リンドウは花開かず、ただ木目渦巻く天井を眺めていた。
コンコンコン。
木の扉を叩く乾いた音が響き、呼び鈴のない安下宿への来訪者の存在を伝える。
レトロという言葉さえ忘れてしまった染みと傷だらけの出入り口の隙間から、息を呑むような鮮やかさが飛び込んできた。
彼女の手にはリンドウの花。
浅い藍色の衣を几帳面に纏ったその花はオレンジの小ぶりなユリを従え、背筋をすくと伸ばしていた。そして身を固く結んだまま、言われもしないのに、頑なにじっと上を見つめていた。大学から歩いて五分の、風呂なし月1万と八千円の下宿の天井には、奇妙な木目が渦巻いているだけだというのに。
花束を手にうつむき加減の彼女はスカート姿だった。それまでに、一度も見たことがなかった。
なんでやの?
なんとなく、です。
そんな貴重な時間だったというのに、何を話したのか、何を食べたのか。記憶の襞に、何も刻み残さなかった自分の愚かさを恨む。だが、恐らく大学での出来事などたわいのない話をして、近くのスーパーに買い出しに出かけ、豚キムチなんかを作ったはずだ。
扇情的な香ばしさを奏でるフライパンを前に、最後の醤油が決め手なんやで、そうなんですか、などと、その身を縮らせた三段バラ肉の脂身とは裏腹な、すがすがしく、まことにもって清らかな時間であったことだけは断言しておこう。
ただ、一枚の写真が残っている。
彼女の眉がうっすらと躊躇いを語っているのに構わず、そのころ流行っていた使い捨てのフィルムカメラのファインダーを覗いた。彼女はくいとあごを引き、さりげなく片脚を引き、花束を手に立った。カチリ、と軽薄な音を残して、生成りのロングスカートが35ミリのフィルムに焼き付けられた。
彼女の手の中でリンドウはただ青く、静かに佇んでいた。
その後、リンドウは一向に花開かず、だた、ひたすらに木目渦巻く天井を眺めていた。スノコと端材で作られた粗雑なテーブルに置かれたガラスのコップに佇む、薄青色の衣の裾すら緩めない姿を、ただ愛おしく眺め続けた。
二十代初頭の秋だった。
リンドウの花言葉は
正義 誠実 貞節 淋しい愛情 そして あなたの悲しみに寄り添う