新米騎士の職場事情
「そっか、先輩、またどっか行っちゃったんですね」
ある国の辺境の町の領主館で、まだ新米の護衛騎士であるエルフの青年は呟く。
文官である貴族の青年の報告を領主と共に聞いていたのだが、口がすべったようだ。
「ファル!。領主様の前でなんという口のきき方だ!」
ここは執務室。領主であるシャルネが仕事をする部屋である。
「はーい」
まったく反省の色が見えない青年エルフのファルを、領主の仕事を手伝う文官が睨む。口では強く言っているが、文官もエルフにはそんなことは通用しないことは知っている。森の民であるエルフには、人族の、その貴族だの領主だのはあまりピンとこないらしいのだ。
「うふふ、ファル。ここではかまわないですけど、人前ではもう少し気をつけてね」
シャルネはまだ若い人族の女性である。このエルフに限らず、大抵の者には彼と同じような態度をとられる。それどころか、父であり、この国の国王のいる王宮の中でさえ、彼女は無視をされたり、蔑まれることも多かった。
国王の愛人であった彼女の母親は、「剣聖」と呼ばれる武人の娘ではあったが、平民だったからだ。
「あー、うん。いえ、はい!。すいません、シャルネ様」
護衛騎士は深く頭を下げる。ファルのいいところは実に素直なところだ。そんな彼だから、文官の青年も彼に注意はするが、嫌っているわけではなかった。
「まあでも、ギードさんとタミリアさんなら心配いらないでしょう」
ファルの露店仲間で商人エルフの先輩であるギードは、国から実力者と認められた最初のエルフである。
「はい、先輩、あ、いえ。ギード様なら、またきっとすごいお土産を持って帰ってきます!」
きらきらした瞳で誇らしげに返事をする新米騎士に、文官と女性領主は顔を見合わせる。
(いや、これ以上やっかいごとを持って帰られたら困るんだけど)
先日、あの腹黒エルフはドラゴンと親密になって帰ってきた。
おかげでこの町は今、ドラゴンとの戦闘にも耐えうる闘技場の建設が進んでいる。
いつもなら静かな辺境の田舎町が、かなりの人で溢れている状態なのである。
(だめだなあ。王都と違って、どうしても気が緩んじゃう)
ファルは、領主館の中の使用人用の部屋に住んでいる。
夜の護衛は女性が付く為、ファルは夕食後は自室に戻っていた。
「王都の軍にいたころはちゃんと言葉遣いにも気をつけてたのに」
彼は成人の儀で森を離れ、この町でギードと出会った。彼に助けられ、ファルは商人としてやっていけるようになった。
だが、商人としての力の違いを見せつけられた。
(これは無理かも)
そんな風に思い始めた彼は、違う道へ舵を切る。
(うん、まだまだ時間はある。焦って森へ帰る必要もないんだし)
そして力試しのために、王都での軍兵の募集試験を受け、無事に採用されたのである。
そして軍務に就いて、訓練と警備の仕事に明け暮れていた彼に、ある日移動の知らせが来た。
「え?、これって」
始まりの町領主、シャルネの護衛。これはある意味、微妙な職だった。
「ふん、あんな小娘を護衛など」
貴族の出身の者には評判が悪い。
「いいなあ。あそこってエルフがいっぱいいるんでしょう」
しかし、平民の兵達にとってはあこがれの職だった。
「あのー、これって左遷なんでしょうか」
ファルは直接上官に聞いてみる。彼はどこまでも真面目で一直線なところがある。自分がどこかでやらかしていた可能性が捨てきれず、ファルは冷や汗を流していた。
エルフとは魂で感じ取る、感情の素直な生き物なのだ。
「あ、いや。そういうわけではないんだが」
上官も、努力家で種族に拘らず、誰からも愛される彼を手放したくはなかったそうだ。
「兵士としては出世だ。俺も反対出来なくてな。すまん」
一般の兵士は王族の護衛にはなれない。そのためにファルは、騎士に格上げされた。まあ、頭に「見習い」が付くのだが。
ファルはギードの意志を継いで、休日は出来るだけ若いエルフ達の相談に乗っている。
「それで、えーっと、何故あなたが?」
今、ファルの目の前には、森のエルフの最長老の娘がいる。
「ここで相談に乗ってもらえると聞いて」
ギードが店主を勤めていた店は、彼が不在な今でも若いエルフ達の集まる場所になっている。
彼女、ネイミは以前王都の王宮の中で、弓兵のひとりとして軍に勤めていたが、後に第二王子の恋人になった。
しかし王子は取り返しのつかない事件を起こし、そして結果的に今、彼女は森に帰され、王子は王宮内に軟禁状態であるという。
「あの、僕には何も出来ませんが」
ネイミは俯かせていた顔をあげ、膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめる。
「そんなことはありません。あなたでなければ出来ないことなのです、お願いします」
え、っと驚いた顔になるファルに、切羽詰まった美しいエルフの娘が迫る。
