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相対する鏡界世界  作者: 巫ホタル
8/13

【第七章】ー後悔ー

三元帥からの指令で鏡界を訪れた波木秋透なみきあきとと、明峰秀静あけみねしゅうせい天野宮詩帆あまのみやしほ紅月悠こうづきはるか一色和真いっしきかずまの一行。

予期せぬ激戦に負傷した詩帆と悠はやむなく戦線を離脱。

基地へと帰投したその後の二人は___。

 室内に機械音が響く。

 目の前には見慣れない、半円中状の物体を横に倒したような透明なケース。

 多くの機械に囲まれたそのケースの中に、詩帆しほは横たわっていた。

 薄手の布に包まれ、静かに寝息を立てている。

 一見穏やかに見えるその寝顔。

 しかし、布から片手だけ出された細く白い腕にはいくつもの管が付いている。

 口元には酸素マスク。

 眠る詩帆の身体には包帯はおろか、傷跡一つ見られない。

 それはコネクター特有の自己治癒能力の高さ故にだ。

 それでも、内部まではまだ完治していない。

 それ程までに、詩帆の傷は重傷だったのだ。

 目を開かない詩帆の傍ら、ケース越しにはるかは傍に居た。

 軍服ではなく、訓練着を身に纏って。

 視線は詩帆に向いている。

 恐らく微かな動きにもすぐに気付けるだろう。

 けれど、心はここになかった。

 あの死地での調査任務から、早くも一ヶ月が経とうとしている。

 その間詩帆が目を覚ます事はなく、鏡界に残してきた秋透あきと秀静しゅうせい和真かずまが帰投する事もなかった。

 そして悠の心は、次第に閉ざされていった。

 この一ヶ月、悠は会話と言える会話を誰とも交わしていない。

 悠の実父・時和ときわやフロントの千里せんりを始め、多くの知人から”お慰めの言葉”を掛けられたが、悠には届いていなかった。

 固く心を閉ざした悠には、届かなかった。

 瞳を閉ざしたままの詩帆の姿を見る度、悠の脳裏には一ヶ月前の出来事が鮮明に映し出された。

 その記憶は、悠を責めるだけのものであったが……。


 * * *


 ーー一ヶ月前。

 詩帆を連れて、悠は三人を残して基地へと帰投した。

 出頭して間もなく、それも片方は重傷、もう片方は瀕死の状態での帰投は、フロントの千里はおろか、三元帥までもを大いに驚かせたのだという。

「悠様、詩帆様!! 一体何が……っ!?」

「良いから早く医療班に要請を出してくれ!!」

「はっ、はい!」

 慌てふためく千里に一喝すると、悠は立ち上がろうと試みた。

 しかし、足に力が入らない。

 急いで詩帆を技術・治療室まで運ぼうとするのに、身体はもう限界だった。

 すぐに医療班が来て、応急処置を始める。

「第一班は紅月こうづき少佐を、第二班は天野宮あまのみや中尉を! お二人とも重傷だ!!」

 医療班は基本サポーターによる組織だ。

 地下三階まである訓練場の更に下。

 地下四階にある技術・治療室を主な活動拠点としている。

 長年軍の治療師をしている者達を集めた第一・二班の治療師達でも、悠と詩帆の全身の傷を見て息を飲んだ。

「紅月少佐、多数の粉砕骨折っ。頭部損傷と全身をかなり強く強打している模様。全身打撲による臓器損傷の可能性あり。骨の接続と臓器回復が最優先かと思われます!」

「天野宮中尉、胸部を貫かれています。出血が酷い為、早急な輸血が必要かと。内蔵破裂に伴い、《安置ケース》の使用許可を!」

 そんな重傷を目の当たりにしてもなお、冷静な治療が出来るのは見事である。

 視界がボヤけ、意識が朦朧とする悠。

 もう声も出せない、自由に動かせない身体。

 何処に詩帆が居るのかも、見えないけれど……。

(死なないで…詩帆ちゃん……)

