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強面刑事  作者: M38
連続事件
2/27

女占い師

「すみません。昨日、三宮っていう刑事が来たでしょう? 三宮のヤツ、急に熱を出しちまって。あいつ、女房に逃げられてから1人でたいへんなんですよ。三宮の同期で、加納カノウ永吉エイキチと申します。本当は聴き込みは2人1組なんですが、面倒なんで1人で来ちゃいました。代わりにお話しを聞かせてもらえませんか?」


 翌日、女の占いテーブルの前に現れた刑事は、強面でいかつい大男だった。

 小雨が降っていた。女が座るスナックの軒下に入りながら、刑事は暑そうに紺のネクタイを弛めた。スーツもくたびれた地味な紺色だ。巨体が細かい雨粒をたくさん纏っている。


「あの……何かあれば……連絡をしますので……」


 女は今日も歯切れ悪く答えた。手は相変わらず、テーブルの下で握りしめられている。


「でもね。素人さんには気づかないことってたくさんあるんですよ。例えばね……あなたは街灯の光が拡散する場所より外にいるから、今みたいに座って下を向きっ放しだと顔がまったくみえないんですよ。でも、もしもうしろにあるスナックの外灯が点いていれば……お美しいお顔が拝見できたのに。あなたはもう少し、街灯の近くに座るべきだ!」

「あ、あの……雨に……濡れるので軒下に……」

「ああ! そうでしたね? 今日は雨が降っている! だからスナックの壁にへばりついているんですね! いつもは、街灯の近くに座っているんですよね? でないと暗くて占いが出来ない! もっと前に出ないとお客も来ませんよね? 昨日、三宮が来たときは晴れていたでしょう? 昨日もそんなブカブカのレインコートを着ていたのですか? 今日はものすごく蒸し暑い! その格好では汗をかきませんか? これは失礼、あなたは……」

「あさ……朝倉アサクラ麗子レイコです」

 

 女は加納の追求に焦り、つい本名を名乗りそうになった。しまったという様子が見てとれたのか、加納が一瞬、大きなカラダを強張らせた。


「……占い師の朝倉麗子さんですね。かっこいいお名前ですね」

「いえ……」

「おいくつですか?」

「30歳です」

「ほう。おれは35歳になります。30代になると疲れやすくなりませんか? おれだけですかね?」

「まだなったばかりで……わかりません」

「それにしても……美人占い師さんですね。どうしてそんなに大きな黒ブチ眼鏡を? 厚化粧に、カツラ……ですか? スタイルがいいのに、黒のレインコートにブラックデニムとスニーカーだ……おっと、これ以上はセクハラですね。申し訳ありません」

「いえ……占い師なので雰囲気を第1にと思いまして……」

「いやあ。たしかにミステリアスな雰囲気ではありますが……お客を呼ぶなら、その美貌を武器にすべきですよ!」

「そんな……」


 女は下を向いたまま、刑事の強面から繰り出される鋭い視線をやり過ごした。


「あれ? 真正面の路地の街灯は壊れているな。あれはたぶん、プロの仕業ですよ。調べても指紋は出ないだろうな……捜査報告書にも街灯が壊れていると書かれていた。誰かが犯人を目撃したとしても、暗くて人相まではわからなかったはずだ。必然的に路地の中は真っ暗闇だ。そんなに深い路地ではないな。せいぜい、十メートルあるかないかだ。犯罪に都合のいい状況が出来上がっていますね。いつから街灯が壊れているのかご存知ですか?」

「さあ……気がつきませんでしたので……たぶん、最初から……」

「街灯が壊れていることが、あなたは気にはならなかった……ということは、あなたが言うように街灯は最初から壊れていたのですね。あなたがここに座りはじめた……いつからこちらに?」

「……一週間ほど前です」

「では、そのころの電気のメーターを調べさせましょう」


 女は心臓がドキドキしてきた。この男はまずい。非常にまずい。


「向かいの路地で起きた事件の詳細はご存知ですよね? 新聞に載っていたでしょう? ワイドショーでも話題の的だ。路地裏殺人事件!」

「……はい」

「殺されたのは、近所でも職場でも同級生の間でもたいへん評判の良い藤原フジワラ達也タツヤ35歳。中間管理職で温厚な人柄。仕事も順調。なぜでしょうね?」

「……さあ」

「あなたの占いのパワーで、何かわかりませんか?」

「霊感占いではないので……」

「ああ、そうでしたね? この本なんて、星占いの基礎知識が載ってる。おれでも理解できそうだ……」

「あの……商売道具なので……」


 女は刑事が伸ばしかけた大きな手をサエギり、占いの本を慌てて足下のバッグへしまった。震える白い手袋を、刑事がジッと目で追っていた。


「随分と、大きなバッグを持ち歩いているんですね?」

「えっ? ああ、はい。テーブルや椅子を折りたたんで入れますので……」

「ああ、そうですよね」

 