「あの領主館で働かせてもらえませんか?」
ファルは唖然としていた。
森に戻ってきたネイミは、当然他のエルフの好奇の目に晒されていた。それでも彼女は最長老の娘であるし、元は王国軍兵士。弓の腕も確かである。大人しく森で過ごしている分にはやがては噂も消えるであろうと思われていた。
しかし、事あるごとに彼女はギードを追いかけ回し、何とか王宮にいる愛しい王子に会えるように力を貸して欲しいと訴えていた。
「事情はお察ししますが、でも何故、領主館に?」
「ご領主様は国王のただひとりの姫。何とか伝手が欲しいのです」
あー、この方はまだ諦めていないのだなとファルは溜め息を吐く。
「ギード様には断られましたけど」
横を向くネイミには、明らかにギードに対する怒りというか、恨みが見えた気がして、ファルはぞっとした。
「それなら尚更ですよ」
ファルはギードを先輩として尊敬している。
最近は腹黒などと言われているが、ギードはギードなりに最善の手を打っているに過ぎないと思う。
あのドラゴンの分身体討伐の時、絶対に無理はしない、安全第一と言っていた。
『自分は軍人じゃないからね』
そう言って、商人である彼は、家族や自分の周りの皆を守り、そして、最後までドラゴンに対する敬意も払っていた。
「ギード先輩からあなたのことは聞いています」
「彼は何と?」
ネイミは恐る恐るファルの顔を見る。
「出来るだけ関わるなと」
彼女の顔がこわばる。
そして、あの恨みがましい顔になる。
「……分かりました。もうあなたにはお願いしません」
失礼します、と立ち上がる。
周りの若いエルフ達は、王子も愛したこの女性エルフの気品あふれる美しさに目を奪われている。悲しげな彼女の表情に、ファルを攻めるエルフまで出る始末だ。
ファルは苦笑いを浮かべるしかなかった。
翌日、ファルはいつもどおり護衛の仕事をしていた。
朝食後から夕食前までが担当の勤務時間である。護衛は他にもダークエルフの傭兵隊がおり、休憩時間は彼らに任せることも出来る。
「昨日の非番はお楽しみだったようね」
護衛の先輩である女性エルフのフーニャに声をかけられた。
彼女は領主であるシャルネが王宮にいた頃から、友人として接しながら護衛を勤めている。
もう一人いた女性騎士の護衛が解雇となり、その代わりにファルが軍から引き抜かれたのだ。
「お楽しみって、あー、女性エルフの相談に乗ってただけですよ」
ふうん、とフーニャの悪戯な瞳が輝く。
「随分と女泣かせなんですってねー」
どうやらそんな噂が広まっているようだ。いつもながらこの女性は耳が早い、とファルはげんなりした。
「フーニャさんも知ってるでしょ。ネイミさんですよ、相手は」
ギードからも話を聞いているし、傭兵たちも王子と彼女にはあまりいい感情を持っていない。
「恋する乙女、ですもんねえ」
やっかいよねー、とフーニャもげんなりとした顔になる。
「あら、ファルのところに行ったの?。彼女」
机で仕事をしていたシャルネが顔を上げる。今、この執務室にはこの三人しかいない。
「あ、はい。昨日、先輩の店にいたら話かけられました」
普段は森から出ないはずなので、やはりファルに会いに来たのだろうと思われる。
シャルネは少し考えた後、ひとつの手紙を取り出す。
「実は手紙を預かっているのよ。ギードさんから」
ネイミに関することだが、対応はシャルネに託されていた。直接シャルネに会いに来るとギードは予想していたらしい。諦めの悪そうなネイミがいつかシャルネに迷惑をかける気がして、身内であるギードも放っておけなかったのだろう。
何だか嫌な予感がして、フーニャとファルは顔を見合わせる。
後日、領主館にネイミが呼ばれた。
満面の笑みを浮かべ、意気揚々と現れた女性エルフはシャルネの前で恭しく頭を下げている。
そしてその場には、シャルネやファル達護衛の他に、この館に保護されている者達が同席していた。
顔を上げて、その勇者夫婦を見たネイミは困惑げな顔になる。
「あ、あの」
「あなたさえ良ければこの館で働きませんか」
ネイミが返事をしようとするが、シャルネはたたみかけるように話し続ける。
「ここにいるご夫婦のお世話と、もうじきお産まれになる赤ちゃんのお世話をお願いします」
紹介された勇者サンダナに扮しているガンコナーが立ち上がる。
「こんなにお美しいエルフのお嬢さんに手を貸していただけるとは。我らも、我らの子も幸せ者だ」
ガンコナーの素性を知っている全員がげんなりとした顔になる。
明らかにおかしな周りの雰囲気を感じ取り、ネイミは嫌な予感を覚えるが、すでに遅かった。
(ギドちゃんも考えたわね。ガンコナーに彼女を任せるなんて)
フーニャは、女性に対しては百戦錬磨の妖精ガンコナーを見る。
楽しげに笑う色男妖精と対照的に不安そうな女性エルフ。
ファルは溜め息を吐く。
まだまだこの町の波乱は始まったばかりのようであった。
〜完〜