 口元だけが微かに動いた。

 しかし、悠の言葉は声にならない。

 少しずつ意識が遠退いていく。

 全身の感覚がなくなっていく。

 痛みも、薄れていく。

 そして悠は、意識を手放した……。


 * * *


 次に目を覚ました時、悠は自室のベッドの上に居た。

 身体中に包帯が巻かれていたが、既に傷はない。

 あれ程の傷が完治している。

 一体どれだけの日数が経ったのだろうか。

 手首には針が刺さっており、繋がれた管の中を少量の液体が流れている。

 針を引き抜きベッドを出ると、悠は身なりも整えぬまま部屋を飛び出した。

 向かったのはフロント。

 意識が途切れる直前、”《安置ケース》”という言葉が聞こえた。

 それがあるのは技術・治療室だから、恐らく詩帆は自室には居ない。

 となれば、確認できるのはフロントだけだ。

 そしてフロントに着くと、千里に詩帆の所在を尋ねた。

 薄着な上乱れた装いの悠に動揺しつつも、千里は悠が眠っている間の事を答えた。

 悠は五日程眠っていた事。

 未だ詩帆は昏睡状態にある事。

 三人の帰投はまだである事。

 その足で、悠は詩帆の下へと走ったのだった。




 ーーそして、それから一ヶ月。

 詩帆が眠る《安置ケース》に触れ、暫く詩帆の表情を見た後、

「……ごめんな…詩帆……」

 とだけ呟くと、悠は技術・治療室を後にした。

 フロントに向かい、訓練場の利用申請をすると、悠はそのまま訓練場へと足を進めた。

「……悠様、最近いつ拝見しても訓練場にいらっしゃいますよね」

 それは丁度フロントに居合わせた朱羽しゅうの言葉だった。

 また、朱羽の隣に居る少女も口を開く。

「昨日三回見掛けたけど、三回とも訓練場にいらしたよ。それも同じ場所」

 その少女は並んで立つ朱羽にも劣らぬ、整った顔立ちをしていた。

 物珍しい薄紫色の、ハーフアップに束ねた髪。

 長めの前髪の間から覗く、一見気だるげに見える、それでいて真っ直ぐな瞳。

 詩帆や朱羽とはまた別の印象を与える美少女だ。

 少女の言葉に頷きキーボードを操作すると、画面を見たまま千里が言う。

美怜みれさんの仰る通り、悠様は昨日、長時間同じ訓練場をご利用なされています。……というか、ここ一ヶ月毎日ですが……」

「毎日、何時間も……。それは…やはり……」

 朱羽の言わんとしている事は、その場に居た二人とも分かっていた。

 悠は一ヶ月前の事件を悔いているのだ。

 詩帆を守れなかった、仲間を死地に残してきてしまった事を。

 そしてそれを、回りの者達全員が感じ取っていた。

 訓練場に向かい歩く悠の背中を見詰めたまま、それ以上は誰も口を開かなかった。


 * * *


 室内をビープスが埋め尽くしている。

 広い訓練場の床が見えない程の、大量のビープスのホログラム体。

 その中央には、悠が居た。

 両手には日本刀を一本ずつ提げている。

 柄を鎖で繋がれた二刀。悠の《力》、《離遠りえん》だ。

 悠は剣術、体術、呪術、呪符を巧みに使い分ける。

 現在も襲い来るホログラム軍を同時に凌ぎつつ、《離遠》による攻撃を繰り出している。

 しかし、今行われている訓練方法は、通常複数人で行う類いのものだ。

