お別れの会
翌日は土曜日だった。午後から田崎吉隆のお別れの会が催された。親戚や仕事関係の人間など、内輪だけで行われるごく小規模な集まりだった。
加納は居心地の悪さを感じていた。少人数の集まりなのに、知った顔が多すぎる。
「加納君、繭子と寄りを戻したのかい?」
繭子の遠い親戚が来ていた。田崎吉隆と仕事上の付き合いがあったそうだ。高校時代に加納が繭子に付き纏っていたことを覚えていて、からかってきた。そんなことの繰り返しで、さすがの加納も辟易していた。
「繭子、ちょっと外へ出てくる!」
加納が強面を振り向けて繭子に言い放った。
「ちょっと! そろそろ大物が帰りはじめるのよ! すぐに帰ってきてね……あっ! だったら、茅薙さんを連れて来て! 奈々子と一緒にあいさつさせるから」
「マリッジブルーの男なんかにさせるなよ! 後々おまえたちが恥をかくぞ?」
「マリッジブルー? 彼、奈々子と結婚する気がないの?」
「ああ、欲のない男だと思われたいらしい。マリッジブルーが変色する前に、正式に婚約破棄することをおすすめするよ!」
「どういうこと? 奈々子はぞっこんだったわよ。すっごいエリートなんでしょ? 靴も爪先もいつもピカピカらしいわよ」
「奈々子が結婚に焦るからいけないんだ。いい男はいつだって地味で堅実に生きているもんだ」
「突然、なんなのよ。奈々子は元からあなたみたいに背の高い男が好きだったわ。女はね……いえ、男だって同じでしょ。まだ見ぬ結婚に大きな夢を持っているものなの。それは適齢期を過ぎても一緒よ。女はいくつになっても、結婚生活に多大な夢を注ぐ生物よ。それをバカにしてはだめよ」
「そうだな。繭子も結婚生活に失望したクチだもんな? たしかに結婚は、人生で1番大きな夢だ。そこに付け込むヤツがいちばん悪い。脳内麻薬を打ち込んだ途端マリッジブルーでさよならなんて、ひどすぎる! 結婚恐怖症の男を呼んでくるよ。過去の結婚生活がトラウマだとか言い出す前にな」
「ちょっと? 自分の話? トラウマになるのはこっちでしょ? 永吉さんってば! ちゃんと、戻ってきてよね!」
加納は繭子の言葉を無視してスタスタと庭を進んでいった。オープンテラスの向こうにある大きな樹の下に結婚詐欺師が佇んでいた。今日も足下には大量の吸殻。イラついているみたいだが、マナーが悪いのは詐欺師の典型的な特徴だ。
「茅薙さん、帰りのあいさつをする時間みたいですよ?」
「ああ……加納刑事。ぼくは本当は部外者です。昨日のうちに正式に奈々子との婚約は破棄しました。今日は付き合いで来ました。奈々子にも見栄がありますからね」
「そうですか……わたしにはとても理解できない変わり身の早さですね。次の女を手に入れましたか?」
「またまた! 冗談がお好きなんですね。洋子のことがあったのに他の女と一緒にはなれないだけです。ぼくだけ幸せになったらバチが当たりますからね」
「あなたの心理にはやはり、ついていけそうにない」
「マリッジブルーなんてそんなもんです。いつも突然やってくるので、ぼくにも理解不能です。ぼく自身、自分で自分の心理がわからないのですから」
「こんなところで、お互いにウソを重ねても仕方がない。そろそろ戻りませんか?」
「すみません、ちょっと待ってください。あと1本だけ吸わせてください。そうしたら、必ず戻りますから」
「わかりました」
加納は茅薙志郎の隣で大きな樫の枝の間から高い空を見上げた。晴れ渡った青い空。繭子が飛行機で旅立ったのも、こんな風によく晴れた日だった。あの日2人が別れなかったら、田崎吉隆も死なずにすんだのだろうか。
