8人のリスト
加納は警視庁の知り合いに電話をして、殺された鏑木右近について調べた。鏑木右近は有名国立大学を卒業後、大手証券会社に勤めた経歴を持つエリートやくざだ。オレオレ詐欺を生業としていた。
「永ちゃんの知り合いが、快く情報提供してくれて助かった。じゃあ、路地裏で殺された藤原達也は、オレオレ詐欺の犯罪に関与していたということか……一般人の彼がなぜ?」
「サンちゃん、オレオレ詐欺は足が付かないように、一般人をバイト感覚で雇って働かせるんだぜ」
「本当に? 藤原達也は誰に聴いても、いい人だって評判だったぜ。妻子のために悪魔に身を売ったのか……金の力って恐いな」
「簡単に手に入る金はな! いくら生活に困っても、そう簡単に人は悪魔に魂を明け渡さないぜ? 藤原達也の中には、もとから疚しい心があったのだろう。去年のオレオレ詐欺の被害額が、なんと476億8200万円。これで減ったというから驚きだ! 全部、遊ぶ金欲しさだろ? 事業や店の運転資金だ、借金返済だなんだともっともな理由を付けてはいるが、盗んだ金は人の金だ。善人を地獄に落として得た金で成功したって、幸せになんかなれやしないさ!」
「みんなが真面目に働いてコツコツ貯めた金を、子を想う親心に付け込んで掻っさらっていく……鬼畜だ! 殺されても……」
「まあな……でも、サンちゃん。それを言っちゃあ、オシマイだ……」
「じゃあ、『路地裏殺人事件』は10年前のオレオレ詐欺の仲間割れから生まれた犯罪なのか?」
「オレオレ詐欺に雇われた人間は、お互いの素性を知らない。同じ部屋の中に居ても、目も合わせなきゃ話もしない。お互いの家や連絡先を知っているとは思えん」
「だったら……主犯格の鏑木右近なら、雇った人間の素性を知っていたはずだ! 鏑木右近が藤原達也をゆすったんじゃないのか? 家族や職場にバラすとかなんとか言って……。鏑木右近は他にも脅しているヤツがいて、その誰かに殺された」
「鏑木右近ほどのヤクザが、そんなセコイゆすりをするとは思えない。それに、先週の月曜に殺された藤原達也が500万円を下ろしたのは、今月に入ってからなんだろう? 鏑木右近が死んだのは先月のはじめだ。辻褄が合わない」
「行き詰ったな……主犯格が殺されたんじゃ、10年も前の犯罪を追う手立てはないよ。朝倉麗子の住所はニセモノ。携帯はすでに解約済みで、使われた形跡もなし。しかも、不正入手された電話番号だったよ……永ちゃん、どうする?」
「……おれの知り合いの組長さんのところへ電話してみる。ちょっと待ってろ」
加納は去年の暮れまで、強面を利用して警視庁でヤクザの潜入捜査をしていた。そのとき世話になった組長へ電話をした。色々と尽力してくれたので、できたら迷惑を掛けたくはない。だが、蛇の道は蛇でどうしてもわからないときは頼ることにしていた。
電話口に若頭が出てくれた。事情を話すと、鏑木右近の事件について頼みたい事があるから、今から家へ来てくれと言われた。
「サンちゃん、今からおれが案内する場所に行ってくれ」
「永ちゃん……大丈夫なのか? ヤバイ話じゃないだろうな?」
「他に方法があるのか?」
「……ないな。どれぐらいかかる?」
「一時間ほどだ。すぐに出よう」
加納は三宮の運転で公用車のセダンに乗り、組長の屋敷へと向かった。どんよりとした梅雨空が広がる薄暗く蒸し暑い午後だった。
新宿署から一時間ほど走った郊外に、白い塀がどこまでも続く壮大な門構えの屋敷があった。門の中には立派な日本庭園が広がっている。広々とした玄関から中へと通された。奥座敷に組長が着物姿で座っていた。相変わらず一部のスキもない姿勢と目つきをしている。加納のことはお気に入りで、人払いして三宮と3人だけにしてくれた。
「親父……お久しぶりです。お手をわずらわせて申し訳ありません」
三宮も一緒に頭を下げた。
「いいってことよ! 久しぶりに永吉に会いたかったんだ。相変わらずの強面ぶりだ。女が寄りつかねえだろう」
「そんなことは……ありますけど。ところで親父、頼みたい事とは……」
「ああ。そのことだが……まずは、これがおめえの役に立つリストだ。鏑木が藤原ってヤツを雇ったときのメンバー表だ」
