隠し子
現場は茅薙志郎のマンションだった。彼はベッドの上で棒で固定されたタオルで首を絞められ殺されていた。睡眠薬の反応があった。
「くそっ! また同じ手口か!」
「永ちゃん……それに、またもや密室だ。防犯カメラに例の小柄な男が映っている」
「やられたな……だが、どうして茅薙志郎が殺されなくてはならなかったんだ?」
茅薙志郎の死亡推定時刻は明け方の4時。施錠されたマンションの1室で発見された。事情聴取に訪れた刑事たちが、インターホンを鳴らしても出て来ない茅薙志郎を不審に思い、管理人に合鍵を借りて踏み込み事件は発覚した。
「キャバ嬢の事件も不審人物はいまだ挙がらない……また迷宮入りか?」
「永ちゃん、犯人は殺しそのものを楽しんでいるのかな?」
「いや……そんなはずはない! どんな事件にもその理由となりうる背景が必ずあるはずだ!」
加納はその夜、繭子の居る田崎邸を訪れた。彼女の両親もまだ滞在していた。
「様子を見に来ただけだから」
「心強いわ。上がってちょうだい」
3人とも、非常に深刻そうな顔をしていた。
「どうかしたのか」
「実は……遺言書が公開されたのよ」
「遺言書? 早過ぎやしないか?」
「奈々子まで亡くなってしまったから、弁護士が故人の遺言通りすぐに開封したのよ」
「それで?」
「それが……一般的な内容だったわ。ただ……」
「ただ? 財産のほとんどは看護師の平河美鈴にいくことになってるの」
「なんだって! なぜだ! 赤の他人だろ?」
「それが……彼女は田崎伯父様の隠し子だったのよ」
「なんだって!」
看護士として雇われていた平河美鈴は田崎吉隆の隠し子だった。認知もしている。奈々子の手前公表できず、看護師と偽ってこっそり田崎吉隆が自分のそばに置いていたのだ。奈々子も繭子一家もこのことは知らなかったそうだ。
「そうだったのか……」
「平河美鈴は伯父が水商売の女性に産ませた子供よ。伯父は彼女をとても愛していてずっと探していたそうなの。平河美鈴の母親は自分の職業を恥じ、子供を産むと伯父から身を隠した。大阪で平河美鈴を育てていたけれど10年前に病気で亡くなった。平河美鈴は3年前、東京にある母親の知り合いのスナックを訪ねた。そこのママから伯父に連絡が入ったの。ところが、肝心の平河美鈴の所在がわからない。伯父が必死に探したけれど見つからなかった。それが1年前、ひょっこり自分から訪ねて来たらしいの」
「それで、田崎吉隆は平河美鈴を看護師として屋敷に招き入れた」
「わたしたちも寝耳に水で……」
「本当にそうよ! 永吉さんは知っていらした? 繭子の産んだ赤ん坊のこと!」
「お義母さん……そっちですか……」
繭子の母親だ。憤慨しつつもうれしそうだ。彼女はずっと、孫を欲しがっていた。
「まったくだ! 写真も見せてもらえないんだぞ。どおりで……ここ3年は帰国しないからおかしいと思っていたんだ! クリスマスに行こうとしても来させなかったし! いったい、どこの馬の骨の子なんだ! わたしは許してないからな!」
「許すも何も……産まれているんだし……永吉さん、今夜はあなたのマンションに泊めてもらえない?」
「な! なにを言ってるんだ! おれは帰る!」
「あっ! ちょっと!」
繭子が加納を追いかけて来た。
「ソファで寝るから! 両親がうるさくて困ってるの。お願い」
「いったい、何を考えてるんだ! 殺人事件はまだ解決していないんだぞ! 繭子も立派な容疑者なんだからな!」
「いいじゃないの! ケチねえ……じゃあ、うちの親に言ってもいいの?」
「何を?」
「あなたのベッドに泊まったこと……」
「お義父さん! お義母さん! すみません! 繭子と話があるので、ちょっとお借りしていきます! そ、そうさのことで……」
