断章 心の代弁者
翌日は昼頃から小ぶりの雨が音もなくしとしとと降り続いていた。
「明日かぁ」
肌にまとわりつくような湿度の中で読書は捗らないと、ナナは部屋の中をうろうろする。一人だからと乱雑な制服の着方をしても、いやな空気は体と服の隙間から一向に出ていかない。
「なんだか、明日のことを考えるだけで、疲れる……」
昨日は部活を休んでしまったわけだし、部活には今日は参加しなくてはいけない。
別に雪人に会うのが嫌というわけでもない。だが、変に意識すると体がこわばって疲れる。
とは、言ってもそんなことばかり考えても仕方がない。彼が来るのはまだかと、さみしい思いに身を寄せているうちに、いつの間にか深い眠りについてしまった。
――ナナ。
遠くの方から何度も自分の名前がした。しかもその声はずっと聴いていたいほど暖かい。
「んっ……ぅん」
ぼんやりとした視界。いつの間にかに眠ってしまったことに気づいた。
「はっ、すいません、いつの間にかに寝てて」
自分の環境が変化しすぎたせいか、どうも最近は疲れてしまう。窓側から差し込む太陽光に目を細める。光よりも輝いて見える雪人の背中が、異質のもののように目立って見えた。
「ナナ、制服はきたかい」
質問の意味がよくわからなかった。制服を着ていないなんてことはない。彼の言っている言葉が理解できたのはナナが立ち上がった時の妙な涼しさだった。
シャツは少なくとも第三ボタンまで外れ、スカートの裾は太ももまでめくれあがっていた。
「――ごめんなさいっ!」
慌ててスカートを直し、ボタンを留める。破廉恥な女だと軽蔑されたに違いない。今も、背中を向けているのは笑いをこらえているからだ。そう思うと恥ずかしさより、絶望感が心を満たし、自然と涙があふれてくる。
カツン、と乾いた音にその涙が引っ込む。雪人がドアの方へ向かっている。やはり、そうだ。今にも、部活をやめる、などというのではないか。
「ま、待って……待ってください!」
思わず、反射的に彼の背中にしがみついた。
「うわっ、どうした」
「違うんです! あれは部屋で一人でムシムシしてて、別にあんな格好で別に誘ってたとかそういうわけじゃなくて、そんな女とは思わないでください!」
「うん、別に思ってないけど、というか、僕は開けっ放しにしてきたドアを閉めようと思ってたんだけど」
あっ気ない返事。振り向いた彼の顔には困惑の表情しかない。彼を抱きしめている腕の力が抜け落ちる。
「あと、メガネ落ちてた。レンズわれたら大変だよ」
「あ、ありがとうございます」
震えた手でメガネをかけた。彼の顔が、はっきりと映った。けれども、肝心の彼の心境ははっきりと見えてこない。
天候も気分も晴れてきてナナは読みかけの本を再び開く。
「そういえば、上尾さんの愛読書はどんな本なの?」
彼女の愛している本は、どんな本なのだろう。
「私の愛読書はこれですっ」
本の話になると、彼女の表情は明るくなる。ナナは、今読んでいる本の中表紙を彼に見せる。
自分で見せているにも関わらず、彼の視線を浴びている本に嫉妬してしまった。
「今度読んでみようかな」
「雪人くんの愛読書は何ですか?」
ナナも、彼の愛している本はどんなのだろう。少しでも相手のことは知りたい。
「僕のはシリーズものなんだけど。今読んでいる奴の三巻目だよ。いまは四巻目なんだ」
雪人は、表紙を見せる。題名の下に大きく、かわいらしい、スタイルの良い女の子のイラスが描かれている。
「雪人も男の子ですもんね」
「純文学のパロディのような話なんだよね。別にそういう話じゃないよ」
彼は、補足的な説明だったが彼女にとっては頭の中を見透かされたように思い、顔を赤らめた。本の活字に目を落とすが、内容が頭から抜け落ちる。
「ごめん、読書に集中できないよね。時間もきりがいいし、早めだけど解散しようか」