 刑事が巨体を折り曲げ、女の足下にある大きな黒いトートバッグをまじまじと見ている。


「あの……事件のことは……」

「んっ? 興味が湧いてきましたか? ……被害者はうしろから、自身のネクタイで首を絞められています。悲鳴は上げられなかったでしょう。怪しい指紋は一切現場には残っていない。プロでおそらく男の犯行でしょう。財布が取られていないので物盗りではなさそうです。こういう場合は大抵が怨恨です」

「……そうですか」

「だが、殺された男は犯罪歴もない30代の平凡な会社員。子供が2人いる良き夫。浮気もしていないし、ギャンブルもしないから金銭トラブルも抱えていない。大人しくて寡黙。誰に聴いても、人に恨まれるような性格ではなかったらしい。そんな善良な市民がなぜ、自宅の目と鼻の先のこんな路地裏で殺されなくてはならなかったのでしょうか。しかも、夜中に家族に黙って家を抜け出している。月曜日の夜にわざわざ……」

「あの……わたしに言われても……」

「殺人事件が起きた通りの目の前に座っていて、恐くないんですか?」

「え? ええ……そうですね……場所を替えたほうが……」


 女は相手の口車に乗らないように、慎重に返事をした。いつの間にか雨は止んでいた。


「でも……あなたはうしろのスナックと関係があるから、店の駐車場で占いをしているのでしょう? 移動したら、払った場所代がもったいないですよ! 失礼ですが、どうしてこちらに?」

「あの……勧められて……」

「誰にですか?」

「この店の……ママに……」

「今日は開店していませんね? 定休日?」

「いえ……ママは入院中で。その間、この駐車場を使ってくれと……」

「そうでしたか! だからスナックの外灯が消えているんですね? あなたのお顔がハッキリ見られるチャンスを逃してしまったな……では、スナックのママとは以前からの知り合いなんですね」

「いいえ……パチンコ屋で知り合って……話が盛り上がって、それで……」


 女はいずれはバレルと思い、スナックの駐車場を借りた経緯を素直に白状した。真実を織り交ぜたほうが怪しまれないはずだ。


「そうですか。パチンコだったら、おれもやりますよ。さっきまで聴き込みがてら、あっちの通りでやってたんです。今日はツイてなかった。次は出してもらえるかな……。ところで、ママはいつごろ退院ですか?」

「えっ? あの……肝臓を悪くしていて……しばらく療養するそうです」

「では、長期ですね? 肝臓か……場合によっては店を閉めるのかな? では、長く借りられますね? これは運がいい!」

「そ、そんなに長くは……でも、今の話は嘘ではありません。確かめていただければ……」

「いえ。それには及びません。無許可の露天営業は違法だが、あなたの美貌に免じて見逃しましょう」


 加納は巨体を傾け、女の頭頂部に向かってウインクをした。

 白い手袋をした女の手は、占いテーブルの下で再び震えはじめた。違法という言葉は女にとって非常に脅威だった。


「失礼。また、セクハラ発言でした……ところで、なんで男は殺されたんでしょうかね? 良い人だったのに。容疑者がいないから、捜査は暗礁に乗り上げそうだ。あなたの意見が聴いてみたい。占い師としてのね。そうだ! いまから捜査に関係なく、占ってもらえませんか。三宮は終電でタイムアウトになったって言っていたが……今夜はまだ三十分もあります。駅は、左に伸びている繁華街の突き当たりを右へ曲がってすぐだ。ここから歩いて5分もかかりませんよね。被害社宅は駅とは反対方向に5分ほど行った住宅地だ。殺された男は、毎日ここを通り過ぎていたはず。あっ! あなたの乗る電車は上りですか? 下りですか?」

「あの……上りです」


 女は慎重に答えた。上りの方が終電は遅かったはずだ。乗る人も多いだろう。


「では、お願いします」


 加納がどっかと大きなカラダで前の席に座ってしまった。女は仕方なく、卓上ランプを点けた。


「ああ! それを点けるんですね? だったら、手元は見える!」

「はい……」


 女は加納の青年月日と出生地を訊きだし、膝の上のスマホで検索をはじめた。加納の鋭い目が女の視線を追っているが仕方あるまい。なかば堂々とスマホでカンニングをしながらホロスコープを確かめると、星占いの本を開いた。