 一体のホログラムを倒すと、二体が新たに出現する設定。

 そしてそれを二十五分間、休憩も挟まずに続ける。

 無茶な訓練である事は明らかだった。

 悠はこの一ヶ月間、自室と訓練場と、詩帆の居る技術・治療室を巡回するだけの生活を送っていた。

 食事もろくに喉を通らず、眠っても悪夢を見るだけ。

 そんな状態が続き、ついにはろくな休息も取らないようになっていた。

 それこそ回りに心配されるような生活をしていたのだ。

 目の前のビープスを斬り伏せると、タイミング良く演習終了のアラームが鳴った。

 同時に全てのホログラム体が消え去り、訓練場内は一気に静まり返った。

 《武器化》を解き、崩れるようにして床に倒れ込む悠。

 汗が全身を流れ、呼吸も乱れていた。

 三分程経ち、ようやく動けるようになった所で、タオルとともに置いてあった端末機が振動した。通話のようだ。

 歩み寄り、拾い上げると耳に当てる。

 相手が技術・治療室からだという事は拾い上げた時に分かっていた。

 そして、今現在でそこから掛かってくる内容は大体決まっている。

「もしもし。詩帆に何かありましたか?」

「ーーーーー!!」

「……え?」

 一瞬、悠は耳を疑ったっが、聞き間違いではない。

 詩帆が目を覚ましたのだという。

 悠は端末機を握り締め一目散に走った。

 目的地は勿論、技術・治療室だ。

 エレベーターに乗り込み、階を下りる。

 扉を勢い良く開き室内に入ると、閉ざされていた《安置ケース》の蓋が開き、ベッドの上に詩帆が腰掛けていた。

 詩帆は悠の姿を見ると、目を見開いた。

「ハルちゃん……」

「……っ」

 悠は詩帆に駆け寄ると、思い切り抱き締めた。

 両腕で力一杯抱き締めて、嗚咽を漏らした。

 詩帆は突然の事に驚いて目を丸くしたが、次いで柔らかく微笑んだ。

「心配掛けてごめんなさい、ハルちゃん」

 久々に聞いた、詩帆の声。

 その声に、悠の頬を大粒の涙が濡らした。

「ごめんっ! 詩帆ちゃんを守るって…誓ったのに……っ。結局僕は…また……っ」

 恐怖。

 後悔。

 自責。

 今まで押し殺していた感情が、悠の中から溢れ出した。

 詩帆は悠を抱き締め返し、言った。

「ハルちゃんは、ちゃんと守ってくれたじゃない。私を、助けてくれた……。ありがとう、ハルちゃん。ハルちゃんが無事で良かった……」

 いつの間にか、詩帆の頬も濡れていた。

 それでも、悠に精一杯の笑顔を向けて、

「ただいま、ハルちゃん」

 その一言に、悠は瞳を波打たせた。

 そして、

「おかえり、詩帆ちゃん」

 悠は一ヶ月振りに、笑みを溢した。


 * * *


 暫くして落ち着きを取り戻した悠と詩帆は、隣室ーー技術・治療室室長・三吉羽取みよしはとりの執務室へと向かった。

 入り口を潜ると、正面は何故か真っ白だった。

 白い壁。

 その正体が紙山だという事は、二人ともすぐに分かった。

 紙山を避けどうにか室内に入ると、横長の机が見える。

 しかし、机もやはり紙山で埋もれていた。

 唯一空いている中央には一人の男性が座っている。

 一見二十代前半といった風貌の、しかしれっきとした《軍十家ぐんとうけ》の一対、三吉家のコネクターである。