組長が折りたたんだ白い紙を差し出した。加納が両手で恭しくもらい受ける。
「すいやせん……」
「鏑木の野郎、ひどく几帳面でな。なんでもかんでも記録に取っておきやがったんだ。見られちゃまずい記録をUSBに入れて持ち歩いていた。鏑木が殺された原因はそれだろう。そのUSBがどこからも見つからない。鏑木の運転手は株で大損して多額の借金があり、返済が迫っていた。鏑木の妻子は、USBのことは何も知らない。今年30になる娘は復讐心に燃えている。さすが、ヤクザの娘だ」
「このまま、放っておくおつもりで?」
「ああ。だが、真実は永吉が暴くんだろ? 鏑木の妻子もかわいそうに。てめえの家の大黒柱がオレオレ詐欺の首謀者だったなんてな。娘なんて、いまだに父親は普通の会社の社長だったと思っていやがる。元の出がカタギだったからな。鏑木は婿だ。妻がヤクザの娘だった。だが、あいつは証券会社で億という金を横領をしてクビになった男だ。根っからのワルだよ!」
「そうでしたか……」
「そろそろ行きな。現役の刑事がヤクザの家にいつまでも居ちゃまずいだろう」
「それではこれで。ありがとうございました。USBは必ず……」
「ああ、頼んだぞ」
「こちらこそ。失礼致します」
加納と三宮は退席し、ヤクザに見送られて屋敷をあとにした。
2人は車に乗り込み、署へ戻ることにした。
「永ちゃん、鏑木右近を殺した犯人は誰なんだ? 行方不明の運転手はどこへ行ったんだ?」
運転をしながら三宮は、組長にもらった用紙を広げて熱心に見入る強面に話しかけた。
「ああ……鏑木右近殺しの犯人は運転手だ」
「ええ! なんだって!」
驚いた三宮は、思わずブレーキを踏んだ。後続の車が怒鳴りながら追い越していった。三宮はセダンのヘッドライトを消してハザードに切り替えると、幹線道路の路肩に停めた。
「鏑木右近が殺されたとき行方不明になった運転手の名前が、ここに載っている。見てみろ、これが10年前のオレオレ詐欺のグループだ」
小雨の降り始めた梅雨の夕暮れは、いつもより暗くなるのが早い。三宮は車内灯を点けた。加納の手元の紙に8名の犯罪者の名前が浮かび上がった。
鏑木右近 K見張り 現金管理
浅野 武 運転手
佐藤和馬 警察
吉田精一 UH見張り
乙神八雲 UH
高橋弥生 K
藤原達也 K
箕輪 薫 K
「浅野武は10年前のオレオレ詐欺のときも、運転手役で鏑木右近と一緒だったのか……」
「サンちゃん。組長にもらった紙には名前しか書いていないが、USBメモリには住所や電話番号、生年月日も記録されていたはずだ。オレオレ詐欺は、さまざまな年齢のさまざまな場所に住む人間を集めて行われるからな」
「永ちゃん、藤原達也の名前のうしろのKってなんだ?」
「掛け子のKだろう。被害者宅に電話を掛ける係りだ。高橋弥生と箕輪薫と鏑木右近のうしろにも記入されている。鏑木右近は掛け子たちが逃げ出さないように、そばで見張りをしていたという意味のKだ。普通はこんな大物がやらないが……たまたま人手が足りなかったのかもな。掛け子だった藤原達也は、だから鏑木右近の顔を知っていたんだ。藤原達也は先月、鏑木右近が殺されたときに新聞で顔写真を見て、10年前のオレオレ詐欺の主犯格の男だと気づいた。今月に入って脅迫されたとき、自分の身も危ないと思ったのだろう」
「佐藤和馬の警察とは?」
「警察が出動するかどうか、署の外で運転手と一緒に車に乗って見張る役だ。警察に精通していないと出来ない仕事だ。佐藤和馬はもしかしたら、ヤクザかもしれないぞ」
「吉田精一のうしろのUH見張りは?」
「ターゲットの家の近辺の見張り役だ。同時に、受け子と引き子が金を持ち逃げしないように見張る」
「乙神八雲の脇のUとHは受け子と引き子か?」
「そうだろう。こいつがターゲットの家へ金を受け取りにいく。もしくは騙した家から振り込まれた金を引き出す役だ」
「被害者宅に大金を取りに行く役だろ? 乙神八雲がいちばん危険なところをやっていたんだな。所詮、素人だ。生きた心地がしなかっただろう」
「そうだな……普通はローテーションで持ち回りだが、1人で担当していたとすると……乙神八雲は受け子の役に相当な自信があったんだろう。絶対にバレない演技ができるという……でも、おかしいな」