「あら、刑事さんも魚座……」

「も、というからには、他の誰かも?」

「ええ、あの……昨夜、最後に占った人も魚座で……だから……」

「そうでしたか? それで、会いたい人には会えますか?」

「会いたい人に? 9月の中秋の名月あたりの星の巡りがいいわ……」

「本当ですか? おれの会いたい人、誰だかわかりますか?」

「え? 誰かしら……えーと。恋人はいないみたいですから……仕事関係の人かしら?」


 女は無難な答を返した。こんなにぶしつけな男に決まった恋人はいないはずだ。結婚指輪もしていない。大抵の男性は仕事が命だから、これで話の辻褄が合うはずだ。


「そうです! まさにドンピシャ! 仕事の結末が知りたい。事件の犯人に会いたいのです。もう、会っているのかもしれませんが……」


 加納が巨体を折り曲げて、女の顔を覗きこんだ。


「…………」

「これは失礼。他には何か?」

 

 女は一般的な占い結果を加納に教えた。


「それでは、また来ます。ああ! 見料を! おいくらですか?」

「結構です……お金のかからない商売ですから……」

「そうですか? それにしても……彼はなぜ、殺されたんでしょうねえ」

「どんな人間にも……何かあるものです」

「これは、これは! 占いの哲学ですか? だったらおれの信条は、正確なホロスコープの作成です」

「ホロスコープ? 刑事さんも占いを?」

「いや……犯人をホシと表現するでしょう? 星座の座標軸がぶれるのが嫌なんです。なにごとも、正しい結果を出したいのです。そして、知りたい。なぜ殺したのか? 動機はなんなのか? 事件が描き出す精密な位置関係を把握したいのです。正しい推理から導き出される正しい犯人像。事件が解決できない刑事は刑事じゃない。占いと一緒です。当たらない占い師は詐欺師と一緒だ」

「詐欺? 詐欺師ですって? 詐欺と占いは別物です! わたしは詐欺師では……」

「これは失礼……職業を侮辱することは、相手を卑下する最大の方法でしたね。あなたのことを言ったのではありません。ごめんなさい。この通りです」


 加納は頭を下げながらも、突然の女の激昂に面食らっていた。このオドオドとした女に、こんな情熱的な面があるとは。ますます女に興味が湧いた。女の手は占いテーブルの下で、ワナワナと震えているように感じられた。


「いいえ……ただ、詐欺は……よくないので……」

「ええ。そうですね。もっともなご意見です。お邪魔しました。それではこの辺で失礼します。また明日も来ます。おれはあっちの通りで聞き込みをして帰ります。今度また占ってくださいよ。では、おやすみなさい」

「はい……おつかれさまでした」


 刑事は意外にあっさりと引き下がり、繁華街へと消えていった。だが、今度という言葉を使っていた。定期的に通ってくるということだろうか。事件が解決するまで纏わり付くつもりか。このタイミングでここからいなくなったら、すぐに自分が疑われるだろう。女は露天営業を止めるタイミングを、完全に見失っていた。


「おねがいします」

「え? は、はい」


 いつの間にか、知らない男が目の前に座っていた。街灯の下に浮かび上がる陰気な中年男の姿。こんな夜中に残業の帰りなのか、くたびれ果てた背広姿だ。青白い顔で憔悴しきっている。

 繁華街のはずれの薄暗いスナックの駐車場で辻占いなどする人間がいるものかと、最初はタカをククっていたが、意外と男性客が多いことに驚いていた。人目につかないところが受けたらしい。

 女は卓上ランプを点灯した。2人の顔が下からライトアップされ、幻想的な雰囲気が作り出された。


「そこで殺人があったんだが、おれの息子が容疑者にあがってるんだ。でも、信じられない! ここで何か、見るか聞くかしていないか?」

「あの……警察にも訊かれたのですが……何も……」

「そうか……何かあったら教えてくれ! 殺されたのは、息子がストーカーをしていた人妻の旦那なんだ! たしかに息子には動機がある。息子はストーカーという犯罪者だ。でも、すごく優しい子なんだ! 猫の子一匹殺せないはずだ!」

「そうなのですか……警察は容疑者はいないと言っていましたが……」

「本当か? だったら、それは嘘だ! 息子のアパートへ、何度もくたびれた刑事がやってきているらしい! 息子が警察へ連れて行かれるのは時間の問題だ! 占ってくれ! 犯人が見つかるかどうか!」

