ゲイバー『アネモネ』
加納は迎えに来た若狭の運転で三宮といっぺん署へ戻った。警察手帳と拳銃を所持すると、再び若狭の運転する車に同乗した。加納と三宮に佐藤和馬の写真が配布された。凡庸な顔立ちの小男だ。特徴は左の額にある大きな傷だ。
風が強くなり、雲間から月が見えはじめた。車は二十分ほどでゲイバー『アネモネ』に到着した。ゲイバーと言っても、ステージのある大きな店だ。加納たちは小型の通信機を背広に仕込み、客を装い入店した。火曜の夜なのに人でごった返していた。ツアー客がたくさん入っているらしい。そのせいなのか、女性客が意外と多かった。
「あら~! こちら、すっごい強面! でも、たくましい男は大好きよ!」
「ああ、あんたも負けてないな!」
「ヤッダーアア!」
派手なドレスの大男に背中を叩かれながら、ステージ前のボックス席に案内された。加納は三宮と若狭の間に巨体をねじ込ませて、目を光らせた。他にも8名の捜査員が潜伏していて、入り口や裏口付近に待機している。
「若狭、佐藤和馬はどこだ?」
「中央のフロアで男と踊っている白のドレスです」
左のフロアを横目で見ながら、若狭が加納に教えてくれた。
「ああ、あれか……マリリンモンロー気取りか? ヒールに金髪のカツラなんて被りやがって! 額の傷が見えねえじゃねえか! なんだよ、佐藤和馬はゲイだったのか? だからなかなか見つからなかったんだな……」
「先輩、佐藤和馬がゲイだという情報は全くありません」
「はあ? この中には、ニューハーフじゃないヤツが混じっているのか?」
「はい。普通のバイト感覚で働いている、ゲイじゃない男も大勢います。劇団員が副業にするケースも多いんですよ」
そのとき、店の明かりが一斉に消え、前方にある小型のステージにライトが集中した。捜査陣が一斉に身構える! 加納は内ポケットの拳銃に手を掛けた。
突然、派手な音楽が店いっぱいに響き渡った。色とりどりの華やかなライトが明滅しはじめると、大音響と共にドレスに身を包んだニューハーフたちがステージ上で踊りはじめた。プロ並みに仕込まれたダンスと本格的な舞台の構成に、客たちが一気に惹き付けられた! 投げキッスやウインクの演出に色めきたつ老若男女。利きすぎるほど利いているクーラーで冷えきった店内が、見る間にヒートアップした。
「サンちゃん……同じ男なのに、なんであんなに色っぺーんだよ」
加納はホッと一息つくと拳銃から手を離し、巨体をかがめて三宮の耳元で話しかけた。
「永ちゃん……まさかゲイに走ったり……しない……よな?」
「なわけねえだろ!」
「同じ男だからこそ、ツボがわかっているんだろ? 女性客は……宝塚感覚かな?」
「そういうもんかね……このステージが終わったら、楽屋口でターゲットを捕獲するぞ。おっ!」
ステージ中央に、マリリン・モンローの格好をした佐藤和馬が登場した。今日は平日なので、新人もステージに上がらせてもらえるらしい。驚いたことに、両脇の袖から更に1人ずつモンローが出てきた。マリリンは3人いた! 色っぽくシナを作りながらウインクをして、『アイ・ワナ・ビー・ラブド・バイ・ユー』を口パクで歌いだした。いやらしく腰を振る、真っ赤な唇のモンロー・トリオ。
その姿に、客たちが一斉に沸き立つ!
「サンちゃん! どれが佐藤和馬だ?」
「永ちゃん、3人とも背格好が同じで区別がつかないよ! まったく同じ格好で、胸にも腰にもパッドが入っているし……」
興奮した客たちが、ザザザザアアアアーッとステージに押し寄せた!
黒服の従業員たちが、なんとか押し返そうと舞台の下で苦戦している。
「おれたちも行くぞ!」
「おう!」
「はい!」
加納たちもステージに向かって走った! 舞台の真正面はすごい人だかりなので、右の脇へ回った。そのとき、加納とステージ上のモンローと目が合った! たまたま下から見上げたせいだろう。金髪のカツラで隠れていた左上の額の傷が目に入った! 加納はすぐに捜査員全員に無線を入れた。
『佐藤和馬発見! ステージ向かって1番右のマリリン・モンロー! 至急、捕獲せよ!』
加納は三宮に目で合図をした。駆けつけた捜査員たちが黒服を阻止してくれている間に、加納と三宮はステージに躍り上がった!
ワアアアアーッ!
店中の人間が大声で叫びはじめた!
ステージから逃げ出す3人のモンロー。
更にヒートアップしていく客の群れ。
「バカヤロー!」
「見えねえだろ! 大男! どきやがれ!」
「ステージのジャマすんじゃねえ!」
加納と三宮に怒声が浴びせられる!
