と楽しい時間を過ごした女性に嫉妬しつつ、嫌みを込めて言葉を吐き出した。

「いや、こういうのは初めてで、上尾さんこそ慣れてる感じが――いや、だんどりとか組むのうまいなって」

 慣れているは失礼だろ、言葉を選べと内側から誰かが訴えてくる。

「初めて、何ですね」

 私が初めて。ナナはうれしく、恥ずかしくなり目線を逸らした。

「飲み物のお替りに行ってくるけど、ついでのどう?」

 彼が立ち上がった時に見えた耳を見て、先ほどの言葉が本当だと確信した。顔には出ないが、耳が真っ赤になっている。

「トマトジュースがあれば、お願いします」

「わかったよ」

 彼のような気配りができる男性がなぜ持てないのか、逆に気になる。

 彼が席を立ってしばらくするとカップルが、席の横を通り過ぎた。私たちもいつか、ああいう風になれたらいいなと、遠目に見える彼の背中を見ながら思う。

 幸せというものも、ましてや愛情などという高貴なものはよくわからないがただ漠然と、幸福というに文字を目標にしている自分がどこかにいた。

「お待たせ、トマトがなかったから、野菜ジュースでよかったかな」

「いえ、大丈夫です」

 彼の体温がまだ、コップに残っている。


 ――「ありがとうございました」、と上映会の時間が迫り、レストランを出る。

「さむっ」

 若干気温の下がったお昼すぎに肌が痛む。

「寒いな」

 同情を込めてか、レシートを財布にしまいつつ彼が言う。二人は館内に入ることにした。

 冷えた腕を組んだり、こすったりしても摩擦熱はすぐに空気に溶けてしまう。おなかが冷えてトイレにこもるなどというのはごめんだ。しかたなく、胸の下部とおなかの間で腕を組む。体のラインがしっかりと浮き出て恥ずかしい。

「おなか痛いの?」

「いえ、違うんですが」

 彼は分別のある人だ。自分を、『そういう目』で見ない。ただ鈍感なのかもしれないが。

 時間がたつにつれて、人が増え、熱気が漂う。イベントにはそれほど参加したことがないナナにとっては、新鮮だった。スピーカーから時刻を知らせる自動音声が流れてきた。

「飲み物、買ってきましょうか」

「確かに、逆に熱くなってきたな」

 注文を聞いて、列に並ぶ。どうやら、上映会に参加する人にはチュロスが無料でついてくるらしい。思わぬ誤算だ。

「いらっしゃいませ、ご注文をどうぞ」

――おまたせしました、と遠くから震える声が聞こえた。

「――⁉」

 両手にドリンクを。谷間にチュロスを……は、予想外すぎた。

「熱いので早く取ってください……」

「――はっ、そうだな、すまん」

 一瞬でも、いいものを見たと思ってしまった自分を殴りたい。しかしながら、思わぬ誤算だ。とはいいつつ、チュロスは食べにくい。


――上映会は、どちらかといえばフリートークに近かった。映画は冒頭三十分ほどの上映で、そのあとは、制作の裏側や、主題歌を歌う歌手の人らが、スクリーンの下、ステージになっている部分に上がって、時々参加者に相槌を求める。そんな流れで上映会は終わりを告げた。

「――というわけで! お次は映画本編でお会いしましょうっ!」

 主役の俳優が、締めくくると薄暗かった会場が明るくなる。

「おもしろかった……ですね」

 ナナは雪人の顔色を気にしながら、彼の隣を歩く。

「ああ、おもしろかったな」

 お互い、意味もなく笑い合った。

 映画館の前で、写真を一枚とり、待ち合わせをした本屋まで歩き始める。

「お礼とか言って、なんか、すいません」

「いや、十分だよ、今日はありがとうな」

 気づけば、太陽も空を赤く染め上げていた。

「それじゃあ――」

 彼の背中を見ると、言葉が詰まる。

「じゃあ、月曜日な」

「はい、また」

 会えただけで満足していた自分はどこへ消えたのだろうか。今日のような、特別な出会いをナナは求めている。


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