「その……どうやって……」

「できるだろ? 息子の生年月日はこれだ!」


 男がスマホの電源を入れて画面を指し示した。


「そうですね……やってみます。あと……あの、息子さんの……写真はありますか?」

 

 女はそれを覗き込み、容疑者の生年月日を自分のスマホに打ち込み、ホロスコープを検索した。


「ああ、あるぞ! これだ!」


 男はスマホを操作して画像を選び出した。真面目で内気そうな大学生の男の子の写真だ。若者の片想いがエスカレートして殺人事件を引き起こした。よくある三面記事だ。週刊誌のネタになりそうな筋書きが、女の中で組み上がった。


「すみません。よく見せていただけませんか……あの、顔相も見るので……」

「ああ! どうぞ、勝手に見てください!」


 女は男のスマホを受け取ると、息子と示されたホルダーを開き、さまざまな角度から写された見知らぬ若者の写真を確認した。子供の頃の写真もある。溺愛しているようだ。若者の特徴を頭に叩き込むと、目の前の男にスマホを返した。膝の上に置いたままだった自分のスマホを、占いテーブルの下で操作しながら質問をはじめた。


「息子さんの髪型はいつも短髪ですか? 染めていないんですね?」

「はい。息子は大学で陸上をやっているので、子供の頃からずっと刈り上げています。茶髪は部活動で禁止されています」

「陸上……どうりで、ほっそりしていているはずですね。足も速いのでしょう? 背は?」

「はい、痩せて小柄です。百六十センチないんじゃないかな。足はすごく速いです」

「息子さんのお宅はここの近くなんですか?」

「いいえ。3つ先の駅です。息子は長距離をやっているので、この大通りが毎日の練習コースでした」

「そうですか……それで……」

「ええ。犬の散歩をしていた人妻を見かけて恋焦がれて……。家の周りをうろつくようになって……。一昨日の夜、マラソンを終えた息子は部屋で1人で寝ていた。アリバイがないんだよ!」

「そうですか……あの……いつもマラソンの練習はどのような服装で……」

「服? トレーニングウェアですか? 黒っぽいのを着てますね。あの子は黒い服しか着ないので……どうして服の色を?」

「いえ……あの……色占いの参考に……では、ランニングシューズも黒ですか?」

「靴ですか? 靴はいつも白ですね。そういえば、息子は靴だけは黒を履いたことがないな……」


 これ以上は不審がられる。そう判断した女は、ホロスコープの書かれた本を拡げ、男に適当な言葉を並べた。


「こちらを見てください。息子さんは牡牛座です。今月は第8ハウスに土星が留まっているのに、火星が逆行してきています。感情的になりやすいときですね。身体への影響もあります。殺された方は獅子座ですね。彼の第8ハウスにも土星があるわ。家庭、恋愛、生命、全部が最悪になる暗示よ。しかも、海王星とスクエアを形成しているわ! 2人が出会ったら、最悪の星回りになるでしょう……」

「えっ……。あんた、なに言って……殺された男のことがわかるのか?」

「実はわたくし、こういう仕事に就く前は……巫女を少々、霊感があるので」

「れ、霊感……。では、息子が不倫相手の夫を……」

「人間にはいろいろな星回りがあるものです……失礼ですが、息子さんの写真のうしろに、男の顔が見えました。普通のサラリーマンのようでしたが……苦しそうに顔を歪めて……」

「そんな……」

「あくまで占いですから……」

「失礼……少し頭を冷やして帰るよ……」


 男は5千円札を1枚置いて帰っていった。ツキのなかった魚座の女に運が向いてきたようだ。正面にある暗い路地の奥を見つめながら、女はひとりほくそ笑んだ。


「では、思い出したのですね?」

「はい……」


 どんよりとした曇り空だった。月も出ていない。だが、目の前の路地の入り口は明るかった。街灯が点いていたからだ。昨夜の強面な刑事が指示したのだろう。今日やってきたのは、一昨日の晩に会ったサラリーマン風のくたびれた刑事と若い刑事だった。女は心の中で安堵した。


