それぞれの過去
「そんなことが……」
「本人は否定しています。ただ、子供の父親については絶対に言いたくないそうです。署長が自ら赴いたのですが……」
「署長が? そうか……わかった、あとであいさつに行く」
「あと……田崎吉隆の遺言状ですが……」
「田崎の? ほとんどの財産が平河美鈴にいくんだろう?」
「はい。ですが……本当は神宮寺繭子にもいく予定でした。彼女は3年前に遺言状から外されています。そのときに田崎吉隆と神宮寺繭子が都内のホテルで密会しています。田崎の常宿なので、ホテルの従業員が顔をおぼえていました」
「なんだって! それで……」
「はい。それで神宮寺繭子が容疑者に再浮上しました。殺し屋を雇ったのではないかと……アメリカから依頼して……」
「可能性は否定できない。ごくろう」
「永ちゃん、繭子さんに限ってそれはないよ」
「いや、身内びいきはだめだ。繭子は他に男もいるようだし……いったい、誰の子なんだ? まさか本当に、実の伯父と……」
「永ちゃん、そんなこと絶対にないって!」
「だが……可能性がなくないんだろう? そうだ! イノッチに調べてもらおう! 平河美鈴の大阪時代も一緒に探ってもらう」
加納は猪熊に電話で事情を説明し仕事を頼んだ。
「永ちゃん、どうだった?」
「ああ、すぐに大阪に行ってくれるそうだ。繭子のほうもニューヨークの知り合いに頼んでもらえる。今日はもう帰って明日、報告を待とう」
「よかった。何かわかるといいな」
翌日、思いがけない人物が加納を訪問した。繭子のニューヨーク時代の上司、不倫疑惑のあった男だ。日系とは聞いていたがチャイニーズだった。
「それで……なにか?」
加納はいらつきながら男を待合室に出迎えた。いまさら繭子の過去の男になど会いたくなかった。まして彼は、繭子の息子の父親の可能性がある人物だ。彼はスマートな物腰の美形だった。加納より年上に見えた。今は中国で弁護士事務所を経営しているそうだ。
「こちらに偶然、滞在していたものですから……神宮寺さんを助けることが何か出来ないかと……」
「助ける? 繭子を弁護士事務所から解雇したあなたが?」
加納が受けた報告だと、この男に繭子は首にさせられた。目の前の男は繭子が3年前まで勤めていた弁護士事務所の弁護士兼経営者だ。彼との間に不倫疑惑が生じて繭子は退職。繭子はこの男の知人の事務所へ移動して子供を産んでいる。それらの事実だけ見ても、この男と繭子と子供になんらかの関係性があることがわかる。まして、このタイミングで繭子の弁護にきた。あやしい。
だが、男は悪びれもせずにこう言った。
「繭子? それではあなたが……神宮寺さんから噂で聞いていました。警察トップのエリートだと……神宮寺さんは解雇したというよりも、疑惑を避けるために知人の事務所に移ってもらいました。うちより高待遇で」
「おれを知ってる? 疑惑を避けるって……やはり、繭子はあなたと……」
「その件は神宮寺さんに大変申し訳なかった……。実は……当時わたしは日系の女性と不倫をしていました。それは事実です。だが、それは神宮寺さんではありません。今のわたしの妻です。神宮寺さんは妻の友人です。3年前、わたしは離婚調停の真っ最中でした。不倫相手がいることは裁判で明かしていした。元の妻が、神宮寺さんがわたしの不倫相手だと思い嫌がらせをしてきたのです。危険を察したわたしは、神宮寺さんを解雇して他の事務所へ紹介しました。わたしはそのあと、その不倫相手の今の妻と再婚して中国に移り住みました。当時の関係者は、わたしと神宮寺さんが不倫していたと思っているのかもしれません。神宮寺さんはわたしの妻のために泥を被ってくださいました。誤解を解かずに夫婦で逃げてしまったことを、どうかお許しください……」
「……そうでしたか……では、子供の父親は……」
「それに関しては今日はじめて聞きました。妻も知らないことでした。たまたま、わたしたちが日本に来ていたので妻が神宮寺さんに連絡を取り事件を知ったのです」
「そうでしたか……こちらこそ、誤解していました。失礼な態度をお許しください。繭子は確かにそういう女です。嫌なことを思い出させてしまって……では、そちらの事務所にいるときは、繭子はおなかが大きかったわけではないんですね」
「はい……男性の噂もありませんでした」
「そうですか……ありがとうございました」
中国人の弁護士は帰っていった。