 青味掛かった長髪を首の後ろで一つに束ね、羽って変わって顔の両脇には無造作な髪が流れている。

 左右色の異なる瞳を隠す為らしいだて眼鏡は、彼の何処と無く胡散臭い雰囲気を助長させた。

「おや、悠様。早かったですね。詩帆様も大分顔色が良くなられて、何よりです」

 羽取は二人に気づくと顔を上げ、にこやかに挨拶をしてきた。

「一ヶ月の間ありがとうございました、羽取」

「いえいえ。それが我々の役目ですからね」

「……所で羽取? いつにも増して室内が荒れているけど、どうしたの?」

 話を切り替えるように悠が口を挟むと、不意に羽取の表情に真剣味が帯びた。

 眼鏡越しに見える瞳が鋭くなり、身に纏う雰囲気も一変する。

 天才科学者にして医療師の覇気だ。

「……詩帆様の治療結果に、少しばかりおかしなものが混ざってましてね」

「おかしなもの……?」

「ええ。……今回、詩帆様の回復が異様なまでに遅かったとは、思いません?」

 確かにそうだ。

 コネクターは人間と比べてかなり再生能力が高い。

 超速再生は《捕食型》のコネクターの特性だが、稀に出る、詩帆や秋透のような《憑依型》のコネクターでもかなりの回復力を有している。

 その為、軍でのコネクター昏睡率はかなり低い。

 だからこそ、おかしい。

 《安置ケース》を使用していたにも関わらず、詩帆は一ヶ月の昏睡に陥った。

 治癒能力が低下した訳ではない。

 医療班も手を尽くした。

 ならば原因は何か。

 現時点で考えられる理由は、一つ。

「あの気味の悪い武器のせいか……」

「報告にあった《神記じんき》とかいうやつですね。まだ可能性の段階ですが、その武器に何らかの特殊効果があると考えれば辻褄が合う訳なんですねぇ」

 そう言いながら、羽取は一枚の紙を二人に見せた。

 白の紙一面が黒くなる程、大量の文字列が並んでいる。

 悠と詩帆は首を傾げながら、羽取に問う。

「これは?」

「詩帆様の治療報告プラス、検査結果です。で、何か書いてあるでしょう?」

 悠は紙面に視線を走らせ、羽取の言う”何か”を探した。

 そして目にしたものは、

「”未知のウイルス発見”……?」

「そう。間違いなく、未知のウイルス」

「取り除けたのか?」

「そりゃ勿論。我が軍の姫君たる詩帆様に何かあったらマズいですからね」

「そうか……」

 内心で胸を撫で下ろし、ホッ、と息を吐いた悠。

 そんな悠を、羽取は微笑ましげにーー言い換えればニヤニヤと眺めていた。

「現在ラボを上げてウイルス解明に努めてますよ」

「ラボ?」

「研究所の事です」

「ああ、成る程」

 詩帆が納得顔で頷いている。

「まぁ、何か分かれば随時お伝えしますよ。今日はお二人とももう休んだ方が良いでしょう。まだ万全とは言えませんからね」

 そう言われ、悠と詩帆は揃って退出した。

 心なしか詩帆の足取りが遅いと気付いた悠。

 足を止めずに隣を見遣ると、暗い面持ちで俯く詩帆の姿が目に映る。

「……ハルちゃん」

 突然の声掛けに、少し驚いてしまった。

 強張っていたであろう悠の顔を見上げ、詩帆は軽く苦笑した。

 しかし、すぐにまた俯く。

「……三人は…やはり……?」

 ”まだ帰っていないんですか?”