「どんなヤツでした?」

「髪の短い男の子で……黒っぽい服装をしていました。靴はたしか……白でした」

「背は?」

「そんなに高くは……」

「何か他に特徴は?」

「あまりよくは憶えていません。足がすごく速くて……でも、事件があった日に路地のあたりをウロウロしていました」

「この中にいますか?」


 刑事がポケットから1枚の写真を取り出した。学生の集合写真だ。女は卓上ランプの光にかざしながら、十人以上の若者の中からひとりの男を指し示した。


「この人に……似ているかも……」

「この男ですか? 間違いありませんか?」

「なんとなく……違っていたらごめんなさい……」


 女は写真に視線を落としたまま、曖昧な返事をした。シュミレーション通りだ。余計な口添えを一切しない刑事に合わせ、自身も極力ことばを控えた。


「ところで、男の額に傷はありませんでしたか?」

「えっ! き、きず……ですか……い、いいえ……」


 女はガタガタと震えはじめた手を、もう片方の手で押さえつけた。それでも、手の揺れは治まらなかった。


「そうですか? 実は公にはしていないのですが、額に傷のある男の目撃証言があったのです。なければいいのです。関係のない男でしょう。あなたの住所氏名を教えていただけますか。電話番号も」

「は、はい……」


 女は刑事に嘘の住所を教えた。電話番号だけは本物だが、使っていない方の携帯だからすぐに解約すればいい。不正入手した携帯は、他にもあるから大丈夫だ。

 刑事は大急ぎで署に連絡しながら帰っていった。女は刑事が完全に見えなくなるまで待ち、震える手で帰り支度をはじめた。恐怖で足がすくみ、カラダ全体がガクガクになっていた。これで追求の目を逸らすことが出来たが、いそいでここを離れなくては。額に傷のある男が、どこかに潜んでいるのかもしれない。


「容疑者の大学生が死んだ? なんで?」


 加納が三宮の話を聞き、目を剝いて驚いている。


「父親による絞殺だ。殺した父親もその場で首を吊った。これで一件落着だよ。占い師の証言とも一致する人物像だった」


『路地裏殺人事件』の容疑者の大学生は、殺人犯の息子を道連れにした父親による無理心中で、木曜日の夜中にこの世を去った。その日の夜に占い師の証言を受け、翌日の金曜日、任意で事情聴衆を行う予定だった三宮はガッカリした。占い師の証言がもう1日早ければ、2つの命が助かり犯人も逮捕できたのに。

 三宮は翌週の月曜日にこの事を、捜査に協力してくれた加納に報告していた。


「しかし……」


 加納はしきりに強面を傾げながら、事件の結末に納得できない様子だった。


「なんだ? 何か引っかかるのか?」

「その占い師だよ。どうしておれが聞き込みに行ったとき、話してくれなかったのかな?」

「おどおどしていたからな。言い出せなかったんだろ?」

「たしかに……震えてたよな。違法営業だからか? 占いの知識もあまりなさそうだったな」

「なんでわかるんだ」

「占い師のテーブルに載っていた占いの本は、初心者向けの物ばかりだった。題名だけ覚えておいて、あとからスマホで確認してみたんだ」

「そうか……永ちゃんは記憶力がいいからな」

「それに、机の下にスマホを隠していた。あれをカンニングペーパー代わりにして占ってるんじゃないか?」

「スマホだと? テーブルの上には布が掛かっていたから、おれにはわからなかったぞ」

「おれは足フェチだ。どんな足をしているか気になったから、近づいていくときに腰のあたりを覗きこんだんだ。一瞬、風が吹いてチラッと見えたんだ。スニーカーを履いた膝の上に置いたスマホが」

「さすがの観察力だな。なら、彼女はインチキ占いがバレるのを恐れていたんだな。最初に会ったとき脅えた様子だったのは、そのせいだ」

「そうでもないかもよ? 彼女は何か隠していたな。スニーカーを履いていたということは、最寄の駅からは電車に乗っていないはずだ。たった5分かそこらを、女がスニーカーで歩くか? 占い師がスニーカー姿? 賭けてもいい。最寄駅の防犯カメラに、あの女は絶対に映っていないはずだ」

「でも……『路地裏殺人事件』の犯人が女という可能性は低いぞ。ネクタイで男性の絞殺は女には無理だ。共犯だったとしても、あそこに占い師として座る意味がないじゃないか。見張りか? でも、殺された藤原達也は、判で押したように朝の7時に家を出て夜の9時に帰宅していた。まちぶせや尾行をする価値のない日常生活を送っていたんだぞ」