「永ちゃん……結局、繭子さんの子供は誰の子なんだろう?」
「わからん。だが、伯父の子だということが潔白になったわけじゃない……」
「イノッチは? どうだった?」
「そうだな……久々に『ムーンマジック』へ行くか?」
「そうだな、行ってみるか? 亜子ちゃんの顔も見たいし!」
加納と三宮は『ムーンマジック』へ行った。猪熊が亜子の前で機嫌を取っていた。
「どうした? イノッチ?」
「おお! 永ちゃん! それが……亜子ちゃんがヘソ曲げちまって……」
「イノッチが変なこと聞くからじゃない!」
珍しく亜子が猪熊に文句を言った。
「へー、どんな?」
「どんなって……」
猪熊が口ごもった。
「わたしが独身だから、もしかして女に興味あるのかって! 注文は? いつもどおりでいいですか?」
「おお、頼む」
亜子がダブルとシングルを1杯ずつ置き、奥へ下がっていった。
「イノッチ、なんだって女の子にそんなこと聞くんだ? 亜子ちゃんはおまえに気があるのに」
「それが……少し人間不信になっちまって……」
「はあ? おまえらしくないな、どうした? 大阪でなにかあったか」
「ああ……」
「イノッチ、大阪へ平河美鈴のことを調べに行ったんだよな?」
「そうだよ。でも、今回はあまり知りたくなかったな……女が女をだなんて……」
「女が女を?」
三宮が不思議そうに首を捻った。
「平河美鈴は同性愛者だ。大阪の病院は同僚と一緒に辞めている。いわゆる駆け落ちだよ。どちらも独身だが、相手の女はその道のプロで他に女が大勢いた」
「なんだって!」
「そういうことか……」
「平河美鈴は元々は男の恋人がいたんだが、同僚の女と良い仲になっちまった。2人は容姿がよく似ていたそうだ。この同僚の女、掛川祥子がその手の店によく出入りをしていた。あっちこっちの女を騙して金を借り捲くっていた。結婚しようと言ってはマリッジブルーだと言って約束を反故にしていたらしい。競馬やパチンコなどの賭け事に嵌っていた。高級マンションに住んで生活も派手だった。借金で首が回らなくなって平河美鈴と東京へ逃げた。平河美鈴は掛川祥子に貢いでいたそうだ。平河美鈴と掛川祥子は東京に出た時点で別れたみたいだ。なぜなら、掛川祥子は男と暮らしはじめ、身体を売って生活していた。それも、女相手にだ」
「イノッチ、まさか……この話は『顔のない死体殺人事件』に繋がるのか? そうか……それで女の売春ルートが掴めなかったか! 女相手に身体を売っていたから……」
「ああ。『顔のない死体殺人事件』直後からの掛川祥子の消息は不明だ。その日を境に売春もやめた」
「ということは、被害者は掛川祥子か!」
「可能性が高い」
「すぐに調べよう。サンちゃん!」
「ああ! おれはすぐに署に戻る!」
三宮は『ムーンマジック』から急いで飛び出して行った。
「それで? イノッチ、平河美鈴は?」
「それが……スナックのママを訪ねた前後の足取りは取れなかった。小柄な女性で特徴はなかったそうだ。だから、1年前、平河美鈴が田崎吉隆の前に現れた頃から遡ってみたんだ。わかったよ」
「何をしていた?」
加納は三宮のシーバスを煽ってから猪熊に質問した。もはや自分には未知の領域だ。
「平河美鈴は田崎邸に来るまでの間、同性愛専門の店に勤めていたからだ」
「そうか……だからわからなかったのか……」
「新宿の『アイランド』って店だ。これが地図だ。この近くだ。行ってみるか? ただし、誰か女を連れていけ。でないと捜査令状がない限り話さないと言われた。以前、警察とトラブルがあったから警戒しているみたいだ」
「ああ……わかった。ありがとう。早速、行ってみる。令状は現段階では取れないな……店の外で従業員の帰りを待つか……」
「あと、繭子さんのほうはまだ時間が掛かりそうだ……」
「そうか……」
加納は猪熊の前に金の入った封筒と酒代を置き、『ムーンマジック』をあとにした。
「こんばんは」
「繭子!」
店を出ると繭子が立っていた。
「あなたに会いに来たのだけれど……どこかに行くの?」
「ああ……仕事だが……ちょうどいい。付いて来てくれ」
「どこへ?」
「繭子には一生、縁がないところだ」
「まあ?」
好奇心が手伝ったのか、素直に繭子が付いてきた。こんなところへ別れた女房は連れて来たくはなかった。加納は『アイランド』と書かれた看板の前で立ち止まった。ここまで来て足が止まってしまった。仕事とはいえ、回れ右して帰りたいところだ。