 その言葉は、言わずとも分かった。

 当然の質問だから。

 けれど、とても答えづらい、問い。

 この時悠の脳裏には、過去の出来事がフラッシュバックのように映っていた。

 詩帆が、泣き叫ぶ光景。

 悠が強さを求めた、理由とも言える出来事。

 不安が表情に現れていたのかもしれない。

 悲しげな、心配げな視線が詩帆から注がれていた。

「……分かり切った、事でしたね。ごめんなさい」

「……いや。……僕こそ…ごめんね」

 悠は詩帆を見ずに、そう言った。

 直視、出来なかったのだ。

 詩帆は一瞬瞳を波打たせて、けれど分からないというように笑った。

「ええ? 何でハルちゃんが謝るんですか?」

 詩帆の強がった笑顔に、胸が締め付けられる。

「……この状況を作ったのは、僕だ。君が何よりも避けたかった事を、僕が招いた……。ごめん……」

「……っ」

 詩帆は何かを言おうと口を開いたが、言葉が出てこなかった。

 二人の間にある、唯一の壁。

 それは、二年前のとある事件。

 詩帆に恐怖を植え付け、悠に強さを求めさせた原点。


 * * *


 ーー二年前。

「離してっ!!」

 少女が叫んでいる。

 鏡路室きょうろしつへ続く扉の前で、喉が裂けそうな程、声を荒げている。

 三人の男女に抑えられながらも、少女は必死に抵抗していた。

「どうして!? どうして私だけ助けたんですかっ!! 皆、待ってたのに……っ。助けが来るまで頑張ろうって、必死に耐えてたのにっ!! どうしてなんですか!?」

 大粒の涙を流して、目を真っ赤に充血させて、長く伸ばした綺麗な黒髪を乱して、自分の傷など構わず、叫んでいた。

 そしてその状況を見て、何故自分が呼び出されたのか、悠はすぐに悟る事が出来た。

 暴れるその少女は、悠の婚約者だったから。

 恐らく、彼女を宥めろという事なのだろう。

「詩帆ちゃん」

「!」

 歩き、近付きながら詩帆に声を掛けた悠。

 その声で相手が誰か分かったのだろう。

 ハッ、とした顔をすると、彼女は動きを止めた。

 悠の、歳の離れた婚約者。天野宮家の令嬢を見下ろす。

 肩下の高さから悠を見上げる詩帆の容姿は、歳相応とは言い難い美しさであった。

 長く伸ばした漆黒の髪。

 細く華奢な身体。

 真っ直ぐに悠を見据える、蒼色の瞳。

 しかし、その片目には頭部から流れ出る血が掛かり、額にも、手足にも無数の傷がある。

 かなり痛々しい姿であった。

 悠の存在に気付くと、詩帆は俯き、黙ってしまった。

 軽くしゃがみ、詩帆に目線の高さを合わせると、悠は言った。

「傷の手当て、しよ? それに今日はもう夜遅いから、部屋で話を聞くよ。ね?」

「…………」

 現在時刻は深夜三時十二分。真夜中だ。

 詩帆は言葉こそ発しなかったが、悠の服の袖を掴んで離さない。

 小さく頷いたのを確認すると、傍に立っていたコネクター達に向き直った。

「後は僕が引き受けるから、もう休んで。任務ご苦労様」

 悠の言葉に若干心配そうに視線を絡ませると、しかし三人は深々と一礼をし、下がっていった。

 三人が居なくなったロビーで、詩帆はそれでも俯いたままだった。

 悠は短く息を吐くと、言った。

「どうする? 今日はもう疲れただろうから、部屋まで送ろうか?」

 訊くが、やはり詩帆は何の反応も示さない。

 それでも疲れはしているだろう。

 それに、傷の手当てもしなければならない。だから、

「……じゃあ、僕の部屋に行こうか。早く治療しないと、いくらコネクターでも痕くらい残っちゃうんじゃない?」

 冗談めかしてそう言うが、詩帆は顔を上げない。

 その代わり、より一層強く袖を掴んだ。

 かなり堪えているようだ。

「……話、ちゃんと聞くから。大丈夫だよ、詩帆ちゃん」

 そっと詩帆の肩を抱き、宥めるように頭を撫でた。

 すると床に透明な雫が滴り、

「……うん……」

 と、ようやく詩帆が応えた。

 動こうとしない、いや、もう余力がなく歩けない詩帆を抱き上げて、自分の部屋に向かう悠。