「でも、あの壊されていた街灯は? 電気会社の話では、故意に破壊されていたそうじゃないか。電気のメーターは調べていないが、あれだけ人通りが多いところで壊れた街灯があれば、誰かが通報するはずだ。占い師が言うように、1週間も放置されていたとはとても信じられない。絶対に、殺人の直後に破壊されたものだよ! あの占い師、今回の事件の犯人ではないとしても、犯罪の匂いがする女だった……。それに、額に傷のある男は? まあ……おれの事件じゃないから関係ないけどな!」

「永ちゃん……嫌味だな。おれは毎日のルーチンワークでいっぱい、いっぱいだ。これ以上の追求は無理だよ」


 この事件は加納に、不可解なわだかまりを残して終わったかにみえた。だが、事件はそこだけでは留まらなかった。


 翌週の月曜日の午後。加納のデスクへ三宮がやってきた。


「え? 脅迫されていた?」

「ああ」

「殺された藤原達也がか?」

「そうだ」


 今日の午前中、殺された藤原達也の妻が話があると三宮を訪ねてきた。今にも倒れそうなほどに憔悴しきっていた藤原達也の妻に、三宮は同情を禁じ得なかった。無理もない。自分のストーカーが旦那を殺したのだ。しかも犯人のストーカーは、実の父親に無理心中させられたのだ。怒りや悲しみの持っていき場がない。

 意外なことに、藤原達也の妻は亡くなったストーカーの大学生が犯人だとは信じていなかった。彼女の話によると、今月に入ってから、藤原達也が定期を解約して500万円もの大金を引き出していた。夫婦は口論となった。その際、藤原達也が驚くべき過去を告白してきたのだ。10年前、藤原達也は勤めていた会社からリストラされた。赤ん坊が生まれたばかりで、新築の家のローンを抱えていた。藤原達也は妻には失業したことを内緒にして、犯罪に手を染め金を稼いでいた。そのときの犯行を盾に脅迫されて500万円を要求された。

 妻がいくら問いただしても、犯罪の中身については教えてもらえなかった。藤原達也は殺されるかもしれないと言いながら、ひどく脅えていたそうだ。


「サンちゃん、藤原達也は脅迫者に500万円を渡したのに、なんでそんなに脅えていたんだ?」

「主犯格が殺されたからだと言っていたそうだ」

「主犯格が? 脅迫してきたヤツがってことか?」

「それ以上は、ガンとして口を割らなかったそうだ」

「そうか……だが、これで『路地裏殺人事件』の関係者が割り出せるな! 中心がわかったから、やっとホロスコープの座標軸が描けるぞ!」

「ホロスコープ? 座標軸? キャリアの永ちゃんには付いていけないよ……。早く警視庁に戻って、その頭脳をフル回転させろよ? おれ相手じゃ、宝の持ち腐れだ」

「警視庁で出過ぎたまねして嫌われたから、新宿に舞い戻ったんだぜ? 復帰は当分、無理だよ。サンちゃん、辛抱しておれの相手になってくれよ」

「おれのカボチャ頭でよければね……。それで? 藤原達也が10年前に関わった犯罪の主犯格って誰なんだ?」 

「藤原達也が殺されたと言っていた主犯格の男は、たぶんヤクザだろう。一般人の藤原達也が知り得たヤクザの死。有名なヤクザが殺されただろ? 新聞に大きく載っていた」

鏑木カブラギ右近ウコンのことか?」


 先月のはじめに、中堅のヤクザ鏑木右近55歳が殺された。不思議な事件だった。動機がないのだ。犯人も上がっていない。

 鏑木右近はその日、レストランで妻と1人娘と共にディナーを取っていた。だが、店で食中毒騒ぎが起きた。救急車や警察が駆けつけたため、鏑木右近は部下に妻子を任せて運転手と2人で先に家へ帰った。あとから妻子が家に到着したが、鏑木右近はまだ帰宅していなかった。寄り道でもしているのだろうと思い、家族は先に就寝した。だが、朝になっても鏑木右近は帰って来なかった。組の者が動き出す前に警察から連絡がきた。鏑木右近が自宅近くの路地裏に停められた車の中で、射殺体で発見されたのだ。自らの拳銃で頭と胸に1発ずつ受けていた。裏社会の処刑方法だ。運転手の浅野アサノタケシ43歳はいまだ行方不明。事件は迷宮入りとなった。

 ここから鏑木右近の組の跡目争いがはじまった。他の組のヤクザや一般人まで巻き込み、抗争はいまだ継続中である。


「『路地裏殺人事件』が、鏑木右近がらみのヤクザの犯罪だとしたら……犯人はストーカーの大学生ではなかった……」

「サンちゃん! まずは鏑木右近の身辺を洗おう!」

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