「どうしたの? 女同士に興味があるの?」
「繭子! 知ってるのか? まさか……」
「まったく……ミスターKの奥様から連絡があったわよ。あなた、わたしのことなんだと思ってるわけ? 相当なあばずれだと? 今の世の中、同性婚が当たり前なのよ。この店から何を聞き出したいわけ?」
「ここで働いていた平河美鈴について知りたい。例の看護師だよ」
「わかったわ! まかしといて!」
「おい! 1人で大丈夫なのか!」
「そんな強面が入っていけるの? 女性オンリーって書いてあるじゃない? あなたどう見ても……女には見えないわよ?」
「そんなことはわかってる! おいっ!」
繭子はサッサとドアの向こうへいってしまった。キャバクラのような比較的大きな店だった。従業員も多そうだ。加納のような強面の大男が立っているにはあまりに不釣合いだった。裏口に回り、従業員が出てきたら聞き込みをしようと見張っていた。だが、野良猫がいただけで、誰も店から出てこなかった。
三十分ほど経つと、コツコツとハイヒールの音が近づいてきた。
「こんなところに居たのね? 帰っちゃったのかと思ったわ。野良猫と一緒に待っててくれたのね……」
「繭子……」
繭子だった。なぜか動揺していた。
「どうした! 何かあったか! クソッ! 一人で行かせるんじゃなかった!」
「ちょっと! 興奮しないでよ! なにもないわよ。昔の知り合いに会っただけ……」
「本当か! ビックリしたような顔をしているじゃないか! 誰だ、その知り合いって! こんなところで誰に会うんだ!」
「なんでもないってば! 落ち着いてよ! まったく……今日は奈々子の告別式だったのよ。一緒に来て、お線香をあげてやってよ」
「わかった……送っていくよ」
「話は家でするわ」
加納は繭子と一緒に田崎邸に来た。繭子の両親や奈々子の母方の親戚が来ていた。加納と繭子は客間に向かった。
「どうだった? 『アイランド』は?」
「なかなか豪華なお店だったわ。流行っているみたい。あそこの従業員はお給料がいいわね」
「そう言う事じゃないだろ! どうだった? 平河美鈴は?」
「しー! まだ彼女、この屋敷内にいるのよ? 奈々子の異母姉妹だし……」
「そりゃそうだ。ってことは、繭子とも義理の従姉妹か」
「まあ、そうね。実感がわかないけど……彼女、叔父さまには全然似てないし。奈々子のほうがまだ似ていたわよね。ところでさっきの店だけど……」
「ああ」
「平河美鈴はたしかに働いていた。それも、店で1番の売れっ子だったみたい。黙っていても女が寄ってきたらしいわ。ただ、金遣いが荒くて有名だった。あちこちの女に借金をして踏み倒していた。結婚をえさに……」
「なんだって! まさか……断る理由がマリッジブルーだと言うんじゃないだろうな?」
「ええ、そうよ。なぜ、それを? あと、彼女の部屋に入ったことがある人間が、玄関はきれいだけど奥は汚くて最悪だって言ってたわ。ごみもポイ捨てする女で、マナーがなってなかったらしいわ」
「まさに結婚詐欺師の女版だな……助かったよ。どうもありがとう。おれは、そろそろ行くよ」
「ねえ……永吉さん」
「なんだよ、急に?」
「5年前、なぜわたしにウソを言ったの? 本当の理由を言ってくれれば、素直に何年でも待ち続けたのに……」
「な、なんだよ、突然! う、うそだと!」
「フー……名刑事も私生活じゃ、ただの男ね? あなた、人のウソは見極めても自分はウソをつけないタイプよね? わたしが知らないとでも思う? 今回は伯父さまに呼ばれたせいもあるけど、あなたのことを調べるために帰国したのよ」
「おれの? 何を? 勝手に調べるな!」
「まったく……素直じゃないったら。学生時代はあんなに素直だったのに……空手の試合中にわたしに見蕩れて負けたわよね。あのとき決心したのよ。これ以上、焦らさないで付き合ってあげようって。わたし、受験勉強の真っ最中だったんですからね!」
「あ、あれは……油断しただけだ! 負けたのはあの1回だけだ!」
「でしょ? だからよ。とにかく、わたしは5年前のことはもう知ってる。あなたの潜入捜査のことも銃弾を受けて生死の境をさまよったこともよ。その後にあっちの世界に肩入れしすぎて捜査からはずされ、新宿署に戻されたこともね!」
「繭子……」
「さあ、奈々子に最後のお別れをしましょう」
繭子が先に立ち、ドアを開けた。
加納は改めて思った。
この女には一生、勝てないだろうと。




