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二人の愛読書  作者: 雪川 白
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第四章 「大丈夫」の根拠

朝起きて、ナナの目に留まったのは自分が昨日けった壁だった。がっつり、ひびが入っている。昔から怒ると怖いと言われているが年齢が増すにつれて力が増え、被害が増加している。人を傷つけることはないが、ものに当たる分、よく物を壊す。

「またやっちゃった」

 もやもやではなく、イライラしている。しかも具体的な対象は自分である。自分が何をしていいかわからないことにイライラしているのだ。身支度と気分を上げるために洗面所に向かう。

「七転び八起きのナナ、なんだから、起き上がらないと!」

 洗面所の鏡に映る、不愛想な少女にナナは叫んだ。

 ――放課後になり、ナナは一足先に部室へ向かう。ドアノブに手をかけると静電気が体に走った。この季節には珍しい。

「一人の部室は、なんだっけ、寂しいな」

 いつもなら狭い、暑いと思っている部室が、とても広く感じた。

「先に来てたのか」

「あ、はい」

 いつも通りの放課後。机に本を広げ、ゆったりと風を浴びながら二人の時間は過ぎていく。

「あ、やべ、忘れた」

 カバンをあさっている雪人が悔しそうにつぶやく。

「どうしたんですか」

「この前買った本、家に忘れちゃって」

 カバンを閉め、不都合な暇な時間をどう埋めるかを雪人は考えた。

「私の、よければ、どうぞ」

「え、いいの?」

 差し出された本を丁寧に受け取る。

「ありがと……」

 自分が持っている本と同じもののはずが、手に取ると別物に感じられた。

「あ、コーヒーでもどうですか? 落ち着きますよ」

 カバンから缶コーヒーを二本取り出すと、片方を彼に渡した。

「ありがと」

「いえっ」

 柔らかく微笑むナナを見ていると、普段慣れないコーヒーの味も、柔らかい味に思えた。

 しばらく、雪人は彼女から借りた本を丁寧に読んでいた。

「私、このヒロインの気持ち、よくわかるんです」

 前触れなく、彼女が切り出した。

「整理のつかない気持ちでいっぱいなのにそれが怖くて外に出せない心境とか」

「結構、登場人物に感情移入する方なんだ、上尾さんは」

「まあ、はい」

 この前のように、登場人物を盾にして自分の感情を伝える。

「確かに、僕にもわかるかもしれない」

「そうなんですか?」

 雪人がコーヒーに口をつける。ナナもつられて口をつけた。

「あっと」

 勢い余って、コーヒーが胸元を黒く染めてしまった。

「コーヒーのシミって、落ちにくいんですよ、動かないでください、今拭きますから」

 机越しに、ナナは前かがみになってシミのできた首元に手を伸ばす。手に持っている水色のハンカチよりも柔らかそうな手に思わず、息を止める。目線を落とすと、机にどっしりと置かれているスイカのような胸に思わず、赤面する。と同時に、ちょっとした罪悪感が芽生えた。

「いや、いいよ」

 思い切って、伸びかかった手をはじいた。

 はじかれた手がコーヒーの持つ手にぶつかり、本を真っ黒に染め上げた。

「あ……」

 瞬間の出来事が、やけに長い時間をかけて怒ったように、雪人は感じた。

 慌てて、ナナの方を見る。涙目で、こちらをにらんでいる。

「私、帰ります……」

 コーヒーまみれの本を彼の手から奪うと、一言も発せずに、部室から姿を消した。

「しまった……」

 一人、無音の部屋で雪人は机に伏せた。


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