 自分の腕の中で小さく縮こまり、すがり付いてくる少女を、悠は強く抱き締めた。

 まるで不安ごと受け入れようとするように。


 * * *


 部屋に到着すると、悠は詩帆をソファに座らせた。

 俯いたまま何も語らない詩帆。

 どうしたものかと少し考え、温かい紅茶を淹れて落ち着かせようと考えた。

 お湯が沸くまでの間に傷の消毒をして、包帯を巻いた。

 傷事態は見た目ほど酷くなかったのだが、問題は心の方だ。

 詩帆の性格上、恐らく無理に聞き出そうとしても意味がないだろう。むしろ逆効果にすらなりかねない。

 だから、悠はあえて何も言わなかった。

 何も言わず、傍に居た。

 それが良かったのか、詩帆は不意に、言った。

「……ごめんなさい……」

 それは謝罪の言葉で、悠が望んだものではなかったけれど、それでも良かった。

 詩帆が落ち着いたという、証だから。

「どうして詩帆ちゃんが謝るの?」

「……迷惑、掛けたから……」

「迷惑なんかじゃないよ。むしろ、帰ってきてくれて安心した。……無事で良かった」

 詩帆の目から、再び涙が零れた。

 ”無事で良かった”何て、本当は思ってない。

 語弊があるが、帰ってきてくれた事事態は本当に良かったと思っている。

 しかし、”無事”というのは違っていると、悠も承知している。

 けれどこうでも言わないと、きっと詩帆は何も語らないから、あえてこう言ったのだ。

 包帯に包まれた華奢な身体を小刻みに震わせて嗚咽を堪えている姿は、本当に痛々しかった。

「……堪えなくて良いんだよ、詩帆ちゃん。話聞くって、言ったでしょ?」

「……ふっ…うぅ……っ」

 隣に座る詩帆を引き寄せて、安心させようと声を掛け続けた。

 少しずつ震えが収まってくると、気付けば詩帆は眠っていた。

 悠の肩に寄り掛かって、静かに寝息を立てている。

 頬には涙が伝い、しきりに同期達の名前を呼んでいる。

 悠は詩帆を抱き上げると、ベッドに運んだ。

 正直、悠はここに至る経緯を殆ど把握出来ていない。

 それでも何より、詩帆が心配だった。

 最愛の許嫁なのだ。泣かないで欲しいと願うのは、当然だろう。

 悠は詩帆の髪を撫でながら、気が付けば隣で意識を手放していた。


 * * *


 眠い。

 時計を見遣ると時刻は五時半。夜中に起こされた事もあり、睡眠量が足りていない。

 それでも、本来ここにある筈の存在が居ない事に気付き、悠は飛び起きた。

「……詩帆……?」

 隣に寝ていた筈の詩帆が居ない。

 軽く乱れた位置に手を当てても、既に温もりはない。

 いつから居ないのか……。

 何も分からないまま、何も考えないまま、悠は部屋を飛び出した。

 詩帆の部屋に向かい、しかし居ない事を確認するとフロントへと走った。

 すると珍しくフロントに人は居らず、代わりにその奥に、目当ての人物が居た。

「…………」

 フロントの奥、鏡路室の入り口の前に座り込んでいる詩帆。

 悠はそんな詩帆に歩み寄り、声を掛けた。

「……いつからそこに居るの? 詩帆ちゃん」

 すると詩帆はビクッ、と肩を上下させ振り返ると、虚ろな視線を悠に向けた。

「……帰って、来ないんです……」

「…………」

 悠は何も言わず、詩帆を見詰めた。

 詩帆の瞳は段々と潤み、ついには頬を濡らした。

「ずっと、ここで待ってるのに……っ。あずさも、けんも、よりちゃんも、かける君も……っ。誰も帰って来ないんですっ!」

「…………」

 六尾むつび梓。

 四塚健吏しづかけんり

 的場沙頼まとばさより

 東條とうじょう駆。

 それは詩帆の同期であり、彼女とともに出頭した班員の名前だ。

 ”帰ってこない”という詩帆の言葉と昨日の詩帆の様子から、悠はおおよその状況を察した。

 新入軍兵の殉職。

 それ事態は、さして珍しい事ではなかった。

 けれど、今回は詩帆のみが生き残った。それはどう考えてもおかしな話だ。そしてそうなった理由は恐らく、

「……元帥が、関与したのか……」