あいさつのため、繭子と茅薙志郎と共に玄関に立った。肝心の奈々子がいなかった。従業員が手分けして奈々子を探している間、加納と繭子が代わりにあいさつをした。実に決まりが悪かった。2人が離婚していることを知らなかった者も大勢いて驚いていた。反対に離婚したことを知っている人たちからは寄りを戻したのかとしつこく聞かれた。繭子の両親も復縁するのかとそれとなく聞いてきた。繭子の私生児のことをばらしてやろうかと思ったが、大人気ないのでやめておいた。
「外国で働くわたしより、あなたのほうが遥かに知名度が上ね。裏社会の人間にもいちもく置かれているみたいだし……」
「……現役の刑事だからだろ。それよりも……奈々子は?」
「あの子は子供じみた幼稚なところがあるの。わがままだから、急にあいさつが面倒になったんでしょうよ。皆が、わたしにばかりあいさつするのも癪に障るみたい。昨日もずっとふくれっ面してたでしょ?」
「婚約破棄したから決まりが悪かったのかもな……もっとも、相手はずうずうしくあいさつをしてたけどな」
「婚約破棄? 奈々子、結婚がだめになったの? なんで?」
「茅薙志郎本人からさっき庭で聞かされたよ。あいつはプロの結婚詐欺師だ。マリッジブルーなんて大嘘ついてたぜ。奈々子は騙されていたんだ。彼女の幼稚な部分を突いてこられたんだろう。被害に遭う前にあっちが手を引いてくれてよかったな! そろそろ帰るよ……思った以上に大役を任されて……」
――きゃーああああっ!
「なんだ!」
「あっちよ!」
繭子が指差す方向は、田崎吉隆が殺された寝室のある方角だった。加納は一直線にそちらへ向かって駆け出した。
「ハアハア……」
急行すると、寝室のドアが開いていた。隙間から中を覗くとお手伝いの女の後姿が見えた。ガタガタと震えている。
「どうしましたか?」
加納はお手伝いに声を掛けながら部屋の中へと入っていった。
そこには――変わり果てた田崎奈々子の姿があった!
田崎吉隆の寝台の上で仰向けになり、首にはタオルが巻かれ棒で固定されていた。
加納はすぐに、署の人間に連絡を取った。
――そして。
パトカーの緊急ライトが明滅する屋敷内で、加納は三宮と現場検証にあたっていた。
「永ちゃん……また同じ手口だ」
「ああ、そうだな……凶器のタオルや棒からは指紋は1つも発見されていない。金品も盗まれていないし暴行を受けた様子もない……あとは明日にしよう」
廊下に出ると、繭子が待ち受けていた。
「奈々子は……」
「ああ。検死から帰ったら付き添ってやれ。おれも……明後日、出勤前に様子を見に来るよ」
「ありがとう……」
繭子が加納にもたれてきた。加納は何も言わずに肩を貸してやった。立て続けに身内に殺人が起きては、さすがの繭子も神経がもたないだろう。
加納と三宮は帰宅した。
翌翌日になり、加納は早朝に田崎家を訪れた。繭子が両親と一緒に出迎えてくれた。今後の話し合いを1晩中していたそうだ。その際、両親に息子のことを話したようだ。込み入った話があるようなので、加納は現場だけ見せてもらってそのまま署に出勤した。
「永ちゃん、おはよう。昨日はおつかれ」
三宮がやってきた。
「サンちゃん、おはよう。ところで……茅薙志郎は? どうした?」
「自宅マンションで待機している。昨日は田崎奈々子の死を嘆き悲しんでるって様子だったよ」
「そうか……ヤツにはばっちりアリバイがあるしな……婚約破棄も本当だった」
「昨日のお別れ会は、いろいろな人間が出入り自由だったんだよな?」
「ああ。奈々子の死んでいた部屋なんか特にな……それにしても、奈々子が殺された理由がわからない……」
加納と三宮は、取りあえず今までの事件の調査結果を照らし合わせることにした。
午後になった。加納と三宮のデスクへ若狭が駆け込んできた。
「先輩! たいへんです! 茅薙志郎が殺されていました!」
「なんだって!」
「マリッジブルーの男が、なぜ?」