加納は急いで玄関へとってかえして繭子の両親にそう告げた。
「え? そうかい? そうだな……繭子はここに居ないほうがいいかもしれん。わたしたちも家に戻る予定だし。母さん、それでいいかい?」
「ええ、まあ……永吉さんなら安心だし。殺人事件があって恐いから……警察官と一緒のほうが安心だわ」
「では、お嬢さんをお預かりします。失礼致します」
加納は仕方なく、繭子とマンションへ戻った。
「どうすんだ! おれを巻き込むな!」
「何も巻き込んじゃいないわよ。事件が勝手に起きているだけ」
「ベッドを使え! おれは出てくる!」
「『ムーンマジック』に行くの? だったら、わたしも連れて行ってよ!」
「あそこじゃない! 繭子を同伴して帰ったのが知られているから、あそこには当分、恥ずかしくて行かれないよ!」
加納は外へ出かけた。しばらく夜風に吹かれながら街中をさ迷った。あまりにもいろいろなことが起き過ぎた。
別れた女房の3年ぶりの帰還。彼女は私生児を産んでいた。繭子の親戚の田崎吉隆、奈々子、彼女の婚約者まで殺された。その前にキャバ嬢も殺された。3年前に顔のない女も殺された。3年前は田崎吉隆の隠し子、住み込み看護師の平河美鈴が東京に出て来た年でもある。3年間で人々の運命がこんなにも変化していた。変わらないのは加納と三宮ぐらいだ。
「いや、ちがう。サンちゃんも3年前、女房に逃げられた……」
三宮の妻、麻子は静かで大人しい小柄な女性だった。結婚10年目だった。三宮の仕事が忙しく、家にあまり帰れない日々が続いた。専業主婦の麻子は寂しかったのだろう。彼女の両親が病で立て続けに亡くなったことも大きな要因だった。男と駆け落ちしてしまった。謝罪の手紙だけが置いてあったそうだ。離婚届が同封されていたが、三宮はいまだにそれを出してはいない。
夜中過ぎに部屋に戻った。繭子はすでに寝ていた。加納はソファに横になった。
翌朝、料理の匂いで目が覚めた。繭子が台所に立っていた。一瞬、5年前に戻ったような錯覚にとらわれた。加納が目覚めたことに気づいた繭子がそばに寄ってきて顔を近づけた。加納はキスを避けて起き上がった。
「なんのつもりだ! 色仕掛けが上手くなったな」
「ひどい言いようね……この前は情熱的にしてくれたじゃないの? あなた、酔うとどんな女にもああなるの?」
「な、なにを言ってる! 仮にも一児の母親だろう! 母親らしくしろ!」
「母親らしく? してるじゃないの……今日は時間がないから目玉焼きよ! わたしもあなたと一緒に出るわ。奈々子のそばに居てあげたいから……」
「わかった。すぐに食べて出よう」
加納は繭子と急いで朝食をとると、一緒に家を出た。
署に着くとすぐ、三宮に平河美鈴の相続の件を話した。
「ほんとか、永ちゃん! だとしたら……彼女は立派な容疑者だぞ!」
「そうだな……」
「あ! 先輩! 大変です! 茅薙志郎の自宅から本人以外の指紋が多数発見されたんですが……」
若狭が飛び込んできた。
「おお、そうだろうな……あいつは結婚詐欺師だ。女がたくさん出入りしていたはずだ」
「それが……他の事件と一致する指紋が出たんです!」
「指紋だと? 他の事件で怪しい指紋は見つかっていないはずだろ?」
「ええ。犯人のモノではないかもしれません。でも、たまたま照らし合わせたら一致したんです! 顔のない殺人事件の部屋の至るところにあった指紋と、茅薙志郎のマンションにあった指紋が一致しました!」
「どういうことだ……それってまさか……」
「ええ! そうです! 顔のない殺人事件の被害者の指紋と一致したんです!」
「……そんなバカな!」
「永ちゃん……じゃあ……顔無し死体は、いったい誰なんだ!」