「永ちゃん、なにがだ?」
三宮は改めて、8人の男たちのリストを見た。善良な市民を騙して大金をせしめるという共通の目的で集まった、見知らぬ他人の集まり。
「普通は7人で1組なんだ。このリストは8人だ。1人多い」
「どうしてだ?」
「わからん。何か特別な事情があったのかもしれない。サンちゃん……そろそろ車を出せよ。違法駐車で通報されんぞ」
「おおっと、すまん! 捕まったらシャレにならん!」
三宮は車内灯を消してヘッドライトを点けると、右へ方向指示器を出してスタートした。いつの間にかすっかり日が暮れていた。ワイパーを激しく動かさなければならないほど、雨が降りしきっていた。
「この、佐藤和馬ってヤツから問い合わせてみるよ。たぶんヤクザだから、警察がマークしているはずだ」
加納が電話をかけはじめた。しばらく車内には、加納の話し声とワイパーの音だけが響いていた。特別回線で警視庁の知り合いに掛けたらしい。必要な情報が得られたようだ。電話を切った加納が強面をこちらに向け、はずんだ声を上げた。
「ドンピシャだ! 佐藤和馬は10年前、オレオレ詐欺の容疑で国際指名手配されたヤクザだ。イラクへ逃げて向こうで傭兵をやっていた。先月のはじめに極秘ルートで帰国している! 密入国させた組織が摘発されて発覚したそうだ」
「なんだって! 所在はわからないのか?」
「帰国してからの足取りは一切、不明だ。佐藤和馬はおれたちと同じ35歳。施設育ちで身寄りがない。10代の頃からオレオレ詐欺に手を染めて、そのままヤクザになった。10年前、佐藤和馬は警察署の見張り役をやっていた。その署に佐藤和馬の顔を知っている警察官がいて、たまたまヤツを目撃していた。オレオレ詐欺の被害届が出てすぐに、佐藤和馬は容疑者として全国に指名手配された。佐藤和馬の左の額には、大きな傷がある」
「なんだって! では……藤原達也の事件現場で目撃された男は佐藤和馬! そうか……それで国外に逃亡し、ほとぼりが冷めたころに帰ってきて運転手と一緒に脅迫をはじめた……かつての詐欺仲間を相手に……」
「あとな……サンちゃん、驚きの情報がある」
「どんな?」
三宮は赤信号で止まりながらイライラしていた。加納にしてはもったいぶっている。悪いヤツラを、早く白日の下に晒してやりたい!
「佐藤和馬が指名手配されたときの、詐欺のターゲットが朝倉という家なんだ……単なる偶然か?」
「朝倉? だれだっけ?」
「麗子さんだよ! 女占い師の! 同じ苗字だ」
「ええっ!」
「彼女、おれに名前を名乗るときに体を強張らせていた。思わず本名を名乗っちまったって感じだったよ」
「偶然にしては出来すぎてるな……。朝倉の家はどこだ? 今から行くか?」
「それが……静岡なんだ。オレオレ詐欺は地方でやるケースが増えているんだ。ビジネスホテルを拠点にして行われる。……よし! イノッチに頼もう!」
「イノッチに? 捜査費用は出ないぞ!」
「おれのポケットマネーだよ。格安でお願いする」
信号が青に変わり、三宮はセダンをスタートさせた。
加納はイノッチこと猪熊吾朗に電話をして、静岡の朝倉清司という男を調べてもらうことにした。猪熊はかつての警視庁の同僚で、加納たちと同い年の大男だ。優秀な刑事だったが、今は退職して1人で探偵事務所を経営している。
「ああ、イノッチか? 久しぶりだな。仕事を頼んでもいいか? 今から送る住所の男を調べてくれ。必要があれば直接、行ってみてくれ。10年前のオレオレ詐欺のターゲットの息子だ。……ああ、そうだ。よろしく!」
「どうだ? すぐやってくれそうか?」
「ああ。大丈夫だ」
加納が強面を振り向け、オーケーサインを出した。
「永ちゃん、このあと、どうする?」
「さっきの電話で、リストの人物全員の照会を頼んでおいた。明日以降にならないとわからないそうだ……今日はもうお手上げだな」
「それじゃあ一旦、署に戻って解散しよう」
「ああ。そうしよう」
加納と三宮は新宿署に戻り、それぞれが帰途に就いた。
翌日、署に出勤してきた加納と三宮に驚きのニュースが飛び込んできた。
オレオレ詐欺の掛け子だった箕輪薫が、路地裏で殺されていたのだ。