 詩帆の実の母であり、詩帆を何よりも大切にしている天野宮帆春あまのみやほはる元帥。

 彼女ならば、戦場で詩帆だけでも助けるように命じる事が可能だ。

 帆春は既に息子を、詩帆の兄を任務で亡くしている。

 そのトラウマを持ち、娘を思う母親ならば当然の心境なのであろうが、それでも悠は帆春に同意しかねた。

「……とりあえず、場所を変えようか。ここじゃ、何だしね」

「…………」

 詩帆はまるで脱け殻のように、悠に支えられながら移動した。

 心を、失くしてしまったかのように。




 移動した場所は少し歩いた先にあるカフェテリアの、ベランダだった。

 時刻がまだ六時前という事もあり、人は誰も居なかった。

 しかしそれは、好都合だ。

 悠は詩帆に紅茶を手渡すと、向かいの椅子に腰掛けた。

 そして、言う。

「……殉職者はあって当然何て思わないし、仕方がないとも思わない。けれど、それら全てをなくす事は出来ない。もどかしいよね、本当……」

「…………」

 カップを持つ詩帆の手に力が入る。

 詩帆はまだ十六歳で、コネクターになって日も浅い。人の死を目の当たりにしたのも、これが初めてだった。

 その上その初めての死が、同期達の一斉死亡だというのは、悠から見てもかなりむごかった。

 十六歳の少女が抱えるには、重過ぎる。

 詩帆はかなりの強がりで、けど本当は人一倍弱くて、脆い。だから、尚更。

「僕も初めて仲間を亡くした時は、結構堪えたよ。こんな事してて、一体何の意味があるんだって、本気で思った」

「…………」

 応答のない詩帆に、悠は語り掛ける。

 詩帆の重荷を、少しでも軽くしたくて。

「けど、どんなに悔いても、泣いても、もうあいつは帰ってこないんだって思ったら、何故か逆に楽になれた」

「え……?」

 訳が分からないというように、詩帆は顔を上げた。

 悠はふっ、と微笑むと、続ける。

「吹っ切れたというか、自棄だったのかな。”ここで諦めたら、あいつの死も今までも全部無駄になるんだ”って、思ってさ」

「……っ」

 初めて、詩帆が反応を見せた。

 唇を引き結んで、拳を握り締めた。

「泣いたって良いんだ。それは状況をちゃんと見て、受け止めている証拠だから。どんなに辛くても、苦しくてもちゃんと向き合って、忘れないでいれば、いつか必ずそんな過去に負けない自分になれるから。もし何処かで再会出来たら、胸を張って”お待たせ”って言えるくらい、強くなれるから」

「……っ、うん……」

 そうして再び詩帆は前を向こうとした。

 もう一度心から笑えるようになるのには、やはり時間が掛かったけれど。

 そしてそんな詩帆を見て、悠はより一層強さを求めるようになった。

 もう二度と、詩帆を泣かせないでいられるように。


 * * *


 気まずい雰囲気の中、先に口を開いたのは詩帆であった。

「……”ごめん”だなんて、言わないでください。私はそんな風に思っていませんから」

「……けど、事実だ」

 俯く悠の顔を覗き込み、詩帆は悠の頬を掌で包み、言った。

「あれはもう、”過去の事”です。それに、ハルちゃんは助けてくれたんです。二年前の事も、今回も。だからハルちゃんに感謝する事があっても、責めるなんて事は有り得ません。本当に感謝しているんです」

 純粋な、曇りない笑顔を向けてくる詩帆。

 その姿に、悠は目を見開いた。

(ああ、強くなったんだね……詩帆ちゃん)

「……ありがとう、詩帆ちゃん」

「私の方こそ。ありがとう、ハルちゃん」

 そう言い合って、二人とも笑った。

 いつもより、何処か柔らかい雰囲気で。

 そこに二人の壁は、もう存在しなかった。

【第七章】書き終えました!

主人公を差し置いて悠目線中心の、悠&詩帆の過去編も混ぜました!

いかがでしたか?

時間の前後がありますので、読みづらかったら申し訳ありませんm(__)m

しかしとも今後とも是非お付き合いください!

宜しくお願いします!!

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