それには構わず、加納と三宮はモンローたちを追いかけた!
ワアアアアーッ!
――遠ざかっていく、明るいステージと客の歓声。
ステージ袖のうしろ側、黒いカーテンの向こうは、迷路のようにゴチャゴチャととした楽屋裏だった。所狭しと荷物や衣装が並べてあり、薄暗い。加納と三宮は目が慣れるまでしばらく動けなかった。2人は従業員や踊り子たちに警察手帳を見せながら、うなぎの寝床のような狭い通路をソロソロと進んでいった。
若狭たち捜査員が、ステージ上で警察手帳を見せながら客を黙らせたらしい。さっきとは打って変わり、水を打ったように静まり返る店内。
「永ちゃん……どこかに潜んでいるのかな? あんなに高いヒールを履いていたら、そんなに速くは走れないだろう」
「サンちゃん……とっくに脱いで、裸足になってるよ。女ってそういうもんだ」
「呼びかけてみるか? 佐藤和馬はともかく、あとの2人は逃げる理由がないよな?」
「すねに傷を持つ身なのかもしれない……おっ、あそこが出口だな?」
二メートルほど向こうに細い明かりの線が見えた。裏口が少し開いていて、そこから月光が洩れているのだ。佐藤和馬は、すでに逃げたあとなのか?
そのとき、右の暗がりで何かがキラリと光った。加納はそちらへ振り向くと同時に、内ポケットから拳銃を取り出して身構えた。暗がりに目を凝らすと、モンローの首にナイフを当てるもう1人のモンローが、荷物の陰にしゃがみ込んでいるのが見えた。
加納が三宮に目配せをして、モンローの位置を教えた。ドアの隙間から月光が差し込むだけの暗い空間で、どうしようかという目で三宮が加納を見つめた。ヘタに動けば人質のモンローが殺られる。加納の強面に一筋の汗が流れた。
キイイイイーッ!
突然、左の暗がりから誰かが走りだし裏口を開け放った!
3人目のマリリンだ!
彼は一瞬、振り返った。月を背にして立ちはだかるマリリン・モンロー。
強風にあおられ、映画のワンシーンのようにスカートが下から膨れあがる。
佐藤和馬が月光に照らされた女装の男を見て、シマッタという顔をした。
「佐藤和馬! 観念しろ!」
拳銃で佐藤和馬を狙ったまま、加納が叫んだ!
バンッ!
裏口にいたモンローがその声に驚き、外へ逃げ出した!
――一瞬だった。
佐藤和馬がもう1人のモンローを置き去りにして、立ち上がろうとしたその瞬間!
彼のナイフを持った右手に、加納が思い切り飛び掛かっていった!
「うわああっ!」
「こいつ! 観念しろ!」
加納が巨体で佐藤和馬をねじ伏せ、ナイフをもぎ取った! 三宮が加勢して、佐藤和馬の足をスカートの上から押さえつけた! これではさすがに、イラクの傭兵・佐藤和馬も身動きが取れなくなった!
「やめろおおっ! 離せ! あいつを!」
「うるさい! 黙れ!」
それでも、バタバタとドレス姿で手足を振り上げ、金髪を振り乱して抵抗する佐藤和馬。加納と三宮は、更に強く押さえつけた!
あきらめたのか、佐藤和馬はそのうち抵抗するのをやめて、大人しくなった。金髪のカツラがはずれ、短かく刈った黒髪の下には、化粧でも隠しきれないほどの大きな傷跡が見える。
「ハアハア……」
「永ちゃん……」
加納と三宮、佐藤和馬も汗ビッショリだ。
「先輩! どこですか!」
「若狭! こっちだ! 容疑者を確保したぞ! そうか……無線! 連絡するのを忘れてた!」
こちらに向かって捜査員たちが駆け込んでくる。大きな懐中電灯で照らされ、周囲が明るくなった。佐藤和馬は目を瞑り、静かに横たわっていた。加納が手錠を掛け、罪状を読み上げた。人質となって佐藤和馬にナイフを突きつけられていたモンローは、いつの間にかいなくなっていた。遠くからパトカーのサイレン音が聞こえてきた。
さっきの喧騒がウソのように、ゲイバーはシンと静まり返っていた。加納と三宮はガランとしたステージの前に立ち、話をしていた。佐藤和馬は大人しく警視庁の刑事に連れられていった。明日の新聞やテレビは大賑わいだろう。今はネット社会だ。客や従業員からのタレこみで、今夜のうちに速報が出るかもしれない。
「永ちゃん、これで1件落着だな。ずいぶん犠牲者が出てしまったけれど……」
「先輩! たいへんです!」
若狭が大慌てで、正面のドアから駆け込んできた! 真っ青な顔で大汗をかいている。
「どうした!」
「乙神八雲が死んでいました!」
「なんだとっ!」
「なんだって? 乙神八雲だと!」




